18:二歩目の決意
三人がアーシャの家に着いた頃には太陽はすっかり姿を隠し、夕闇は更にその濃さを増していた。もうそろそろ寮でも夕食の時間のはずだ。
時間を多少気にしながらもシャルはアーシャの家のドアを叩いた。
すぐに中から小さな声が聞こえ、足音と共に誰? と問いかけられる。
「私よ、アーシャ」
「シャル?」
ガチャリと鍵が開き、ギィ、と音を立てて扉が開いた。
中からアーシャがひょい、と顔を覗かせる。
アーシャはシャルとその後ろの少年達の姿を見て少し目を見開いた。
「どうしたの、皆揃って」
「ちょっと話があって……今いい?」
アーシャは少し考えてから頷くと、三人をドアの内側に招きいれた。
「部屋散らかってるんだけど、それでもよければどうぞ」
アーシャに招かれるまま居間に進むと、そこは本当に散らかっていた。
本棚の上や床には呆れるほど大量の本が詰まれ、テーブルの上には開きっぱなしの本と沢山の紙、作りかけの魔具らしきものが所狭しと広がっている。
部屋の端には大きな箱が置かれ、その中には何だか良くわからない道具が沢山詰め込まれていた。
「とりあえず、椅子使って」
アーシャは椅子の上にも置いてあった本を無理矢理移動すると三人に座るよう勧めた。
一階には部屋を隔てるドアのないアーシャの家は、どの部屋も少しずつ目に入る。
彼らが居間に行く途中にちらりと見たほかの部屋も同じような状況のようだった。
以前来た時はきちんと片付いて殺風景なほどだったのに、とその変わりように三人はかなり驚いた。
「ホントに散らかっててごめん、今お茶出すね」
「あ、いいわよ、構わなくて! ちょっと話があっただけなの」
シャルに引き止められ、アーシャはお茶の支度を中断して三人の所へやってきた。
少女も椅子に座って、四人が顔を合わせるとシャルは口を開いた。
「あのね、アーシャ……」
「シャル、待って。悪いんだけど、私に先に話をさせて欲しい事があるの」
だがアーシャは話し出そうとしたシャルを遮った。
「え、うん、いいわよ?」
人の話をちゃんと聞く少女が、誰かの話を遮るなんて珍しい。
アーシャはシャルの了解を得て、何から話すか迷うようにしばし俯いた。
けれど、やがて顔を上げて決意したように口を開いた。
その口から出たのは、誰もが予想もしなかった言葉だった。
「あのね、私……次の野外実習、皆と行かない。約束してたけど、ごめん」
「ええっ!?」
「そんな、本気かよ、アーシャ!」
驚く三人を真っ直ぐに見て、アーシャは固い顔で頷いた。
「……何故だ? あの噂のせいか?」
その表情を見つめながら、ディーンが静かに問う。
アーシャはその問いに少し迷って、それでも頷いた。
「……皆知ってるんだね、あの話。あれが理由っていえばそうかな、やっぱり」
「あんな嘘ばっかりの噂がなんだっていうの! アーシャが抜けたら、それに負けた事になっちゃうじゃない!」
「アーシャ、やっぱり何かあったのか? あの時は何にもないって言ってたけど……」
「あったって言えば、あったみたいなんだけど……あの時は気付かなかったみたい。大した事じゃないよ」
「私達に言えないのか?」
その言葉にアーシャは首を強く横に振った。
「そうじゃなくて……ホントに、私にはどうでもいいことだったから、気付かなかっただけ。今でもやっぱりどうでもいいけど、ちょっとやりたい事が出来たから、皆とは一緒に行けないの」
「アーシャ……あなたが、競技会に参加するって聞いたんだけど、ホント? それと関係あるの?」
アーシャは一瞬沈黙し、それからため息を吐いて頷いた。
三人が心配するだろうことは予想がついていたから、出来ればそれは直前まで知られたくなかったのだが、ばれてしまったなら仕方ない。
「ばれちゃったんだね……そう、私、あれに出ようと思って。ライラスと組んで、ペア部門に出るつもりなの」
「ライラス……? レイアルで会った……確か、君と同じクラスだと言っていた、彼と?」
「本当に出るのね……でも、出るにしても、なんでそいつなの? ペアに出たいなら私と組めばいいじゃない! アーシャだったら大歓迎よ!」
シャルは面白く無さそうにアーシャに詰め寄った。だがアーシャは笑って首を横に振る。
「シャルじゃ駄目なの。シャルは強いもの。だから、きっと勝っても、シャルのおかげだって言われるから」
「自分の実力を示して、噂を消す気なのか。精霊魔法で? だがそれなら、なおの事サポートの意味でもシャルの方が適任だろう?そのくらいならシャルに任せても、君の実力は伝わるはずだ」
魔法競技会は、当然全ての競技が魔法で行われる訳だから、魔法科の生徒以外が出場するのは稀だ。
他の科の生徒が出たとしても回復や補助の魔法の正確さを測定して競うような部門がせいぜいだった。
ペア部門というのはチームを組んで実戦形式の戦闘を行う部門に当たる。
個人と違って細かく部門が別れていないので、魔法であればどんな種類でも使用が許可されている。
二人が組んで試合を行うわけだから、攻撃と防御、補助を分担したスタイルで戦う事が多い。
バランス的にもできればペアの実力は同じくらいである事が望ましい。
当然といえば当然だが、その試合に魔技科の生徒が二人で出場したという話は今まで聞いた事がなかった。
ライラスがどのくらい魔法が使えるのかは判らないが、アーシャが精霊魔法で戦うのだとしても、彼がパートナーでは彼女一人の負担が重過ぎるはずなのだ。
「ううん、私……精霊魔法は使わない」
「えっ?」
「自分で作った、魔具だけで戦うつもりなの。だから、ライラスを無理矢理付き合わせて、挑戦するの」
「魔具だけで!? そんな事できるのか?」
「無茶だろう!」
三人は思わず驚きの声を上げた。
確か魔法競技会では多くの部門で魔具の持込は制限されている。
全ての部門で認められているのは杖のみで、護符の類などはあまり持ち込めない。
それにそもそも魔具というのは補助的な効果を持つ物がほとんどなのだ。
魔具で戦うというからには攻撃的な効果のある物を用意しなければならないのだろうが、それだって大抵はほんの護身用の物を販売しているのしか見た事がない。
ジェイが使っていた符の類だって、自分の力を高めたり制御をたやすくする為のもので、それ自体は大した力はないのだ。
「うん、教授に確かめたらね、ペア部門なら基本的に制限なしだから良いって。攻撃用魔具持ってきても大丈夫だって言われたよ」
「そんな……でも、魔具だけなんて、聞いた事ないわ! 危険よ!」
「制限の無い部門は生徒達の使える魔法が多くなるから攻撃の幅も広がる。それに対応できるのか?」
ディーンの言葉にアーシャは首を傾げた。
「さぁ、わかんないな。でも……やるよ」
ディーンはアーシャの瞳を見つめた。森の色の瞳は少しも揺らがない。
あの時も、少女は引かなかった。
そして今も彼女は同じ目をしている。むしろ、あの時よりも強い目をしているかもしれない。
ディーンは深いため息を吐いた。
「君は時々呆れるほど頑固だな……あの時は、考える時間が欲しいと言った。今回は、何を求める?」
ディーンの言ったあの時、という意味がすぐに判ったのだろう。
アーシャは首を傾げて考えると、やがて笑顔を浮かべて答えた。
「……皆の、隣にいる権利、かな」
アーシャの言葉に、その場にいる誰もが口を噤んだ。
シャルさえも、更に説得しようとしていた口を開いたままアーシャを見つめた。
「この手で……それを、勝ち取れるかなって思って。
そりゃあね、精霊に助けてもらう方がもちろん簡単だけど、それをしても、魔技科の人達はきっとあのまんまだもの。魔技科も、魔技師も、馬鹿にされたまま。だから、この……弱い二本の手で、やってみたいんだ」
アーシャは細い腕を持ち上げて、それを見つめた。小さい手の平と細い指はいかにも頼りなく見える。
それでも、この手の可能性を信じてみたかった。
「でも、まだ私には色々知識や技術が足りないから、その為に時間が必要なの。だから、実習の時間全部当てようと思って……」
一緒に行こうと言った約束を破ってしまう事だけが心苦しかった。けれど、それでも譲りたくない。
アーシャの言葉を黙って聞いていた三人は、静かに顔を見合わせた。
そして、それぞれ深いため息を吐く。
「彼もそれを承諾したのか?」
「うん、かなりごねたけど、一緒に出てくれるって。男なのに自分の技術に自信がないのかって言ったらやる気になってくれたみたい」
「へ、へぇ……そりゃまた……」
そのセリフを自分より三つも年下の小柄な少女に言われたとしたらさぞかし効いた事だろう。
なんだか段々アーシャがシャルに似てきた気がしてジェイは先行きが少し心配になった。
「わかったわ……アーシャがそこまで言うなら、今回はそれでいいわ」
「ああ、仕方ないな」
「その代わり無茶するなよ? ちゃんと飯食うんだぞ?」
「うん、約束する。それで、その……良かったら……次は、一緒に行こうね」
少女が小さく付け加えた言葉に、ジェイは笑って手を伸ばし、その頭をくしゃくしゃと撫でた。
「当たり前だろ! なぁ?」
「そうよ! 次は絶対、嫌だって言っても付き合ってもらうんだからね!」
「君がいないとうるさい人間がいて困るからな」
「何それ! 誰の事よ!」
シャルがディーンに食って掛かるのを見て、アーシャはくすくすと笑った。
カトゥラとした賭けの事をアーシャは口にしなかった。
彼女がペアで参加するのなら、賭けを受けると言った事を。
アーシャはそれを仲間に告げなくても、もう決めていた。
きっとまた、こうして彼らと笑い合うのだと。
アーシャの家を出た三人は無言で寮への道を歩いていた。
何も言わずとも、誰もが少女の言葉を胸の奥で反芻しているのは明らかだった。
誰にも関心を持たなかった少女は彼らに巻き込まれて一歩前に踏み出した。
そして今、自分の足で二歩目を踏み出そうとしている事は分かる。
けれど、それに対して何もしてやれない事がとても悔しかった。
あの森では助けてもらうばかりだったというのに、彼女が戦おうとしている今、何も返す事が出来ないのだ。
じっと考えに沈んでいたディーンは、顔を上げて隣を歩くジェイを見た。
「ジェイ……お前の実家は今回の実習の結果に口を出すか?」
「へ? ああ、いや……夏前に成績表送ったら、一旦は納得したみたいだからなぁ。そこそこの成績維持してりゃ何も言わないと思うけど。それがどうかしたか?」
「そうか……シャル、競技会への参加申し込みはいつまでだ?」
「そうね、確か……あと一週間以内だったはずよ。その後にはもう実習に出かける生徒もちらほら出てくるから」
その返答にディーンまたしばし黙り込んだ。
シャルとジェイが黙って彼を見つめる。やがてディーンは顔を上げた。
「それなら、今回の野外実習は三人で行ってすぐに帰ってこれる簡単な所を選択する事を提案するが、どうだ?」
「そりゃ、別にいいけどよ、すぐ帰って来てどうするんだ?」
「競技会へのエントリーが済んだら、ペア制限なし部門の参加者リストを何とかして手に入れてくる」
ディーンの言葉にシャルはにっこりと鮮やかな笑顔で答えた。
「あら、闇討ち? それなら付き合うわよ」
「えっ、ディーン、お前ついにそこまで……」
ぐい、とディーンは無言でジェイの耳を引っ張った。
背が高い彼ならそんな事もたやすい。
「イデデデ! 嘘! 冗談だって!」
降参と叫ぶジェイの耳から手を離し、ディーンは呆れたようにため息を吐く。
「まったく、誰がそんな事をするか。ただ単に、参加者の得意な魔法や戦法などの情報を集めるだけだ。相手を知っていて悪い事はない。魔具で戦うなら尚更だ」
「それもそうね。それなら私も手伝えそうね」
「むしろ中心になってやってもらわなければ困るな」
「わかったわ」
ジェイは、珍しく協力する気になった二人を何か恐ろしいものでも見るような気持ちで眺めた。
やはりアーシャが絡むと二人は過保護な保護者になってしまうらしい。
だが確かにジェイも、少女のために何もしてやれない事を心苦しく思っている。
魔法を教えてもらったりと色々世話になっているのに、ちっとも返せていない気がしてならない。
「なぁ、俺もなんかする事ない?」
「ない」
「ないわね」
二人に即答されてジェイはがっくりと肩を落とした。
「お前らばっかりずるいぞ!」
「だってあんたの交友関係って武術学部中心だもの。それに魔法の事良くわかんないでしょ?」
「今回は我慢しろ。何事も向き不向きというものがある」
「ちぇー……」
ジェイは不満そうに口を尖らせた。歯がゆい事この上ない。
「応援してやれ。それだけでも違う」
「わぁったよ……」
せめてアーシャがいない間も魔法の練習を欠かさない事にしよう、とジェイは胸の奥で決意した。
少女が教えてくれた事だけでも、せめて完璧にマスターできるように。
それが今の彼に出来る精一杯の事と言えそうだった。