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教授とシャンバラの時計  作者: L→R
プロフェッサー
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プロフェッサー 4

 食事を終えて船に戻ると、先程の少年が出迎えてくれた。

「お帰りなさい。」

「ありがとう、ただいま。」

 エインはにこりと笑いながら答え、「キミ、名前は?」と訊ねる。

「カルヴィン・マコーリーです。」

 カルヴィンと名乗る少年が応えると、エインはうんと頷いて、「カレーまでよろしく頼むよ、カル。」と言った。

 その後、所用に呼ばれたカルヴィンと別れ、エインとヴィヴィアンは甲板の上に備え付けられたベンチに腰を下ろした。

 部屋に戻ってもやる事がないし、どうせ話すなら外の方が心地が良い。

 何より今朝は空気がいつもより綺麗に感じ、天気も悪くなかった。

「そういえば、ボクの仕事の説明をする約束だったね。」

 約束という程でもないが、確かに昨日、そんな話をした。

「何から話したものか…」と、エインが顎を撫でながら言った。エインの顎は、髭痕の薄い、実に綺麗な顎だった。

「ボクは表立った仕事柄、色々な書物を目にする。

 まだ記憶が間に合うくらい最近の書物から、それこそ神が生まれた頃の大昔のものまで、実に幅広い。

 だが、研究職は本職じゃない。

 研究職で得た知識を使って行う仕事が、ボクの本職、とボク自身は思っている。」

 エインは胸元のポケットから、昨日馬車の中でヴィヴィアンに見せた、アン・ベルトワーズからの手紙を取り出した。

「ボクのところには、頻繁に、このような手紙が届く。

 何か調べ物をしないと解決しない、しかも安易に調べる事の出来ない内容であったり、特別な書物でないとそのヒントを得られないような、そんな状況が発生した時が、このボクの出番であり、ボクの本職でもある。」

 エインが、手紙を太陽に透かした。

「不可解な遺言状。しかも、このボク宛と思われるもの。」

 大体察しは付くのであろう。

 横顔が、企み事でもしているような、悪戯な笑顔だった。

「ベルトワーズ氏は、ボクの本職に深い理解を示してくれる人だったから、大事に出来ないような何かを、ボクにこっそり打ち明けたいんだろう。」

 謎を解きに来い。

 死後出題された謎には、一体何が隠されているのだろうか。

 ヴィヴィアンが手紙を眺めていると、エインがそれを差し出した。

 ヴィヴィアンは再びその手紙を手にすると、丁寧に封を開いて中の手紙を取り出す。

 手紙は、馬車で見た時よりも、よれている気がした。

 何度かエインが読み返したのかも知れない。

「アンはボクの妻になるかも知れなかった女性でね。」

 唐突にエインが言う。

 流石に動揺したヴィヴィアンが、視線をエインに向けた。

「丁重にお断りをしたんだが…。」

 エインは暢気にいい、ずるりと座る姿勢を崩して、うん、と伸びをした。

 会うのは躊躇われるのか。

 ヴィヴィアンはエインの様子から、そう悟った。

 空を見上げると、空の色はいつの間にか、早朝の白から、深い青に変わっていた。

 今朝方、空を覆っていた雲も、風の所為か散り散りになって、流れている。

 そろそろ出港ではないかと思った瞬間に、カルヴィンが走って来て「サー、そろそろ出港です。お忘れ物はありませんか?」と訊ねて来た。

 エインが伸びたまま「ないよ」と笑顔で答えると、カルはにっこり笑って走って行った。

「良い子だ。」

 猫背気味にベンチに座り直したエインが、カルヴィンの後姿に目を細めて呟いた。

「そうですね。」と、ヴィヴィアンも答える。

「不思議な事に…。」

 エインが何か言いかけた瞬間、カンカンカンとけたたましい音が鳴り響いた。

「出港しまーす!」

 音に続いて、船員の大声が響いた。その声に、まだドッグをのそのそと歩いていた乗客が、小走りを始めるのが見えた。

「お、出港か。」

 エインが、ドッグを見下ろしながら言った。

 ヴィヴィアンは、面白げに小走りの乗客を見下ろすエインの横顔を、怪訝な顔で見つめた。

 先程何を言いかけたのか、至極気になった。

 そんなヴィヴィアンの内心を知ってか知らずか、エインは腰を上げた。

「さて、潮風は肌に悪い。部屋に戻って、少し休もう。」

 徐に手を差し出すエインを見上げながら、ヴィヴィアンは手紙を差し出した。返せと言う意味かと思ったのだが、そうではなかったようで、エインは苦笑しながら首を振った。その仕草に意味を理解したヴィヴィアンは、手を握って良いものか躊躇ったが、エインが即座にヴィヴィアンの手を取り引っ張り上げたので、ヴィヴィアンはきょとんとしたまま立ち上がる事となった。

「夕方までにはカレーに着くよ。

 そこからは一晩中馬車に揺られなければならない。

 覚悟しておくれ。」

 申し訳なさそうに眉をハの字に下げながら、エインが言った。

「存じております。」

 ヴィヴィアンはいつもの表情に戻し、静かに答えた。

「有難う。」

 そぐわぬ礼を言って、エインがまだ握っていたヴィヴィアンの手をさらに強く握る。

 が、ぱっと手を離すと、エインはくるりと回って船腹への階段に向かって歩き出した。

「行こう。」

「はい。」

 一つ返事をして、ヴィヴィアンも後に続く。

 ボルドーのベルトワーズ伯爵邸に着くのは、数日後になる。

 それまでに消耗する体力は、並ではないだろう。

 昼でも夜でもいいから、寝ておくがいいかも知れない。

 ヴィヴィアンはそう思い、極力思考も巡らせない事に決めた。


◆ ◆


 ドーバー海峡を渡るのに、それほど時間はかからなかった。

 その間、エインはウトウトとしながら本を捲り、ヴィヴィアンはじっとその様子を眺めていた。

 時折、視線に落ち着かないのかエインがヴィヴィアンに声をかけ、軽く話をする程度の会話はあったが、概ね無言のまま、時間を過ごした。

 やがて、カンカンという音とともに、「カレー、到着!」と言う大きな声が聞こえた。

 部屋に持ち込んだ荷物を調えていると、ドアがノックされた。

「サー、もうすぐカレーに到着です。」

 カルヴィンの声だった。

「やぁ、カル。入っていいよ。」

 エインが声をかけると、カルヴィンが恭しくドアを開けた。

「荷物をお運びします。」

 にっこり笑って言うカルに、エインも笑って返す。

「ありがとう。頼むよ。」

「はい。」

 そう言い、カルヴィンが整え終えた荷物のうち、エインの大きな皮鞄に手を伸ばした。

 すると、「ああ」といい、エインが止めた。

「ヴィヴィアンのボストンバッグを持ってくれないか。これはキミには大きいだろうしね。」

「はい。」

 カルヴィンは素直に従い、ヴィヴィアンのボストンバッグを持ち上げ、先頭に立って部屋を出た。

「時間通りの到着だけど、天候が不安だから、すぐ出航するのかな?」

 エインが聞いた。

「そのようです。夜には少し降るだろうって、船長が言っていました。」

「そうだね。風がないから、それほど大きな波は立たないだろうが…。」

 重いのか、エインが鞄を持ち直しながら「心配だね」と続けた。

「はい。」

 答えるカルヴィンの声も、少し沈んだ。

「まぁ、この船の船員は、殆ど知っているけど、皆優秀だから、大丈夫だよ。」

 エインが笑いながら言うと、カルヴィンが振り返った。

「有難うございます。サー。」

 会話も終わり、甲板に出ると、すぐに船は港に横付けされた。

 船を降りる階段を降り、カルヴィンがヴィヴィアンにバッグを手渡す。

「ありがとう。」

 ヴィヴィアンがお礼を言うと、カルヴィンはにっこりと笑って「またお会いしましょう。」と挨拶をして走り去ろうとしたが、またもエインに腕を掴まれ止められた。

「カル。」

 エインがカルヴィンを呼び、しゃがみ込む。

「誰が見ているか解らないから、チップは渡せないが、代わりに…。」

 言いながら、きょろきょろと辺りを見回す。

「また、ボクらを港で見付けたら、頼むよ。」

 エインが言うと、カルヴィンが大きな笑顔を見せた。

「はいっ!」

 そして今度は勢いよく深々と頭を下げ、船へ走って行くカルヴィンの背中を、エインはふふ、と笑って見送った。

「さて、ボクらも急ごう。足は手配してあるから。」

「はい。」

 ヴィヴィアンが答え、バッグを持ち上げようと屈むと、一瞬早くエインがヴィヴィアンのバッグを持ち上げてしまった。

教授(プロフェッサー)…。」

「いいよ、いいよ。」

 少し慌てるヴィヴィアンを尻目に、エインはすたすたと歩いて行ってしまう。

 エインは背丈こそ高いが横幅はなく、か細い訳ではないが筋肉があるとも思えない典型的な痩せ型の体型をしている。その体で、皮鞄とボストンバッグでは、幾らなんでも重い筈だったが、意外とあっさり持ち、足取りも軽い。

 一足遅れたヴィヴィアンが、早足でエインに着いて行くと、エインが顎で一台の馬車を指した。

「あれだよ。おーい。」

 エインが声をかけると、馬車の陰から品の良さそうな中年男性が出て来て、エインに向かって一礼した。

 そしてさらにもう一人、逆側からも青年が出て来て、同じように一礼をする。

「お待ちしておりました。プロフェッサー・アンダーソン。」

「お迎え、有り難い限りです。アンはお元気ですか?」

 この二人はベルトワーズ家の使用人のようだ。

「はい。お体の具合も大分よくなりまして。」

 中年男性が答える。

「それは良かった。トンプスンさんもウィリアムズさんもお元気そうで、何よりですよ。」

 エインが続けると、二人の使用人は深々と頭を下げた。

「恐れ入ります。」

 そう言い、エインは後ろに着く、ヴィヴィアンを見る。

「ボクの新しい助手。ヴィヴィアン・トーマスです。お世話になります。」

 エインが紹介すると、使用人たちはまた頭を下げた。そして中年男性が手を胸に当て、「わたくしがトンプスン」、そして青年を手で示し、「こちらがウィリアムズです。」と言った。

「屋敷まで、ご案内させて頂きます。」

「お世話になります。トーマスです。」

「トーマス様。」

 トンプスンが一度繰り返し、覚えましたという意思表示をし、

「ささ、本日は天候が芳しくありません。屋敷へ急ぎましょう。」

 そう言って、出発を急かした。

 荷物を二人に預け、クーペに乗り込む。

「ベルトワーズ家の人たちは皆よい人たちだから、安心していいよ。」

 いつ手にしたのか、何冊かの本を脇に抱えて座りながら、エインが言った。

「はい。」

 ヴィヴィアンも返事をして、しかし本が気になる。もしや、と思った。

「教授?」

「ん?」

「教授の荷物の中身、まさか本だけでは…?」

 ヴィヴィアンが眉を顰めると、エインが大笑いした。

「さすがにその心配はないよ、大丈夫。ただ暇潰しがないと死んでしまうんだ。着くまでかかるからね。キミも読むかい?」

 エインがヴィヴィアンに一冊、本を差し出す。

 ヴィヴィアンは、確かにそうかと納得しつつ、本を受け取った。

 書名は『シャングリ・ラ』。

「伝説の都の本ですか。」

「うん。面白いよ。」

 そう言われ、ヴィヴィアンが本をぱらぱらと捲る。すると、一枚の紙切れがひらりと落ちた。

 その紙切れを、大層慌てたエインが即座に拾い上げる。

「ごめんごめん。塵が…」

 言いつつも、丁寧にポケットに仕舞いこんだ。

 塵ではないのだろうが、触れてもいけない事であろう。

 ヴィヴィアンは無言で、本に目を戻した。

 ところどころ、ペンで線や矢印、『?』とメモが書かれていた。

 大抵は、『シャングリ・ラ』や『東の大陸』などという、場所を示す単語に印がついていたが、最後のページまでめくり終わったところで、ヴィヴィアンの手が止まった。

 そこには、何か書いたらしい上から、それを隠すようにして、ぐちゃぐちゃと線で塗り潰してあった。

 微かに『V』という頭文字が読み取れる程度で、あとは解らなかった。

 一連のペンの跡に、ヴィヴィアンはエインの秘密を見てしまったような罪悪感を覚えた。胸が激しく鳴っている。震える手でなんとか静かに本を閉じると、「私には難しいようです」とだけ言って、エインに返した。

 エインは、メモの事などすっかり忘れているのか、「そうか」とだけ言って本を受け取り、そのまま読書に没頭してしまった。

 ヴィヴィアンはその横顔を見つめながら、胸の鼓動が聴こえてしまわないようにと、祈った。


 初めて見る、あの本の、あの落書き。

 どちらの方向へ、分岐したのか…。

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