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教授とシャンバラの時計  作者: L→R
恋する太陽と月
18/40

恋する太陽と月 8

 翌朝。

 待ち合わせを六時頃と決めていたエインとヴィヴィアンは、示し合わせたかのように同時に起床し、同時に部屋を出た。

 廊下で出くわすと、エインが声を殺して腹を抱えて笑った。

「行こう。」

 エインが小さな小さな声で言った。

 屋敷の者はもう既に何人か起きて仕事をしているようで、時折何かしらの小さな音が聞こえた。

 エントランスを出、空を見上げると、東の方に少し雲がかかっていた。

「まずいな…。

 今日は方位角七七度の方角に太陽が昇る。真東よりもう少し北側なんだ。」

 東の空、やや北側にも薄雲が伸びていた。日の出の妨げにならなければいいが。

 しかし、一方で雲は結構な速度で南へ向かって動いてもいた。

「あの速さだと、それなりに強い風が吹いてるだろう。ぎりぎり、雲が散ってくれればいいんだけど。

 取り敢えずは『図書館』に行こう。」

 そう言って、エインは『図書館』へ向かった。扉を開ける時、「あ、鍵掛けんの忘れてたよ。」などと呟いたが、そんな事などどうでもいいかのように扉を開け、脇にあったオイルランプに火を灯した。

 『図書館』は相変わらず真っ暗で、ランプ一つでは殆ど役に立たない。それでも、何度も入った場所だ、足の運び方などは体が覚えていた。

 エインは階段を下り、右手へ曲がった。そして東の『III』の棚を通り過ぎ、隣の『II』の棚の前で止まった。

 近くにあった脚立を登り、二段目に重ねた本棚の二段目から一冊、書物を抜き取る。窓があるようで、後ろからほんのりとした光が溢れた。エインは脚立を下りて、ヴィヴィアンに書物を手渡した。

『Je vous aime.』

 『愛している』という意味のフランス語を刻んだ書物は、この『図書館』に何冊もあった。その中で、一番最初に光を取り込む正解の窓があるのが、北東を背に立っている『II』の本棚にあった、この書物なのだった。

「さて、一先ず後は、光が差すのを待つだけ…。」

 ごそごそとスラックスのポケットから懐中時計を取り出すと、「あと十分か。」と呟いた。

 ヴィヴィアンは、数日前この『図書館』で見た単語を順繰りに思い出ていた。

 『春分点』。『太陽』。『月』。『窓の隙間の光』。

 そういえば、一つ何も使用していない事に今更気付いた。

「教授?」

「ん?」

「『春分点』というヒントは、どこで使うのですか?」

「ああ、あれはね、この”後”なんだ。」

「後?」

「そう。軽いひっかけだね。」

 エインはそう言って、脚立に座った。

「この時点であの『春分点』を組み込んでしまうと、真っ先に狂うのは実施日になる。そうすると、少なく見積もってもその先数カ月は、今日みたいな日は訪れない。

 それに…。」

 エインがヴィヴィアンに手を差し出した。本を寄越せと言う事だろう。ヴィヴィアンは渡されていた書物をエインに返した。

 エインはそれをパラパラと捲りながら、

「あの『春分点』に関しては、きちんとしたタイミングが必要なこの段階では余りに曖昧すぎる。」

 と言って、ヴィヴィアンににやりと笑うと、開いていた書物をヴィヴィアンに見せた。

 そのページには、”おめでとう、エイン! ベルトワーズより”というメモと、ある一文にだけ線が引いてあった。よくよく見ると英文なので読んでみると、『彼女に告げようにも、今考えた言葉はきちんとしたタイミングが必要なこの段階では余りに曖昧すぎた。』と書いてある。しかも、ページの隅に書かれた章のタイトルには『春分点』とあるではないか。

 ヴィヴィアンが眉を顰めると、エインは少少嘲笑気味に鼻で笑って、

「意地悪いだろ? 伯爵はなるべくボクに秘密を解かせたくないんだ。」

 と言って、ぽんと音を立てて書物を閉じた。

「そろそろだな。猶予は五分も無いから、先に説明してしまうね。

 光は恐らく、先ずこの真正面にある変な枝が持ってる槍の先に当たって反射する筈だ。あの槍の先は光の角度から三十度北に向いている。しかも斜め上に傾斜までついている。だから次に光が差すのは、あれだ。」

 と言って、エインが北北東の方角の天井付近を指さした。そこには、天井から吊るされた、これまた妙な形のオブジェがあった。少し光っているので、恐らく銀か何かで出来ているのだろう。

「昨日、ボクが磨いておいたの。埃被っててね…。」

 ケロリとエインが言い、説明を続ける。

「その後なんだが、どうやらこのあいだ予想したみたいに『Je vous aime.』を順々に辿って行く訳では、ないようなんだ。あれはボクの早合点だった、と思う。」

 そう言って、エインはヴィヴィアンに脚立に登るよう言った。そうは言うがエイン自体は動く素振りも見せないので、仕方なくエインが座ったままの脚立を登ると、エインは腰を上げてヴィヴィアンと視線の高さを揃え、ある本棚を指さした。

 そこには、棚上に積まれた書物に隠れて、手鏡ほどの大きさの鏡が置かれていた。鏡には脚が付いていて、上下に首を振れるようになっていた。鏡は少し下を向いている。

「あの鏡に反射した光は、本棚スレスレに北西へ向かう。そして北西の女神像の胸元に当たった光は、本棚の僅かな隙間を縫って、直進する。」

 『図書館』に来た初日にしか意識をして見なかった女神像の胸元には、クリスタルが埋め込まれていた。そのクリスタルは微妙な角度で削られていた。まるでこの謎のために作られたかのように、女神は月を天高く掲げている。

「行こうか。」

 エインが脚立を下り、光の終点と思われる場所へ向かって歩き出した。

 北西の真正面。それはすなわち、南東にある入口の真下だ。

 ヴィヴィアンも後を追うために脚立を一歩下った。

 その時、すっと光が顔を掠めた。

 振り向くと、細い細い光が、エインが抜いた書籍の隙間から差し込んでいた。

 日の出だ。

 光はエインが今し方説明したばかりの順を正確に辿り、折り曲がりながらも決して交差する事無く、エインがたどり着いた南東の本棚の、一冊の書籍にぶつかった。

 急いでヴィヴィアンが向かうと、エインが光の指す書籍を抜き取る。そして、近くにあるランプに灯りを灯すと、書籍を照らした。

 『月と太陽の物語 ペガスス・著』…。

「これはね、ベルトワーズ伯爵が『ペガスス』というペンネームで書いた、最期の絵本だよ。」

 言いながらエインが書籍を抜き取ると、近くでかちりと音がした。

「ふむ…。」

 エインは鼻を鳴らしながら顎を撫でた。そして突然、抜いた書籍の間を覗き込んで、妙な表情を浮かべた。

「動くのかな?」

 呟きながら本棚を押すと、見た目の重さよりずっとスムーズに本棚が奥へ引っ込んだので、エインは本棚の足元にしゃがみ込んだ。ランプを翳すと、細い溝があり、本棚には車輪が付いていた。溝はさらに、左に折れ曲がっている。

「まだ動きそうですね。」

 ヴィヴィアンが言うと、「うん。」と返事をして、エインが本棚を左へ動かす。

 すると、本棚の奥に空間が現れた。

 そこには、薄っぺらく叩きのばした鉄のような素材で出来た、無数の穴の開いた球体があった。球体の下は若干大きめの穴が開き、その下にはランプが置いてある。球体自体は四本の脚が付いていて、床にしっかり固定されている。

 エインは手にしていたランプを遠ざけると、球体の下のランプを点けた。ランプの灯りは球体の穴から溢れ、壁、天井、本棚…、そこかしこに光の点を映した。その様子は、宛らプラネタリウムのようだった。

 エインはランプを灯した後、動作を一切止めてしまった。床に胡坐を掻いて座り、頬杖を突いて呆っとしている。まさか、これで終わりではあるまいなとヴィヴィアンが思っていると、エインがヴィヴィアンを手招きした。

 並んで座る様にという仕草のようだったので、ヴィヴィアンはエインの隣に座った。

「『春分点』。

 春分点とは、南から北へ通る黄道と天の赤道が交わる点を言い、黄道座標の原点で、これは地球の歳差によって西向きに移動する。地球の軸と言うのは少し斜めに傾いていて、すり鉢状を描くように回転している。これを歳差運動と言って、地軸が地球の公転面に垂直な方向にある、黄道北極と黄道南極と言う点を中心に円を描いているように見える。この円上に於いて、地球の地軸と天球が交わる点が天の北極とか天の南極と言われていて、この天の北極に向かって窄んで行く延長線を持っている星座がある。

 それが、伯爵のペンネームでもあるペガスス座。

 このペガスス座には、ギリシャ神話で面白い喩えがあってね。

 ペガスス座はα星マルカブ、β星シェアト、γ星アルゲニブ、アンドロメダ座のα星アルフェラッツという四つの星によるやや上辺が窄まった台形のような四辺形をしているんだけど、ギリシャ神話ではこの四辺形を神が天から地上を覗き込む窓と、そして、この四辺形の内部にある星を、窓を覗く神の目と呼んだ。

 ちなみに、このペガススの南にはうお座がある。うお座は二匹の魚を紐で繋いだ形をしていて、西側の魚の胴体を象るアステリズムを、イギリスでは『サークレット』と呼んでたりする。

 このあいだも話したけれど、今、春分点があるのもうお座だが、正確に言うと、ペガスス座とうお座のもう少し下にある。

 関係ない話になるが、うお座はギリシャ神話にある、アフロディーテとエロスがテュポンから逃げる時に魚になったという話が元になっているとされているが、実は古来メソポタミア文明に由来する星座で、ギリシャ神話では明確には語られていない。

 メソポタミアは旧約聖書と深く関わる土地という指摘もあって、エデンの園はメソポタミアの都市を、バベルの塔はジッグラトを、ノアの洪水は、多くの川で囲われたメソポタミアの土地で頻繁に起こっていた、川の氾濫による洪水を元にした逸話だと言う説もある。

 だから伯爵は、このヒントを『カインとアベル』に書いたんだろうね。そしてカインは嘘吐きだから、日のタイミングを『春分点』を含めて考えると見当違いの結果が出てしまう、と。」

 話し終わるなり、エインは「さて。」と言って、両腕を後ろに突いて天井を見上げた。

「この光の星の中に、ペガスス座がある筈だ。

 さっきも言ったように、ペガスス座は少し歪んだ四辺形のアステリズムを持っている。」

 『図書館』中に映し出された星星は、ランプの炎が揺れるたびに瞬き、『図書館』をあっという間に宇宙にしてしまった。

 細かな点から溢れる星は、一見無秩序に見えて、きちんと正しい位置あった。

 まるで高山で夜空を見上げるが如く、二人は無言で星空を見上げる。

 やがて、ヴィヴィアンが何かに気付いた。

「教授。」

 エインを呼び、階段横にある本棚を指す。

「あれでは…。」

 ヴィヴィアンが指した本棚の脇には、隣の本棚との間に少し隙間が開いていて、後ろの壁が見えている。そこに、大き目の星が四つ映っていた。四つの星の下には、本棚が邪魔をして映る場所が微妙にずれて判り難いが、歪な円を描く星が映っている。その下、ちょうど本棚で隠すように、オイルランプが置いてあった。エインもヴィヴィアンもこのランプには気付かず、今まで火を一度も入れた事がない。

「間違いなさそうだね。」

 エインはそう言って立ち上がると、ランプに近付いた。よく見ると、ランプの内側に細い細い紐のような物が通されていて、その紐は何かに引っ張られているようにピンと張っている。辿ってみると、丁度、ペガススの四辺形の辺りの壁に埋め込まれていた。エインが引っ張ってみたが、紐は抜けなかった。

「今、春分点はちょうどこの辺りの位置にある。」

 言いながら、エインがランプに火を入れると、ランプの炎が紐を焼き切った。

 二分された下の紐はだらりと落ちていき、上の紐を辿って炎が登っていく。

 そして、炎が壁に触れたとき、壁が青白い強烈な光を放った。

「!」

 慌てて視界を覆うが間に合わず、暫し目が眩んだ。

 目を覆う時、何か鋭いものに引っ掛け、エインは右の肘辺りを傷めた。

 焼き付きの残る視界で光った辺りを見ると、壁には煙を立てながら網を張るように埋め込まれた、黒く細い何かがあった。エインは黒い何かを剥がし、指先ですり潰した。それはさらさらともざらざらとも似付かぬ感触を指先に残し、粉々になって床に崩れていった。

「マグネシウム…違うな、アルミニウムかな。マグネシウムでいいのか。」

 何やら呟いて、エインが発光と発熱によってボロボロになった壁を、少し強引に崩した。発光した部分だけが周りの壁とは違う素材で封をされていたようで、壁は簡単に崩れた。

 そして、網の向こうに片手を入れて精一杯なほどに小さな穴が現れた。

 エインが穴に手を入れると、手のひらに何かが触れた。

 掴んで引き摺り出すと、それは封筒だった。

「手紙…ですね…。」

 ヴィヴィアンが言ってエインを見ると、エインの顔には普段から浮かべっぱなしの笑顔がなく、鋭い目つきで手紙を見つめていた。

 エインは暫く手紙を凝視した後、それを尻のポケットに仕舞い、階段へ歩いて行った。

「行こう。この手紙が、あの詩の答えだ。」


◆ ◆


 屋敷に戻るなり、エインは自室に篭ってしまった。

 手紙を読んでいるのだろうが、ヴィヴィアンにはエインの態度が気になった。

 例えるなら、目当てのものが出て来なかった時のような、不満げな態度というような。

 昼を迎え、大広間に行くと、食事を運んで来たクリーブスが言った。

「教授は召し上がらないようですので。お嬢様もお休みですから、お独りのお食事になってしまいますが、ごゆっくり。」

 ヴィヴィアンの椅子を引き、手際よく食事を並べ、クリーブスは足早に大広間を去った。残されたヴィヴィアンは、胸の内に燻る疑問を食事とともに飲み込み、ソファに音を立てて座ると、背に凭れて目を閉じた。

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