5:引けない理由
シャルがそんな事を考えていると、アーシャが不意に片手を上げて三人の注目を集めた。
「私からも質問」
「何?」
「《森》を選んだ理由は? いや、選ばなきゃいけなかった理由は何?」
シャルとジェイは思い出したくないことを思い出してうっとうめく。
ディーンは質問を言い直した少女の観察眼に少し感心した。ぼんやりしているように見えるがそうでもないらしい、と認識を改める。
誘われたことに流されるだけでなく、その裏にある訳アリの匂いをちゃんと感じ取っている。単なる無謀な学生の冒険心とは受け取らなかったのだ。
自分の理由はたいしたものでないディーンは苦虫を噛み潰したような顔をしている友人二人に視線を向ける。
「特に、えーと、そこの、シャラフィーンさんは気になる」
「シャルフィーナよ! 間違うくらいならシャルって呼んで頂戴!」
「まぁまぁ。けど、何で特にシャル?」
ジェイはいつもの通りシャルを宥めながら少女に問い返した。
んー、と言いながら少女はシャルの少し上の方へ視線を流す。もちろんそこには空があるだけだ。
「火の精霊に好かれる性質でしょ。風の森みたいに、自由に得意な魔法が使えない場所を何でわざわざ選ぶのかと思って」
シャルは思わず声を失った。自分の魔法についてなど一言も少女の前で話していないはずだ。
「……なんでわかるの」
「……」
アーシャは口を開きかけた、がパクリとそれをすぐにまた閉じてしまった。
そして首を傾げて答えた。
「なんとなく? あ、いや、髪の色かな。うん」
「……」
怪しい。
明らかに不自然だ。
確かに赤みが強い茶色の髪は火の精霊に愛されている証と言えなくもない。
だが今の間は何か不自然極まりなかった。
けれどアーシャはそれ以上口を開かず、問いかけるような視線をシャルとジェイに向ける。
実際、現在三学年トップのシャルは火属性三級、詠唱魔法四級、精霊魔法条件付四級などの資格を持っている。どれも三年生の平均を大きく超えているレベルだ。
資格が示すとおり、炎の魔法は大得意、だがそれ以外の魔法は全く使えないということはないが余り得意ではない。
風の森はその風の気の強さにより山火事などの危険を防ぐ為、炎の魔法の使用はかなり制限されている。
許される範囲を越えた魔法を使用すれば問答無用で失格は免れないという。
得意な魔法が使えない魔道士など不利でしかない場所だ。
しかも森の中ではあくまでも、魔道を志すものとしての自制を求められるのだ。
結界によって始めから自動的に無効になっているのなら不便だがさほどの苦労はない。
使えるのに使ってはいけない。
それは魔法を使い慣れた者にとっては何よりも我慢と苦痛を強いられる事になるはずだ。アーシャの疑問はもっともなものと言えた。
シャルとジェイはお互い顔を見合わせると、ため息を一つ吐く。
ジェイはおもむろに自分の服のポケットを探り、小さな封筒をアーシャに差し出した。
「これが答えだよ。見てもいいぜ」
差し出された封筒を受け取るとアーシャはそっと中を覗いた。
中に入っていた手紙を開き、文字を目で追う。手紙は、ジェイに宛てて彼の実家から届いたものだった。
『――嬢の他にも良いお話がいくつも来ています。どれもお前には勿体無いくらいのお話ばかりです。ついては次の夏期休暇には必ず帰ってきなさい――』
一通り目を通した後アーシャは顔を上げた。
「これが?」
「……ああ、まぁその、なんだ。俺んちっていわゆるそれなりの家でさ」
ジェイは言いにくそうに語尾を濁す。
「貴族って奴?」
「ん、まぁそうだな。格としてはそこそこかな? つっても俺は貴族は貴族でも末っ子の五人目、四男坊でさ。家を継ぐ見込みもない、女の方が役に立つのにって言われるような子供な訳だ。
そういう子供は適当に少しばかりの領地か財産を貰って独立するか、仕官して役人にでもなるか、縁がありゃ政略結婚の道具になるのが一般的なのさ。もちろんそうなれば相手は選ぶ権利もないと来てる。
まぁ中には前向きに逆玉狙って社交界を必死で泳ぎまわるのも結構居るらしいけど、俺はそういうのはちょっと、な」
「私の事情もまぁ似たようなものね。私のところは貴族って言っても下も下、爵位を金で買ったただの成金だけど。成金ならではの上への憧れいっぱいの父は三人の姉達を貴族に嫁がせて、手駒が減ったところで私を思い出したって訳よ」
「嫌いなの?」
アーシャの率直な言葉にシャルはにこにこと笑う。
「そうね、好きか嫌いかで言えば大嫌いに入るでしょうね。でも私ももう子供ではないもの。あの趣味の悪い家を燃やしてやりたいと言うほどには思ってないわ。せいぜいいずれ没落すればいいと願うくらいよ?」
その言葉と笑顔に怯えるジェイと見て見ぬふりをするディーンを横目にアーシャは一人、
(人間って怒ってても笑えるんだなぁ)
などと呑気に感心をした。
「それでも、私達はどうにか王都にある貴族御用達学校じゃなくて、この学園へ来れただけまだましだったわ」
「まぁな。好きな事何でも勉強出来るしな。いけ好かない貴族のボンボン達の馬鹿面を四六時中見なくてもすむし、ここを卒業すりゃ実力次第では役人なんかよりちょっとはましなもんになれる可能性だってある」
「じゃあここへ通うのを許してくれたならそのまま独立してもいいってことじゃないの? それ以上はだめってこと?」
「そうね、だめっていうより最初は期待しない子供だったから好きにさせてたけど、惜しくなったというところね」
首を傾げるアーシャに、ディーンが静かに説明してくれる。
「シャルの成績は魔法学科の学年一位だ。炎属性だけなら上の学年でも彼女に勝てない人間は多いだろうと噂されている。ジェイは去年の武術学部の武闘大会拳闘の部で下級生ながら大健闘の五位だった。つまりこの二人は割と有名だ」
自分もそれなりに名が知れている事は口には出さず説明しながらディーンはアーシャを観察していた。
アーシャはへぇ、と感心しながら二人を交互に眺めている。
他の学部や学年の事でも人気の科の優秀な生徒や大会の成績上位者などはかなり顔が知れているものだが、少女は全く知らなかったらしい。
それは先ほど彼女を起こした時にまず名前を聞かれた事から予想はしていたのだが。
「この学園はこの大陸では有名な学校だ。貴族の中には庶民と共に通うのを嫌って敬遠する者もいるが、ここから優秀な生徒が沢山出ていることは皆知っている。国からのスカウトも来るくらいだ。注目度は高い」
なるほど、と頷くアーシャを見ながらディーンは更に続けた。
「この学園で上がった二人の名は王都にも自然と伝わる。加えて、二人ともそれなりに目立つ容姿をしている」
「それなりって何よ! まぁ、顔で判断されるのは不愉快だけど、私が可愛いのは疑いようの無い事実だしね」
「上級学部に進学した辺りから、長期休暇で帰るたびに実家で開かれる集まりに無理矢理参加させられるようになっていやな予感はしていたんだ」
アーシャはようやく納得がいったというように大きく頷いた。
「つまり、家から放置されて、自由にのびのびがんばったら、実力があって顔もいいらしいと言う評判が立っちゃって、お見合い話がきたのかぁ」
「そういうことよ。まったく、冗談じゃないわよ。何を今更! しかもこの優秀な魔道士の卵である私に、王都のお嬢様学校に転校して花嫁修業しろっていうのよ!?」
「そ、親は今まで目にも止めていなかった子供が、実は役に立ちそうな事に気づいたらしくてさ。有難くもふさわしい相手を見つけてやったから学校途中でもとにかく婚約だけでもするように、俺の場合は出来れば王都の士官学校へ転校したらどうだ、と何度も手紙をよこしたわけ」
「断れないの?」
「断ったさ、何度も何度も。そしたらこれさ。今まで育ててやったんだから義務を果たして恩くらい返せ、それが嫌なら道を半ばで諦めるのは惜しいと思わせるだけの並々ならぬ才能でも見せてみろ、とよ。家の誉れになるほどなら有難くも好きな道を許してくださるって訳さ」
お優しいことで、と呟きながらジェイは手に持った手紙を忌々しそうに摘まんでひらひらと振った。
まるで汚いものでも触るかの様子にディーンも苦笑を浮かべる。
「まぁ、そういいつつもその手紙にはそんな事は無理だろう、という含みがたっぷり漂っているな」
「なぁにが無理よ! 転校も婚約も冗談じゃないわよ! なんとしても夏休みの前のこの実習でS評価を取って、あのクソ親父の前に叩きつけてやるんだから!」
「そういうこと。だから、風の森なのさ。三年生がいける野外実習じゃ、成功してS評価を確実にもらえるのはあそこだけだ。無謀でも何でも、俺達の人生がかかってるんだ。なんとしても、夏期休暇前にその並々ならぬ才能って奴を見せ付けてやる」
とてもお嬢様とは思えない悪態を吐いているシャルをアーシャは興味深そうに眺めてふむ、と一つ頷いた。
「ここの学費は家から出てるんじゃないの? 大丈夫なの?」
「その点はまぁ、心配しないでもなかったけどな。でも実家からの仕送りは極力使わないで貯めてるし、いざとなったら奨学金にも挑戦するつもりさ。
まぁ、俺がどうあってもこの学園に居座るってわかれば、俺の実家は中退の汚名を嫌がって学費くらいは出すだろうし」
「ほんと、外聞だけが大事なんて終わってるわよね、お互いに。ちなみに私のところはね、親に放って置かれた私を実質育ててくれた祖母が遺産をいくらか残してくれたの。実家の援助がなくても卒業まではやっていけるし、その後は自分の力で生きていくわ」
シャルは清々しいほどきっぱりと言い切った。
(なんか、この人達面白い)
アーシャはそんな風に思った。
この学園には貴族も金持ちも多くいるが、アーシャが見てきた彼らは皆一様に《貴族》や《金持ち》だった。
先祖や親の築いた階段の上に乗っかり、大きな顔をして周りの生徒を見下している者も沢山いる。
今でこそ寝てばかりいるが、学園に入学した当初アーシャはちゃんと周りの人間と交流もしてみたし、授業もまじめに受けてみたりしていた。
けれど結局興味を引かれる人間は少なく、授業も退屈極まりない。それなら与えられた教科書をさっさと読んでしまって、後は図書館の本なんかを漁って独学した方が面白いと結論を出したのだ。
そうして寝ることと一人で本を読む事で日々を過ごし、三年目に入った今年、アーシャに構う者は無駄に根気がある教授数人くらいだった。
だから彼らはアーシャにとっては久しぶりに見た、面白そうな人達ということになる。
貴族や金持ちに生まれたのに、それらしくする気は全くないらしい彼らはとても面白かった。
皆家族が居るのに、本当なら居場所があるのはずなのにどこか迷子のような顔をして。
自分達の力だけを頼りに決められた以外の人生を切り開くつもりなのだ。
(悪くないかもね)
ここへ来てからずっと退屈していた。
退屈で寝るしか無かったところへ不意に風が吹き込んできた気分だ。
それに、もう一つ嬉しい事があった。
ちら、と長めの黒髪を後ろで一つに縛った背の高い少年に視線を向ける。
(……名前、呼んでもらえたの久しぶりだったな)
ふ、とアーシャは小さく笑った。
そのかすかな笑顔を見たのは注意深く彼女を見ていたディーンだけだったけれど。
「いいね、すごく面白そう」
そう言ってアーシャは片手を差し出した。
「じゃあ、成功させようか」
こうしてこの日、一学年に一つは現れるという、チーム・無謀がついに今年も結成されたのであった。