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教授とシャンバラの時計  作者: L→R
月の港の極東人
30/40

月の港の極東人 9

 クレリーの案内で屋敷を出、三人は屋敷の北側にある石造りの古い建物へ向かった。

 出たちは小さな教会だが、十字架が立っている訳でもなければ、神々の像もない。

 サジュマン家の敷地の端にあるようで、屋敷から三十分は歩いた。

 苔生した石のレンガを積み上げて作った背の高い壁に囲まれ、建物はひっそりと建っていた。

 クレリーはジャケットのポケットに入れた鍵束を出し、一番小さな鍵を掴むと、それを扉の前に張り巡らされた太いチェーンを解くための鍵に差し込んだ。チェーンは建物の側面の壁に端が埋め込まれ、外開きの扉が不用意に開けられないよう、扉の前を両手で塞ぐように回されている。

 開錠されると、チェーンはどさりと地面へ落ちた。

「ポーロ様、大変申し訳ない事ですが…。」

 と言って、クレリーがポーロに振り返った。

 先程クレリーに窘められ、ヴィヴィアンの一言を受けてすっかり意気消沈してしまったポーロは、意図を察して石の扉を手前に引いた。かなり重みがあるようで、ポーロは足を踏ん張り、両手を添えて扉を引っ張る。

 ず、ずずず…と石と石の擦れる音を立てながら、扉は少しずつ開いた。

 人一人通れる隙間を開けて、ポーロがクレリーを見る。

「有難うございます。」

 そう言って、クレリーは中へ入った。

 ポーロが譲ってくれたので、ヴィヴィアンが次に入る。

 中は見た目通りに狭く、何の装飾も施されていない、ただの石の箱のようだった。

 明り取りのために少しだけ開けられた天井付近の窓から、申し訳程度の日光が入るだけで、ランプを点けないと暗くて何も見えなかった。

 クレリーがランプに火を灯すと、漸く物が判別出来る程度に、ぼんやりと明るくなった。

「こちらの祭壇の下から入った通路の奥に、内側からしか開かない扉がございます。

 あの遺跡は真っ直ぐここへ道が続いております。突き当たりにある階段を昇ると、ここに出るのでございます。」

 ゆっくりとクレリーが説明した。

「内側からしか開かない?」

 ポーロが問うと、クレリーは「はい」とにこやかに頷いた。

「内側から施錠されております。鍵は入り口の扉と同じ鍵でございますので、今お嬢様がお持ちの鍵で開くようになっております。」

 説明を受けて、ポーロは祭壇をぐるりと周った。

 その表情は何か言いたげではあったが、敢えて口には出さなかった。

「さあ、参りましょう。」

 クレリーはそう言うと、祭壇の裏へと周る。

 祭壇の裏の床には、小さな木の扉があって、それを開けると地下へと下る階段があった。

 その階段を、クレリーに続いて下ると、屋敷の地下と同じような地下空間が広がっていた。

 屋敷の地下より若干きちんと壁などが施されていて、ところどころが崩れている。

 階段の向かいの壁には、屋敷の地下にあったのと同じ、鉄の大きな扉があった。

「あそこから出て来るのか。」

「左様でございます。

 鍵は内側から施錠してございます。」

 ポーロはそれを聞いて、疲れたように、崩れた少し大きめの瓦礫に腰を下ろした。

 ヴィヴィアンはそんなポーロを横目に見つつ、扉を注視した。

 そうだ。間違いなく、この扉だ。

 記憶では、あの人…、エインはこの扉を開けて出て来る。

 その時、真っ先にすべき事を考える。

 エインは傷を負って出て来るはずだ。

 その手を握る勇気があるか。

 それだけが、問題だ。

 今まで、触れる事など赦されなかった。

 誰に咎められた訳ではない。ただ自分の中で、そういうルールを作ってしまっただけだ。

 何故ならエインは、エインが心を赦した、たった一人の彼の愛する人のものであり、自分が触れてはいけないものだからだ。

 だがその拘りが、その後の結末を決めるなら、そのルールは打ち破らねばならない。


◆ ◆


 中は冷える。

 クレリーが用意したケープのお蔭で、リュリュは冷えずに済みそうだったが、自分はどうしようもない。

 せめても、と、捲り上げていたシャツの袖を下ろした。ジャケットも持って来れば良かった。

「いつ来ても、ここは寒いですわ。」

 カツンと甲高いヒールの音を響かせて、リュリュは堂々と歩いている。

「そんなに頻繁に来ているのか。」

 エインが呆れて言うと、リュリュは少し口を尖らせ、俯いた。

「見て置きたかったんですの。」

「ポーロのために、かい?」

 エインが続けると、リュリュがばっと顔を上げた。ランプ一つの明かりでは十分な光量はないが、それでもリュリュの頬が赤くなったのは見て取れた。

「ちっ…。」

「違わないとは言わせないよ。」

 尚からかうエインを、リュリュが睨み付ける。が、すぐに俯いて、無言になった。そのまま一歩、エインの前を歩く。

 なるほど、とエインは思う。

 両親への敬意として、この”試練”は受けなければならない。だが、ポーロの気持ちも汲みたい。

 彼を何とも思っていないのならば、自分を呼び付けてまで両親の言い付けを守る事はしないだろう。どうにか”試練”の本質を回避して尚、”試練”をクリアする方法があるなら、それを見出したかったのだろう。

 だが、結局大した方法も見付からなかった。

 自分を呼んだのは、最後の抵抗、という訳だ。

「私だって…。

 この”試練”が少し『おかしい』事は承知してますわ。」

 リュリュが呟いた。

「あんな方法で”烙印”を身に宿す事で家を継ぐ事の証明にするなんて、まともな事ではないですもの。

 でも、お父様もお母様も、それを守ったのでしょう?

 小さな頃、父の手のひらに傷を見た事、思い出しましたの。

 父が守った事なら、”試練”の理由を知らなくても、それは必要な事だと信じられますわ。」

 「そうでしょう?」と、リュリュが問いかけた。

「信じると言う事は、無防備になると考えるからね。

 勇気の要る事さ…。」

 エインの言葉に、リュリュが頷いた。

「そうですわ。

 でも、本当は違うんです。」

 前を歩くリュリュが立ち止まった。

「違うんですわ。

 信じると言う事は、決して無防備になる事では、ないのですわ…。」

 そう言って、リュリュがエインからランプを取り、一歩踏み出した。

 ランプの明かりで照らされた先は行き止まりになっていて、入り口と似ても似付かぬ黒い色の不思議な素材で出来た大きな扉があった。取っ手はなく、その位置には奇妙な形が彫られた円柱状の金属が出っ張っている。

「お父様は、この扉を守るために、あの”烙印”を背負ったのですわね。」

 扉を見上げて言うリュリュに、エインが静かに頷いた。

 リュリュはそれを振り向きもせず、感じていた。

「教授は何もかもご存知ですのね?

 この扉の先に何があるかも。

 父が…、何者かも。」

 背を向けたままのリュリュに、エインは再度頷いた。

 知っているとも。

 何もかも。

 エインの無言が意味する答えを察したリュリュが、ランプの蓋を開けた。風で揺れる炎を、扉の金属の出っ張りに翳した。

 金属は見る見る赤くなり、熱を帯びた。

 それを確認して、リュリュがエインを振り返る。

「父は、申しておりました。

 この先にあるものは、あなたのためにあるものだと。

 あなたの手に返すために、祖父から受け継いだ秘密なのだと。

 祖父からの手ではなく申し訳がないけれど、あなたにお返し致します。」

 リュリュはそう言って、顔を歪めた。

「父はこの先にあるものがあなたの手にある事を拒んだ。何故かは解らないけれど、それがあなたのためだと言っていました。

 諦める事が、運命を受け入れる事が、人にとっては幸福なのだと。

 でも、エイン様。

 私は何も事情を知らないけれど、この先にあるものがあなたのものなら、それはお返ししなければならないと思うのです。

 本当は、父のお詫びをポーロにさせたかった。

 でも、ポーロには何の関係もない事ですものね。ならば私がとも思いましたが、ここを見て、その勇気も沸かなかった。

 あなたの手で取り返していただく…。こんな方法しか思いつかなかった事、許して下さい。」

 そんなリュリュに、エインは苦悶の表情を見せて俯いた。

「済まない…。」

 たった一つ、我侭を叶えるために、それを繰り返すたびに、犠牲が増える。

 解っていた事だが、どうしても諦める訳に行かなかった。

 この屋敷に通ったのも、真の目的は遺跡の調査やこの先にあるものではない。

 必要のない傷を負った、サジュマン卿へ頭を下げるためだ。

 屋敷を訪れるたび、サジュマン卿は小言こそ言ったが、それ以上の事は言わなかった。

 恨みの一つも言ってくれれば、と思っては、それが甘えだと自覚を繰り返した。

 なれど、この先にあるものも必要なものに変わりはない。

 この恩は、リュリュに返すべきだ。彼女が、知りたい事を語るという事で。

 エインは赤く熱した鉄の円柱を、右手でぐいと押し込んだ。触れる瞬間、じゅ、と厭な音がして、厭な臭いが発った。リュリュが後ろで息を飲んだのが解った。だが、リュリュは何も言わず、エインを見つめていた。

 円柱が十分窪んだ事を確認し、エインは今度は左手を扉に添え、両手で扉を押した。両開きの扉は、カツンという姿に似合わぬ軽い音をどこからか響かせて、開いた。

 扉の隙間から、リュリュにとっては嗅ぎ慣れない、エインにとっては懐かしい臭いが漂う。

 すんと鼻を掠める油の臭い。

 扉を十分に開け、中へ入るエインに続いて、リュリュも辺りを警戒しながら入った。

 狭い部屋の暗闇の中に見えるのは、見た事のない物体。

 丸みを帯びたそれは、それが何か理解をしなくても、美しいと感じる形をしていた。

「キミのお父様はね…。」

 エインは懐かしそうに部屋を周った。壁沿いに置かれた棚は、扉と同じ材質で、つるりとして、明かりを灯すと汚れ一つない真っ白な色をしていた。その棚すら、エインは愛おしそうに撫でている。

「ボクの親友の息子なのさ。」

「…え?」

 父が親友の息子と言う事は、親友は祖父になる。有り得ない事ではないだろうが、リュリュは不思議な印象を持った。

「ボクらは遠いところから旅をして、”ここ”へ辿り着いた。

 ボクらは一つのチームを成していて、名は”cakravartin”。意を”輪を動かすもの”、即ち”世界を照らす太陽”と言う。

 とある事情で様々な”場所”へ旅立つ事を命じられた、”元の場所”では親友同士だったボクたちは、その使命を果たすために”ここ”に辿り着き、使命を全うするために生きて来た。

 だが…、その中で一人、使命から外れ、私欲を追い求める裏切り者が現れた。

 その私欲は、”世界を乱す”禁忌だった。

 だから、キミのお祖父様を始め、チームの面々はそれを止めようとした。諭そうと思ったんだ。

 でも、裏切り者は誰の言葉も聞き入れなかった。

 彼らは反対もしたが、同情もしてくれた。

 だから、最期の理解として、その私欲を叶えるために必要なものを、隠しておいてくれた…。」

「それが、ここにあるものですのね、エイン様?」

「うん。」

 短く頷いて、エインが棚の上にあった小さな何かを摘み上げた。

 エインはそれを、丁寧にハンカチに包むと、ポケットに入れた。

「エイン様。」

 リュリュの呼びかけに、エインが振り向いた。

「エイン様の”夢”は叶いますの?」

 その表現に、エインが少し驚いた。

 リュリュはふと笑って、エインに歩み寄った。

「祖父から聞いてますの。

 『自分には、その生を全て擲ってでも叶えたい”夢”を持っている親友がいるんだよ』って。

 その方は、たった一人の女性のためにこの世界を敵に回したそうですのよ。

 でも、それにはそれだけの価値があるって…。

 詳しくは教えて下さらないのに、祖父はいつもその話をして、大威張りでしたのよ。」

「…コウが…?」

 エインが思わず呟くと、リュリュはぱっと笑って、

「ええ。やっと祖父の本当の名前がわかりましたわ。

 やっぱり”コウ”というのですね。」

「あ…。」

 してやったりという顔で笑うリュリュに、エインが焦った。

「誰にも言いませんわ。

 今、”ここ”にいる”コウ”様にも。」

「…な…。」

 益々焦るエインに、リュリュは人差し指を唇に当てて見せた。

「祖父からこれも聞いてますの。

 『この世界には、もう一人の私がいるんだよ。歳は違うけどね』って。」

「……。」

「何の話かは相変わらず解りませんわ。だって、祖父が話していた”親友”が、エイン様だなんて、今知りましたもの。

 でも”コウ”という名の祖父と歳の違う方がいらして、その方もエイン様の親友のなんですのね。

 そしてその方は”もう一人の祖父”なんですのね。

 合ってます?」

 楽しそうに訊ねるリュリュに、エインは暫し呆然としたあと、苦笑した。

 コウ。

 コウ・イトダ。

 リュリュの、何事も楽しもうとする性格は、コウそっくりだ。

 懐かしい。

 ”ラ・ロシェルのコウ”は、自分(コウ)の面影を残しておいてくれたに違いないと思った。

 後にやって来る、自分(エイン)のために。

 少し、息が詰まった。リュリュの前では恥ずかしいので、棚を見る振りをして背を向ける。

 息を整え、そこまで知っているなら、と、エインは話し始めた。

「ボクは、キミのお祖父様を”ラ・ロシェルのコウ”と呼んでいる。

 理由は、ボルドーにも”コウ”がいるから。

 ボクが直接知っている”コウ”は”ボルドーのコウ”だが、”ボルドーのコウ”と”ラ・ロシェルのコウ”は”同一人物”なんだ。

 ”ラ・ロシェルのコウ”は、ちょっとだけ早く”ここ”へ来たために、”ボルドーのコウ”と歳が異なってしまった。」

「難しい話ですのね…。

 同一人物なのに、二人いるんですの?」

「正確に言うと、完全に同一な訳ではないんだけどね。」

「益々ややこしいですわ。」

「理解は出来ないだろうと思うよ。そこまで詳しい事を、ボクも話す事は出来ないしね。

 ただ、”ラ・ロシェルのコウ”であるお祖父様から総ての事情を聞かされていたキミのお父上は、”烙印”を背負うせいで、結果としてボクを恨んだだろうし、ボクがしている事の本質を理解してもいただろう。

 ここへボクを踏み込ませまいとしたのは、お父上がした正しい選択だ。

 キミが気にする事でもないし、背負う事でもない。

 ボクが、キミたちに膝を付いて謝らなければならない事なんだ。」

 未だ背を向けたままのエインの内心を、そこで漸く悟ったリュリュは、エインに一歩だけ近付き、言った。

「もう、祖父も父もおりませんわ。

 だから、謝罪の必要もありませんの。

 でも、エイン様はそれでは気が済みませんのね。

 ならば、教えてください。エイン様の”夢”を。

 父や祖父が反対をしながらも同情したという”夢”を。」

 リュリュが言うと、エインが振り返った。視線を交わらせると、リュリュが興味本位ではなく訊ねている事に気付く。

「私も、この家の者ですわ。

 祖父もクレリーも、そして父も、何度もエイン様に助けられたと言っていました。

 何をして頂いたか解りませんけど、でも父が、エイン様がここを訪れる事を拒んだ事で、そのご恩を仇で返す行為をしたと思っています。

 そしてエイン様は、父が手のひらの傷を負って、エイン様のためのものを守らなければならなかったという事実を後ろめたく感じていらっしゃる。

 この時点でお相子じゃありません?

 少なくとも、私にはお相子か、エイン様から頂いたご恩のほうが大きいくらいですわ。

 でも、エイン様はそれでは納得されないのでしょ?

 だから、教えてください。

 エイン様の”夢”を。

 それでお相子にしません事?」

 悪戯っぽく笑って、リュリュが言った。

 やや強引な思想ながらも、精神的並行を取り戻すには結構よい案ではないかと、エインは感心していた。

 ただ、言い出すには、少し躊躇いがある。

 照れ臭さと言う名の…。

 暫し考えたが、リュリュもコウも言い出したら聞かなかった事を思い出した。リュリュがこの提案をした時点で、話さねばならない事は決まったも同然に思えた。

 エインは俯いて苦笑し、静かに言った。

「ボクの”夢”。

 それは、”この世界でたった一人、心の底から愛した人を生かす方法を見付ける事”だよ。」

「誰ですの、その方?」

 その先が最も話し難い。だがリュリュの視線は逸らせぬほど真っ直ぐにエインに注がれている。

 エインは鼻から思い切り息を吸い込むと、ぼそりと蚊の鳴くような声で囁いた。

 その名は、美しく、可憐な…。

「………アン…。」

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