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21:明かりともる夜

 ばさり、と夜の中に大きな羽音が響いた。

 けれど深い闇に包まれた周囲に人気はなく、それを聞く者は音を立てた本人以外にはいなかった。

 布でもかけられているのかひどくぼんやりとした薄明かりが時折ゆらりと動き、かろうじてそこに誰かがいるらしいことを僅かに伝えるのみだ。

 その深い夜闇を切り分けるにはあまりにも弱い灯りを木々の葉陰に用心深く置いて、シャルはほのかな光で自分の体を点検した。

 しっかり外套を着込んだその背からは真っ白な大きな翼が出ている。

 シャルが恥ずかしいと言い続けていたグリフォンからの贈り物だが、さすがにもう彼女もすっかり慣れていた。

 けれどその存在には慣れても、服を破かずに背中から生えている姿はいつもながら不思議でならない。

 解けない謎はさておき、もう一度大きく翼を広げて異変がない事を確かめると、シャルは視線を正面に戻した。そこにはフードを目深に被った少年が一人立っていた。


「準備はいい?」

「ああ」

 フードに顔を隠した少年――ディーンは頷いた。

 そのフードの天辺には緑色の小さなメダルが二つ取り付けてある。

 さらにその足首にはオレンジ色のメダルが取り付けられ、ディーンはそれを見下ろしてからトン、と地面を軽く蹴った。

 体が一瞬持ち上がり、それから地面に落ちる。その地面に降り立つ時の音は何故だか妙に軽かった。


「いいようだ。頼む」

「わかったわ。じゃあ行くわよ」

 シャルはそういうとディーンの後ろに回りこみ、少し屈んだ彼の両腕の脇に手を差し入れた。二人の身長にはそれなりの差があるのでシャルの方がだいぶ背伸びをする羽目になったが、それでも出来るだけしっかりとディーンの両肩に腕を回し、シャルは大きく息を吸い込む。

「行くわよ!」

 バサ、と背中の翼が大きく羽ばたく。それと同時に、下から風が巻き起こった。


「吹きすさぶ風よ、我が周りにて遊べ。我目指すは空の高み、我が翼を支え空へと運べ!」

 小声で囁かれた言葉によって、二人の周囲を風が包む。

 シャルは風の高まりを体に感じながら慎重にタイミングを測った。

「せぇの、それっ!」

 その言葉に合わせて一際強く舞い起こった風が上へと向かう力となる。

 シャルはそのタイミングを逃さず、地面を強く蹴った。ディーンも同時にそれに倣う。

 激しい羽音と共に、二人の体は空に舞い上がった。

 ディーンはそっと意思を飛ばし、呼んでおいた闇の精霊に自分達の姿を隠すように頼んだ。

 精霊達は喜んでそれに応え、たちまち彼らの周りをうっすらと霧のような闇が覆う。それを見たシャルは羽音は気にせず、さらに高みを目指して風を起こした。

「やっぱり、いくら軽くても、こんな嵩張る物、持って飛ぶのって、やりづらい、わね!」

 シャルはディーンの体を落とさないようにしっかりと抱えながら、途切れ途切れに呟いた。

「……」

 ディーンはそれには応えず、被っているフードが取れないように抑えながら、黙ったまま大人しい荷物に徹していた。


「ふう、着いたわよ」

 奇妙な空中散歩はほんの短い時間だった。

 二人は学部の中央棟にそびえ立つ鐘楼の屋根に静かに降り立った。上級学部の鐘楼は鐘の音を遠くまで響かせる為なのか、かなりの高さの塔になっている。その高い塔の屋根の上ともなれば、広い学園都市が一望できるほどだ。

 ディーンはシャルに支えられながらフードを取り、緑のメダルを外した。

 以前アーシャが作ってくれた物の重さを軽くする魔具が、背の高いディーンをシャルが運べるくらいに軽くしてくれていたのだ。

 だが流石にこの塔の上でもそのままでいたら、風に煽られて落ちかねない。元の体重に戻ったディーンはほっと一息つき、不安定な半円状の屋根の上にしゃがみこみ、どうにか足場を確保した。シャルも丸屋根の天辺に立つ飾りの柱に片手で捕まり、ぐるぐると肩を軽く回して緊張していた体をほぐす。


「やっぱり緊張するわね、人を運ぶのって」

「……してくれなければ困るだろうな」

 気を抜いて上から落とされでもしたらたまらない。

「気を抜いてたってへまなんかしないわよ。ほら、それよりも今度はあんたの仕事でしょ!」

「……ああ」

 へまをしないと言い切る少女に少々疑わしい思いを抱きながら、ディーンは視線を魔法学部の方へと向けた。

 魔法学部棟に隣接する幾つかの魔法競技場の一つに、もう寮の食事も終わる時間だというのにまだ灯りがついている。大きな光球が競技場のあちこちに設置され、眩しい光で闇を追い払ったその中心には、二人の少女が立っていた。彼女らは顔を寄せ合って何事か相談しては、二人で交互に魔法をかけている。どうやら魔法競技会に向けて、それぞれの魔法の確認や作戦の調整をしているらしい。


「どう、見える?」

「ああ。片方は地の防御魔法、もう片方は風を使っているようだな」

「そう。じゃあ割と聞き込みの通りなのかしらね。それなら良かったわ。精霊は使わないの?」

「今のところ使ってないようだな。使えないのかもしれない」

 そう、と小さく呟きながらシャルは手元に持った紙にディーンの告げる情報をこぼさないように書き込んでいった。競技場からの明かりがここまでどうにか届くのでできることだが、それでもやはり暗いので、必要なことだけを短く書きつける。


「片方は風や火の四級中心……風の刃なんかの直接系多し、と」

「もう片方は地の防御魔だが、ランクははっきりわかりにくい。それなりに強度はありそうだということはわかるが」

「地の属性の防御の為の魔法は強くなっても見た目があんまり変わらないのよね。硬度とか範囲が変わるくらいだから、仕方ないわ」

 そう呟きながらもシャルは手を止めない。手元の紙には予め調べた情報と、今見た情報がびっしりと書き込まれていた。


「ふう……こんなもんかしらね。あと何組だっけ」

「アルシェレイアと同じブロックで、競技場での自主練習の予約を入れているチームはあと五組ほどだ」

「じゃあ、あと五回はあんたをここに運んでこなきゃいけないのね……」

「……」

 必要な事とは言え、それを考えると二人の間には何となく陰鬱な空気が流れた。

 シャルとディーンがこんな風に協力して情報収集を開始してからはや二週間ほどが経つ。

 ペア部門に出場する生徒の名簿を手に入れた二人は、アーシャと当たりそうな生徒達の能力などの情報を着々と集めていた。聞き込みをしたり、こうしてこっそり観察をしたりと、地味で退屈な作業だがこれもアーシャのため、と割り切って二人は励んでいる。

 まだアーシャ本人は実習から帰って来ていない。二人は少女が不在のうちに集められるだけの情報を集める気でいた。


「アーシャ……元気かしらね」

「彼女ならどこに行っても変わらないだろう」

「そりゃそうだけど……でもそれも何だか寂しい話だわ」

「そうだな」

 ディーンが返した一言に、シャルは思わず凍りついた。それからぐいと顔を横に向け、何か奇妙なものを見たような表情でディーンの横顔をまじまじと見詰めた。その視線にディーンは訝しげに眉を寄せた。


「なんだ?」

「あんたがそんな事を肯定する日が来るなんて思わなかったわ……明日は槍でも降るのかしら」

「……」

 いつものディーンならここで失敬な、とでも返している所だ。けれど彼は黙り込み、しばし考え込んだ。

 自分でもおかしな事を言ったという自覚が少々湧いたらしい。

「あんたも最近、ちょっと人間ぽくなったわよね」

「……人間以外のものになった記憶はないのだが」

「よく言うわ。あんたが人間らしいとこ見せるのなんて、ジェイが馬鹿やった時くらいだったわよ。自覚がないなら重症よ」

 ディーンはシャルの言葉に沈黙で応えた。

 何事かを考えているのか、少しだけ眉を寄せて眼下に灯る明かりを見つめる。


 その顔をちらりと横目にし、シャルもまた眼下に広がる景色に視線を落とした。

 夜の帳が下りた学部は魔法競技場や教職員の残る窓以外の灯りは全て消え、しんとしている。

 遠くに見える寮や街の暖かな光とは対照的だった。

 シャルは住宅街や寮の方向に見えるそれらの光を見つめながら、不意に口を開いた。


「私……夜に見る窓の灯り、嫌いなのよ」

 唐突なシャルの言葉にディーンは顔を向けた。彼の方を見ないままシャルはぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

「あのいかにも暖かそうな、帰る場所ですっていう灯りを外から見るのが嫌いなの。自分に帰る場所がない事を実感させられるみたいで」

「……そうか」

「けど、最近はね、また好きになれそうだって少し思ってるの。なんとなく、だけどね」

 シャルのその心境の変化がどこから来るものなのか、聞かなくてもディーンにも想像がついた。


「ねぇ。あんたはどうして、ここにいるの?」

「……調査の為だが」

「そういうことじゃないわ。わかってるでしょ。何であんたが、仲間とはいえ他人の為に、こんな夜に屋根の上にいるのかって聞いてるの。どう考えたって、柄じゃないわ。ジェイや私を受け入れるのだって、あんなに時間かかったくせに」

 ジェイとディーンとシャルは、基礎学部の一年からの付き合いだ。

 幼い頃のディーンは口が聞けないのではないかと思うほど寡黙な子供だった。

 あまりの無口と無愛想ぶりに誰もが距離を置く中、めげない事だけは自慢できるジェイが繰り返し繰り返し話しかけ、ようやく友情らしきものを築くまでに至った。

 入学から一年半後、ディーンとジェイが連れ立って食事をしているのを見たクラスメイトは誰もが驚愕したものだ。

 やがてそんなジェイを間に挟んでシャルもその中に加わるようになった。

 シャルのかける言葉にディーンがまともな返事をするようになるまでそれからまた半年ほどかかった事を、記憶力のいい彼女は良く覚えている。

 それを思い返すと、ディーンも今では随分と丸くなったといえる。だがそれにしても、彼がアーシャを受け入れるまでの時間は驚異的に短かった。


「……私ももう子供ではない、と言う事だろう」

「あら、じゃあ今度私の友達をあんたに紹介するわね。紹介しろしろって煩いのよ」

「断る」

 素晴らしい速度で返された言葉にシャルはにやりと笑った。その笑顔を見たディーンは逆に渋い顔を浮かべる。

 はぁ、と深いため息を吐き、ディーンは諦めたように口を開いた。

「……自分でも、彼女を受け入れているはっきりとした理由はわからない。ただなんとなく、目が離せない」

「それは良くわかる気がするわね」

 ディーンは少し考えて、それからやはりわからない、というように首を捻った。


「強いて言えば……彼女が、何も求めず、何も変わらないからかもしれない」

「求めない?」

「ああ、アルシェレイアは、仲間になったばかりの頃も今も、私達に何かを要求しようとしない。例えば……私と会話した人間は必ずと言っていいほど、殆どが言う言葉がある」

「何よ?」

「もう少し愛想良くしろ、もう少し笑え、態度に出せ、などだな」

「そりゃ言いたくもなるわよ。あんたってほんとに無愛想なんだもの」

 それはシャルやジェイも今までに何度も言ってきた言葉だ。

 それでも二人の場合は、その言葉の裏に何の他意もないためディーンは気にはしていなかった。

 けれどアーシャはディーンに対してその言葉を口にした事は一度もない。彼が笑ったことに驚いたり喜んだりはしたものの、それを更に求めるような事はしなかった。


「彼女は一度もそれを言ったことがない。私の態度も気にもしていないようだった。私が闇の精霊を使うことを知っても、きつい言葉を投げた後も、彼女の態度は何も変わらない」

「きつい言葉って、あんた何言ったのよ?」

 ディーンはそれには応えず、ここにはいない少女の事を思い返した。

 ジェイやシャルでさえ、ディーンとさほど仲が良くなかった頃には、彼の無愛想できつい態度に対して落ち込んだり、憤慨したりしていたのだ。けれどアーシャはそんな様子を見せた事は一度もなかった。

 おそらく、人と人の間で当たり前のように交わされる作り事めいた笑顔や人当たりのいい態度を、少女は一切求めていないのだろうとディーンは考えていた。

 少女はいつだってそんな上辺のものよりもその奥にあるものをじっと見定め、そしてそれに対する反応を静かに返す。

 それはどこか人間らしくない、不自然とさえいえるような在り方のように思えた。

 それはまるで、人の定めた善も悪もなく、ただ人の声を聞き、気が向けばそれに少しばかり応える精霊のような。


「精霊のようだと、思うことがある。目を離せば、声が届かなくなれば、すぐにどこかに行ってしまいそうで」

「……そうね」

「だから、気になるのかもしれない。不意に消えてしまわれては困るからな」

「なるほどね……まぁでも、言いたい事はわかる気がするわ。アーシャってば、目を離すとすぐいなくなりそうだものね。何ていうか、ある日突然森に帰っちゃいそうな感じよね」

 まるで懐きにくい小動物か何かのような表現だが、的を射ているとディーンも頷いた。

 シャルは風に煽られて広がった髪を鬱陶しそうに跳ね除けると、ため息を一つ吐いた。

「変わらないって言うのもわかるわ。あの森で……私が役に立たなくても、弱音を吐いても、アーシャの態度は変わらなかったものね。それって何だか、安心するのよね」

「安心、か」

「そう。アーシャは私達に、他の人が求めるようなことを求めないから。可愛くて強い私も、成績優秀な私も、優しくて頼りになる私も、あの子にとっては必要じゃないのよね」

 自分で言う事でもないと思うが、とか、最後のはもともとないだろう、という言葉をディーンは胸のうちだけでそっと呟いた。口に出してこんなところに置き去りにされでもしたらたまらない。

 だがその表現の仕方はともかくとして、シャルの言う事はディーンにも良く理解できた。

 もちろん、人間関係に利害や打算があることを認めないほど二人は子供ではない。二人とてそれを存分に活用してでも求める道を進む覚悟はある。

 けれど同時に、それを持たない者が傍にいるということの安心感も感じているのだ。アーシャの存在は、ジェイとはまた違う意味で二人にとって必要なものとなりつつあった。


「でも……もう少し、求めてくれてもいいとも思うのよねぇ。我ながら矛盾してるわ」

 シャルは弱気な気持ちを映すような小さな声で、ぽつりと呟いた。

 ディーンは彼女らしくないその態度を笑ったりはせず、静かに首を横に振った。

「別に、矛盾している事が悪い事とは限らないだろう。少しぐらい頼りにして欲しいと感じるのは普通の事だと思うが」

 その言葉にシャルはゆっくりと頷き、それから何かを振り払うようにぐっと顔を上げた。


「あーあ、やめるわ。そうよね、頼りにして欲しいって思ったって当たり前だもんね。弱気になってる場合じゃないわ。頼りになるお姉さんポジションを狙ってるんだもん、がんばらなきゃ」

「狙っていたのか……」

「そうよ! だからあんたにそう簡単にアーシャは渡さないんだからね!」

 ビシ、と指を突きつけられてそんなことを宣言され、ディーンはどこかずれた会話にため息を吐いた。

「そういう話をしていたのではなかったはずだが……」

「あら、違った?」

 ディーンの口からまたため息がこぼれた。

 何となくどっと疲れが出た気がして、早く寮に帰りたい気分が彼を襲う。

「とりあえず、目的は果たした事だし帰るか」

「あ、そうね。こんなとこに長くいたら風邪ひいちゃうわ」

 二人は急いで荷物をしまい支度を済ませ立ち上がった。

 シャルはディーンをしっかりと抱え、来たときと同じように風を起こして屋根を蹴る。

 もっとも帰りは飛び立つのではなく滑空するだけでいいので、強い風は必要ないし羽ばたくことも殆ど必要ない。

 その代わり、ディーンは向かい風に煽られないようにフードの端をしっかりと掴んで顔を伏せた。

 その背中の方からシャルの声が響く。


「けど、意外だったわ!」

「何がだ」

 風を操っているせいか、お互いの声は意外なほどはっきりと聞きとれた。

「あんたって、追われるよりも、追うタイプだったのね!」

「……」

 つくづく女というものは、という感想と本日何度目かのため息をぐっと飲み込み、ディーンは慎ましく沈黙を守った。


 後日、魔法学部の女子達の間で、ディーンは意外にも一途系だと言う噂が流れたとか流れなかったとか。

 シャルの言葉を強く否定しておかなかった事を彼が後悔したかどうかは、本人しか知りえないところである。



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