27:長い一日
「そろそろかな……ジェイ、これ着けててね、取っちゃ駄目だよ」
アーシャは自分の首元に着けていたマントの留め具を外すと手を伸ばしてジェイの腰辺りに取り付けた。
揺れるのでやりにくかったがどうにかくっつける。
青い石が嵌ったブローチは簡易で狭くはあるが、強力な結界を作り出す防御用の魔具だ。
本当はアーシャはこれをもう一つ作りたかった。
けれどこれはアーシャがずっと昔に初めて作った魔具を、少しずつ時間をかけて改良したものだ。同じ物を作るにはそれなりの時間がかかってしまう。
そうなると他の攻撃用の魔具を作る時間がなくなってしまうからできなかったのだ。
「私が合図したら、最初の位置の少し手前で止まって」
「えっ……大丈夫か?」
「うん、大丈夫。それでね……」
アーシャは小さい声で何事かをジェイに囁いた。
ジェイはその指示に驚いたように目を見開いたが、すぐに頷いた。
「そろそろだよ、いい?」
「ああ」
あと十秒、五秒、とアーシャは胸の奥で数えた。
「あ、出た」
「キャァッ!」
「なっ、なんだ!?」
アーシャの声を合図にするように、突如として会場の周りを巡る堀の一部が沸騰した。
けれど良く見れば沸騰したのとは少し違う。正確には堀の一部から水の柱が何本も立ったのだ。
だが異変はそれだけではなかった。
会場の四隅の篝火の一つが、突然ゴォッと音を立てて青白い炎を高く吹き上げた。
それはさっきアーシャが何かを放り込んだ篝火だった。
「今度はなんだ!」
「やっ、マリス、あれ見て!」
ポーラが小さな悲鳴と共に兄の名を呼んだ。
高く立ち上った水柱から次々と水が分離している。
水の柱から離れた水は彼らが両手を伸ばしたほどの大きさの球状になり、ぽよんぽよんと弾みながら次々と地面に転がった。
そしてそれらは、大きく弾む度に辺りを群れ飛ぶ炎の鳥を巻き込み消し去りながらじわじわとマリスとポーラに近づき始めた。
「あっちからも!」
その声に慌てて目をやれば、高く立ち上った炎から、今度は火の玉が分離してごろごろと試合場に転がり出ていた。
「くっそ、気味悪い真似を! ポーラ、風で吹き飛ばせ!」
「う、うん。風よ吹きすさべ! その渦巻く両手で眼前の全てを吹き飛ばせ!」
ポーラの周りに渦を巻いた風は水の球に向かってぶつかった。
精霊が生み出した風は水の表面を激しく打ち、その一部を少しずつ削り取る。
だが風に千切られて飛んでいった水の一部は後ろにあった水の球に当たってくっついた。それによって後ろの球がまた少し大きくなる。
くっつかなかった水は更に後ろから来た炎の球に当たりジュウ、と音を立てて辺りに蒸気を振りまいた。
それでも水の球も火の球もその動きを止めようとしない。
次々とマリスとポーラのところへ向かって跳ね、転がり、時にはお互いがぶつかってくっついたり、激しい蒸気を発したりしている。
ハッと二人が気が付けば、いつの間にか試合場の半分以上が赤と青の謎の物体で占拠されている。
マリスの出した炎の鳥も彼の指示で果敢に立ち向かったが、水の球に消され火の球には飲み込まれてしまってどんどんと数を減らしていた。
「おお、怖……」
ジェイは試合開始時に立っていた場所よりも少し下がった位置でそれを見ながら呟いた。
隣には何も言わずに立っているアーシャの姿もある。
彼らの所にも水の球や火の玉が傍を通り過ぎる際にぶつかってきたが、アーシャがジェイにつけてくれたブローチのおかげで事なきを得ていた。
「お前らっ、くっそ、なんだよこれ!」
「いや、何って言われても……なぁ?」
マリスの怒鳴り声にジェイは隣に立つアーシャに同意を求めたが少女は何も言わなかった。
「くそ! この、くるな!」
マリスは炎の鳥を呼び集め、炎の壁を立ち上げて水玉にぶつけた。
けれど蒸気が高く立ち上って視界が悪くなるだけで、水玉は簡単には消えはしない。
一つが消えそうなくらい小さくなると、場所が空いて転がってきた隣の水玉に飲み込まれて一つになり、更に大きくなってしまうのだ。
ポーラは懸命にそれらを近づけまいと風をぶつけているがあまりの不気味さに既に半泣きだった。
マリスとポーラは懸命に応戦しながらもじりじりと押されて、寄り添いながら少しずつ後ろに下がっていた。
ジェイはそれを黙って見ながら、背中に背負っていた弓と矢をゆっくりと下ろして手に取った。
アーシャに指定された時間がそろそろ近づいている。
(ジェイ、構えて)
頭に響いたアーシャの声に従い、ジェイは矢を番えて弓を構えた。
キリ、と引き絞って前方に向ける。夕暮れの光が相手の方から指して来て少し狙いがつけにくい。
マリスとポーラの前には相変わらずあの赤青の球達が立ちはだかっているので、自分が狙う場所がどこなのか正確にはまだ見えない。
だがジェイは構わずに適当に見当をつけた場所に弓を向け時を待った。
(ジェイ!)
アーシャの合図が響いた。隣に立つ少女は相変わらずピクリとも動かない。
次の瞬間、マリスとポーラは突然訪れた変化に目を見張った。
目の前の水の球や火の玉が、一斉にぶるぶると激しく震えだしたのだ。
「なっ、今度は何だ!?」
「もうやだぁ!」
ポーラは恐慌状態になりかけ、闇雲に風を放った。
適当に放った風は水の玉の一つへと向かい、真正面からぶつかる。またぽよんと弾くだけかと思われたそれは大きく震えると、次の瞬間パン、と大きな音を立てて破裂した。
「えっ!?」
ポーラが驚いて見つめる前で、風が当たっていない水の球も次々と震え始め、次いでパンパンと連続して弾け飛ぶ。
そしてその突然の変化は火の球にも現れた。激しい花火のように火花を散らしながら全ての火の球が一度に幾つも弾け飛んだのだ。
「うわぁっ!!」
「キャァッ!!」
水と火が一斉に辺りに弾けてぶつかり、激しい蒸気を吹き上げる。
幸いそのほとんどが二人には直接掛からなかったが、立ち上った大量の蒸気の激しさと熱にマリスもポーラも思わず顔を覆った。
二人が目を逸らした次の瞬間、ヒュンという風を切る音と、次いでタン、と軽い音がした。
マリスはその音にハッと息を呑むと、慌てて手を下ろし顔を上げた。
いや、手を下ろそうと思った。
「え……!?」
マリスは自分の体に突然起こった変化に目を見張った。
腕を下ろそうとしたのに、その体がピクリとも動かないのだ。腕どころか、下げた顔を上げる事もできない。
その動きをとるはずの体が固まったように動かない。
予想外の出来事にかろうじて目だけを動かして隣を見ると、ポーラが同じように固まったままパニックを起こした顔をしていた。
「何をしたっ!?」
上げたままの腕の間からかろうじて向こうを見ると、試合場の反対側で弓を下ろす少年の姿が見える。
何故彼が弓を持っているのか、それで何をしたのかマリスにはさっぱりわからなかった。
だが口が動くならまだ魔法は使える、そう思った直後――
「はい、終わり」
――ペタ、と背に何かが触れる感覚があった。
何故か後ろから少女の声がしたのにマリスは振り向く事も出来ない。
そしてどうしてか急速に意識が薄れていく。
暗くなる視界の端でマリスは前方に立つジェイの姿を見ていた。そして、その隣に無言で立ったままの少女の姿も。
「おやすみ」
けれど背後からはまた少女の声が聞こえた。優しいとすら感じるその声がマリスにはひどく恐ろしかった。
一体自分に何が起こったのか、何一つわからないままマリスとポーラは深い闇に落ちた。
アーシャは静かになった二人を確かめて、右手に着けていた白い石の嵌った指輪をそっと外した。
ゆらり、とマリスの後ろの空気が揺れてそこから少女の姿が現れる。
それに気付いた会場がざわ、とどよめいた。
誰もが会場の反対側に立ち尽くした少女と、マリス達の傍に立っている少女を交互に見つめる。
アーシャはそんなことは気にせずマリスの後ろから顔を出してジェイに手を振った。
ジェイは少女に手を振りかえすと驚きに立ち尽くしていた審判を促し、彼と一緒にマリス達の方に向かって歩き出す。
だがジェイは歩き出したのに、その隣に立っていたアーシャはピクリとも動かずその場に取り残された。
ジェイが目指す先にも、何故か同じ姿の少女がもう一人立っている。
マリス達の隣にいたアーシャはジェイが近づくと彼に向かって手を上げた。
ジェイはその手に自分の手をパチン、と合わせた。
「お疲れ様、ジェイ」
「アーシャこそ。お疲れ」
二人が笑顔を交わす横で審判は立ったまま微動だにせず眠っている二人の周りをぐるりと回った。
彼らの背中にはアーシャが作った眠りの符が貼られている。強力なものだから、剥がしても半日は眠ったままだろう。審判は二人が戦闘不能であることを確かめて、大きな声で宣言した。
『勝者、グラウル・イージェイ組!』
ワァァァァ、と高い歓声が沸き起こる。
もうそれは戸惑いを含んでおらず、純粋に彼らの試合を称えるもののように聞こえた。
ジェイとアーシャは顔を見合わせ笑顔を交わす。そんな二人に審判が恐る恐る声をかけた。
「この二人を運び出したいのだが……動かせるかね?」
アーシャは一つ頷いた。
「その二人、掴んでて。倒れると思うから」
そう言ってアーシャはとことこと二人から少し離れた場所へ移動し、地面に突き立った物に手をかけた。
それはジェイがさっき放った矢だった。
その矢は寄り添った事で重なった二人の影を縫いとめるように地面に深く突き刺さっている。
「よい、しょ」
ぼこ、とアーシャが矢を抜くと、途端にマリスとポーラの体は自由になり、ぐらりと傾いた。
ジェイと審判は慌てて二人を支え、救護班を呼んだ。
「眠ってるだけだから、符を剥がして寝せておいて」
救護班は二人を担架に乗せて運んでいった。
アーシャは歓声の途切れない試合場を横切り、地面に落ちた札や立ち尽くしたままのもう一人の自分の足元の布を回収した。布を持ち上げた事で立っていたアーシャの姿がふっと掻き消える。
「なぁ、アーシャそれなんなんだ?」
「ただの幻影だよ。私の姿を映すだけの。動かないし声も出せないけど目くらましになるかと思って作ってみたの。結構役に立ったね」
「じゃああの球は?」
「あれはただのおもちゃの応用。ガラス球で出来てるんだ」
子供向けの高価なおもちゃの中には、魔石を中に入れて簡単な動きが出来るようにしたものがある。
だがそれはせいぜい前に進むとか、跳ねるとかそういう動きをするだけの他愛のないものだ。
アーシャはその魔法をガラス玉に仕込んでみた。
ガラスは石と違って短い時間で魔法の負荷に耐え切れず崩壊してしまうという特性がある。
だからそれを逆に利用して一定時間だけ動き、崩壊する事で敵に驚きを与えるという効果を狙ったのだ。
そして使う時まで魔法が発動しないように、抑える効果のある紙の符を貼った物を、アーシャは大量に用意しておいた。
水に放り込めば符は溶け、火に放り込めば符は焼ける。
後は火や水を身に纏い、指定された動きをするようにしておけばいい。
簡単なおもちゃでも、沢山用意すれば役に立つだろうと思ったのは正解だった。
アーシャは水の球や火の球が出てきて相手が混乱し視界が悪くなった後、ジェイを立ち止まらせたその脇に四角い布のような魔具を置いて指輪をはめ、そっと姿を隠した。
光の魔法を応用した魔具を身に付け、辺りに自分の姿を紛れさせた。
そしてその布の魔法陣を発動させればそこにアーシャがもう一人現れる。
それを目晦ましにしてアーシャは水球達の間を縫ってマリスとポーラに近づき時が来るのを待った。
やがて限界が来ておもちゃが壊れたのを合図にジェイが矢を放つ。
闇の魔法をこめた魔具である鏃は彼らの重なった影を縫いとめ、その動きを止める。
後はアーシャが駄目押しで背中に眠りの符を貼れば出来上がり、という寸法だった。
「あの弓矢は闇の魔法が掛かってたのか」
「弓は普通のだよ。鏃だけね。この学園の生徒はあんまり闇の魔法好きじゃないから、多分見慣れないだろうと思って」
アーシャは以前ディーンが森で使った闇の精霊魔法の話を聞いていた。それがこの学園ではあまり使われていないという事も。
だからこそ、使ってみようと思ったのだ。闇の魔法を使ってこの大陸の出身者に嫌われてもアーシャなら今更痛くも痒くもない。
「ジェイが弓も上手くて良かった。ライラスはあんまり上手くなかったから、夕方になって影が伸びたら使おうと思ってたんだ」
「それで今まで使わなかったのか。しかし魔具って、色々できるんだなぁ」
ジェイはしみじみと感心した。
アーシャはそれに笑顔で頷く。
「魔具って結構利点があると思うんだよね。呪文が要らないから発動までの時間がほとんど掛からない。決められた事を魔具がやるだけだからイメージしなくていい。だから、思考が自由でいられる。もちろん、その分用意した道具の中で作戦を考えなきゃいけないから制約も大きいけど」
「でも、隙も小さくて済むのはいいな。俺らみたいな武術学部生に向いてそうだなぁ」
「うん」
夕暮れの光と、まだ続く歓声を背に受けながら二人は試合場を後にした。
今日の試合はこれで終わりだ。明日はもう準決勝になる。
走り回って運動したジェイは腹減った、と呟いた。
「疲れたね」
「そうだな、今日はいっぱい飯食って、ゆっくり休もうな」
「うん」
パタパタと廊下を走ってくるシャルとディーンの足音を聞きながら、二人はそれぞれ小さく欠伸をした。
これで今日の試合はもう終わりだ。明日は準決勝と決勝が待っている。
今日は長い一日だった。
いつもコメントなどをありがとうございます!
お返事が遅くて申し訳ありません。
後ほどお返事させて頂きます。