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教授とシャンバラの時計  作者: L→R
月の港の極東人
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月の港の極東人 3

 歩いている。

 右手には小さなオイルランプを一つ持っている。

 薄暗い道を行く。じめじめと空気は湿り、どこからともなく温く体に纏わりつくようなねっとりとした風が吹いてくる。坑道のような道。でこぼことした岩を掘り進めたようなその道は、意外に広く、天井も高い。

 かつかつと自分の足音だけが響き渡る。あとは風が唸り声を上げるだけで、何も聞こえない。

 この道の先には、アレがある。

 この旅が、また(・・)失敗した時に必要なものが。

 あの人が隠した、大事なものが。

 ずっと分岐点を探している。あの人を守り切るために必要な方法を探している。


 ――コツ。


 分岐かと思っていた道は、そうではなかった。

 悉く失敗し、また旅をしなければならなかった。

 これで終わりにしたい。

 もう心が持たないから…。

 これで最期にしたい。

 だから、アレを探す。今まで一度たりとも触れようと思わなかったアレを。

 アレに触れる事が、残された最後の可能性だから。


 ――コツ…。


 それなのに、いつも邪魔をされる。

 正体は解らない。彼らがなんなのか、解らない。

 だが、彼らはいつもあの人を傷付けるために現れ、消えて行く。

 彼らの正体が解れば、あの人を守れるだろうか。


 ――コツ……。


 足音がする。自分のものではない。

 誰の足音…?

 暗闇の坑道に響き渡る足音が、目の前で止まった。気付けば少し広い空間に出ていて、ランプの灯りが足音の主を暗闇から少しだけ引き摺りだすように照らしていた。

 …誰だ…。

 無言で身構えると、足音の主が突如襲いかかった。物凄い早さであっという間に目の前に現れたそれは、いつもあの人を襲う、アレだった。

 影。

 黒い体に浮かぶ二つの赤い光は、目だろうか。人の形をしているのに、形を明確に捉える事の出来ない、それは正しく影と喩えるに相応しい。

 影が手を突き出してきた。

 寸でのところで避ける。目のすぐ横を、銀色に光るナイフがひゅっと風を斬る。そのままバランスを崩した。足が縺れ、体制を整える事が難しいと判断した瞬間、影が空いている手で首を掴んで来た。

 片手で大人の自分を持ち上げ、あろう事か首を圧し折ろうとしている。

 ぐぅと喉が鳴る。肉が首の骨に擦れ、じゅくじゅくと気持ちの悪い音を立てる。恐怖と焦りに意識が飛ぶ。

「…あ…。」

 やっと出した声に、遠退き掛けていた意識が一瞬戻る。首が折れるのを覚悟の上で、体を揺らして勢いをつける。脚を思いっきり振ると、幸運にも影の頭部に当たった。カランと軽い金属が落ちる音がした。影が衝撃の反動で再度首を掴み圧っして来る。しかしもう一度脚を振り上げると、影は腕を大きく振り、自分は壁に向かって投げつけられた。

「ぐっ…!」

 背中を強く打ち、呼吸が止まった。咳き込もうにも、息が吸い込めない。

 うつ伏せに倒れたまま動けない。

「う…、く…っ。」

 呻き声を出し、何とか呼吸を再開させようと試みる。

 顔を上げると、落ちたランプの脇で影が同じように蹲っていた。頭部を抑えている。痛みを感じるのか。

 そう思っていると、視界の端で、何かが光った。銃だ。相変わらず呼吸すら満足に出来ない状態で、立ち上がる事も当然出来そうもない。だが、あれをどうにかして手中に入れたい。手を伸ばせば届きそうだ。

 あれで、あいつを殺せば…。

 ぐっと腕を伸ばす。少しずつ回復してきた呼吸のお蔭で、徐々に手に力が入る。上半身を起こし、腕で少し前に進み、腕を伸ばす。指先で地面を掴み、一ミリでも一センチでも腕を伸ばす。

 そして、指先に銃が触れた。だが、次の瞬間。

 目の前の銃を、何者かの足が踏み潰した。

 はっとして見上げると、見慣れた顔が自分を見下ろし睨みつけていた。

 その顔にはとてつもない怒りの表情が浮かび、嫌悪や憎しみと感じられるものを自分に向けているようだった。

 全身を、哀しみと絶望が駆け巡った。

 この人を守るためにいる自分が、今、その人の嫌悪の対象になっている。

 それは、未だかつて経験した事のない絶望だった。

 目の前が暗闇になって行く。体が深く沈み、地面に飲まれているような感覚に襲われた。

 痛みと絶望で意識が遠のく。


 何故…。

 あなたを守ろうとしたのに…。

 何故…。


◆ ◆


 走っている。

 右手に持つ小さなオイルランプが、激しく揺れる。

 薄暗い道を行く。じめじめと空気は湿り、どこからともなく温く体に纏わりつくようなねっとりとした風が吹いてくる。坑道のような道。でこぼことした岩を掘り進めたようなその道は、意外に広く、天井も高い。

 かつかつと自分の足音だけが響き渡る。あとは風が唸り声を上げるだけで、何も聞こえない。

 この道の先には、アレがある。

 この旅が、また(・・)失敗した時に必要なものが。

 あの人が、そして自分が、最後の可能性と信じた、大事なものが。

 そして、それを求めてこの道を行くあの人の命を奪う、アレも…。

 何度失敗したか。

 何度間に合わなかったか。

 何度、この道を走ったか…。

 暗闇の向こうで、どさりという音が聞こえた。次いで呻き声が擦る。

 ああ、間に合わない…。もっと早く…。 

 小さな灯りが浮かんだ。ランプが落ちている。

 まさか…。

 灯りに向かって走り続ける。僅かな灯りに影が浮かんだ。

 アレだ…。間に合わなかったのか…?

 走る。岩肌の陰に、あの人の手が見えた。倒れている。

 ああ…。

 何かが込み上げて来る。

 喉が締め付けられる。

 涙が溢れそうになる。

 間に合ってくれ…。

 足音に気付き、影がこちらを見て、すっと闇に溶けて消えた。

 一歩遅れてあの人の下へ駆け寄る。

 倒れるあの人を抱き上げ、首筋に触れる。

 ああ…。また…。

 また間に合わなかった…。

 ぎゅっと抱き締める。

 隙間から、腕が零れ落ちた。

 名を呼ぶ。詫びる。繰り返し、繰り返し…。

 あと何度、この体を抱き起こせばいい…。


◆ ◆


 目が開いた。

 その拍子に、涙が零れた。

 夢を見て泣くなど、久しくなかった気がする。

 いつの間にか眠ってしまったのか、窓に目をやると、外はまだ暗く、月明かりがほんのり部屋へ差し込んでいた。

 ベッド脇のキャビネットに手を伸ばし、ごそごそと眼鏡を探す。指先に、眼鏡が触れた。

 眼鏡を掴んで、ゆっくり起き上がる。

 まだ残っている涙を拭い、もう一度窓を見る。

 嫌な夢だが、繰り返し見る夢だ。

 そして、失敗を繰り返さないために必要な夢だ。

 ベッドから足を下ろし、縁に座って窓を正面に見た。体が妙に疲れていて、思わず膝に肘を乗せ項垂れた。

 ――俺たちは、神様じゃない。

 旧友の言葉が、脳裏を過ぎった。

 確かに神様ではない。自分を神だなどと思った事もない。

 だが、神ではないからこそ、限界を知りたいのだ。

 もう、大切なものを失うのは嫌だ。

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