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教授とシャンバラの時計  作者: L→R
プロフェッサー
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プロフェッサー 2

「ヴィヴィ。」

 すれ違い様、声をかけられた。

 誰かと振り返れば、同期のショーンだった。

「決まったんだって、『出発日』?

 本当にいいのかい?

 行けば、『帰れなくなってしまう』のに…。」

 そう言って、昇ったばかりの朝日を背負うヴィヴィを見ながら、ショーンは目を細めた。

 溢れんばかりの白い光の中で、ヴィヴィアンは何にも動じない無表情で頷いた。

「ええ。

 ショーンは、記録係だったわね?」

 ヴィヴィアンが言うと、ショーンが申し訳なさそうに頷いた。

「君より、損も苦労も危険もないポジションだよ。」

「良かったじゃない。

 結婚したばかりで二度と帰って来られない任務なんて、哀し過ぎるわ。」

 抑揚のない、しかし決して感情がない訳ではない口調で、ヴィヴィアンがゆっくりと言った。

 ショーンは、先月結婚したばかりだった。

 妻となったのはショーンの幼馴染の女性で、幼少の頃から変わらぬ愛を貫き、先月、ショーンの施設研修明けと同時に、夫婦となった。

「既婚者は、自動的に『監視役』リストから外される事になっているからね…。」

 ショーンが申し訳なさそうに言い、下を向いた。

 当然と言う顔をして、ヴィヴィアンはもう一度頷いた。

 自分が就いた任務には、候補者リストと言うものがあって、そこに名を連ねるのは、任務遂行能力が足りると判断された者のうち、独身、介護義務のある家族を持たぬ者、扶養者を持たぬ者である。

 候補初期段階でリストアップされていても、結婚、或いは止むを得ず任務に就けない状況に陥った者は、自動的に、無機質に候補から外される。

「当然だわ。それに…。」

 ヴィヴィアンは表情を変えずに言った。

「あの候補者の中なら、例えあなたが残っていたとしても、私が選ばれていたでしょうから。」

 犠牲にするものがない者の中で、さらに求められるのは、任務遂行能力である。

 今度の候補者として上がった者の中では、ヴィヴィアンのその能力の高さはずば抜けていた。

 誰が残り、誰が抜けていようが、ヴィヴィアンに決まっていたようなものだったのだ。

「君は優秀だからね…。」

「そんな事ないわ。」

 ショーンの言葉を、ヴィヴィアンはぴしゃりと遮った。

「何も捨てるものがないだけよ。」

 吐き捨てるヴィヴィアンを、ショーンは少し哀れんだ目で見つめた。

 目の前の同僚はいつでもそうなのだ。

 幼い頃、両親が事故で死に、親戚や兄弟がいなかったヴィヴィアンは、軍管轄下に置かれた養護施設に引き取られた。

 そこでは、基礎教養を始め、将来的に軍部に席を置ける者、イコール軍人として必要な、在りとあらゆる知識と技術を身に付けさせられる。

 何故軍管轄施設に引き取られたかと言えば、それは偶然に過ぎない事で、ヴィヴィアンの出身地が、軍関連地だった事、ただ一つだった。

 ショーンはまるで正反対の生い立ちで、軍官僚だった両親に十分な愛情を注がれて育ち、使命感の元に、自ら軍部に身を置いた。

 その先でヴィヴィアンとショーンは出会った。

 ヴィヴィアンは、何故か笑顔を見せなかった。

 笑顔ばかりではない。

 涙、悔しさ、哀しさ…。

 全ての感情をどこかに置き忘れてしまったかのように、眉一つ動かさず、その無表情を徹底していた。

 しかし、心は澄み、優しく、豊富な知識とチャーミングな顔立ちのお蔭か、彼女が孤立する事はなく、常に誰かが傍にいた。

 だから、哀しいのだ。

 もう二度と『会えなくなってしまう』事が。

「ヴィヴィ…。」

 ショーンが呼ぶと、ヴィヴィが片手を上げた。

「イトダ博士に呼ばれているの。

 ごめんなさい。」

 そう言ってくるりと踵を返し、行ってしまった。

 ショーンは、ヴィヴィアンの背中に、ほんの少しの心細さを見た気がした。

 これ以上話してしまえば、きっと未練が残ってしまうのだろう。

 拒否出来ない任務だ。

 だから、決まってしまったが最期、どうする事も出来ない。

 軍人としてのプライドであろう。

 覚悟の元で、平静を装っているのだ。

 凛々しくもあり、哀しくもあり、そして、頼もしくもあった。

 ショーンがヴィヴィアンを施設で見たのは、これが最期になる。


◆ ◆


 ゆらりと大きな揺れで、ヴィヴィアンは目を醒ました。

 小さな窓から入り込む月明かりが、部屋の中を仄かに照らしている。

 もう一度、ゆらりと大きく揺れた。

 波が高いのか。時化てはいないようだが、風が強いのかも知れない。

 ヴィヴィアンは上体を起こし、部屋の中を見回した。

 隣の寝台では、エインが静かに寝息を立てて寝ている。

 ヴィヴィアンは、音を立てないようにブーツに足を入れ、素早く編み上げ紐を結ぶと、すっと立ち上がった。

 そしてもう一度エインの顔を覗き、寝ている事を確認して、ドア横に吊るした鍵を手に、部屋を出た。

 鍵をして、甲板へと階段を昇る。

 その足音に、船員が何人かぎょっとしながら振り向いたが、ヴィヴィアンの姿を確認し、にこりと愛想のいい笑顔を寄越した。

「揺れが気になりますかい?」

 若い船員に混じって、一人、随分歳を取った船員がいた。

 その船員が、ヴィヴィアンに声をかける。

「いえ。

 風はそんなにないんですね。」

 海を見ながら、ヴィヴィアンが言った。

「この辺りは、海底がでこぼこしててなァ、風が弱くてもこんなに波が高くなっちまうんでさ。

 普段からこんなだから、風が強い日なんざ、大変でさ。」

「でも、この辺で事故が起きるって話は聞きませんね。」

「波の質を理解してる船乗りァ、風の強い日は、沖のほうを迂回して進みますからねぇ。」

 言いながら、船員が指先で海をぐるっとなぞった。

 迂回、と聞いて振り向くと、街灯りがはっきりと解るほど、陸の近くだった。

「アンタァ、先生の弟子かい?」

「はい?」

 一度聞き直して、直ぐに質問の意味に気づく。

「いえ。弟子ではありません。

 メイドとして、昨日から屋敷に就いています。」

 ヴィヴィアンが答えると、船員は、メイドさんかい、と言って頷いた。

「あの先生ァ、何度か船で会った事があってな。

 まぁなんだ、色んな事に詳しくてなぁ。

 この辺の海の事も、俺らより知ってる事もあるんだ。

 大したお人だなァ」

 そう言って、船員がにこりと笑った。

 ヴィヴィアンは笑うでもなく、ただ小さく頷いた。

「研究熱心な方ですから…」

 ぽつりと呟き、海面を覗く。

 まだまだ、目的地までは長い。

 それまであと何度、この波に揺られ、この言葉を聞くことになるのか。

 あと何度、あの寝顔を覗き込み、そっと部屋を抜け出せばいいのか。

 今度こそ、今度こそと思い、繰り返し繰り返し”生きて”来た。

 それでも、繰り返さなくても済む方法は、まだ見当たらない。

 海風で冷えたのか武者震いを起こしたので、ヴィヴィアンは部屋に戻る事にした。

 往きには気付かなかった足音が、還りに妙に気になった。

 足音を立てないよう、そっと歩こうとすると、自然に爪先立ちになった。

 甲板から船腹への階段を下り、壁に手を付きながら廊下を行く。

 ついさっき出たばかりの部屋のドアの前に立ち、ゆっくりとノブを捻ると、予想より大きな音を立ててドアが開いた。

 そっと首を入れ、部屋の中を覗く。と、ヴィヴィアンはぎょっとした。

 寝ていると思っていたエインが、起きてベッドに座って、扉から恐る恐る顔を覗かせるヴィヴィアンに、にやりと笑いかけていた。

「驚いたかい?」

「はい…」

 問われて体勢を直し、部屋に入ったヴィヴィアンは、答えながら「この展開は初めてだったもので…」と言い出しそうになった口を、はっとして抑えた。

 エインはおどおどとするヴィヴィアンにくふふと笑い、続けた。

「甲板のオジサン、いい人だろう?」

「はい。

 お知り合いなのですか?」

「うん。何度か船で一緒になってね。

 腕の良い航海士だよ。」

 航海士だったのか、とヴィヴィアンは小さく頷いた。

 エインはヴィヴィアンの反応に満足気に頷いて、窓の外に目をやった。

 ヴィヴィアンがさっき見たときより、月が東へ傾いていた。そんなに長い事甲板にいたのだろうか。

「ヴィヴィ」

 ぼうっと眺めていると、エインが呼んだ。

「はい。」とヴィヴィアンが返事をすると、エインはちらりとヴィヴィアンを見て、再び窓の外を見た。

「フランスに着くまでは、特に何もないから。

 安心して休みなさい。

 道中、ただひたすら疲れる旅だ。

 着いたら、直に膨大な文字と戦わなければならないだろうしね。

 しっかり休んでくれ。」

 最後に、「君だけが頼りだから」と付け加えて、エインはヴィヴィアンに歩み寄った。

 ヴィヴィアンより頭部一つ分背の高いエインは、ヴィヴィアンを見下ろしながらにこりと笑った。

「はい。教授」

 素直に返事をすると、ヴィヴィアンはベッドへ横になった。

 エインはまた満足気に頷いて、ベッドに腰を下ろし、ヴィヴィアンが寝付くまで、じっと彼女を眺めた。

 やがて観念したように眠りに着いた、難儀で風変わりな自分について来ようとしてくれる頼もしい助手を、エインは愛おしそうに目を細め、見つめた。

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