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教授とシャンバラの時計  作者: L→R
恋する太陽と月
15/40

恋する太陽と月 5

 エインの昼寝が終わったところで、二人でバスケットの中身を平らげた。

 固焼きのブレッドにチーズとソーセージというシンプルな中身であったが、手が汚れない事、片手で食事が出来る事を考えると、クリーブスとシェフに頭の下がる思いだった。

 食事を終え、それぞれ定位置に戻る。エインは少し気になる書物があったようで、別の本棚へ行ってしまった。そして書物を手にするなり、いつも通り床に座り込んだ。

 ヴィヴィアンのほうは、もう脚立のいらない段まで読み進めてしまったので、今度は身を屈めて次の本を手に取った。

 体を起こすと、風も立っていないのに、オイルランプの炎が揺れた。

 その時、本棚の一部に妙な影が出来た。

「?」

 ヴィヴィアンが顔を近づけると、本棚の左隅に『X』と文字が掘ってあった。

 右端も見てみると、『XI』と掘ってある。

 もしやと思い、エインに声をかける。

「教授。

 棚に、文字が彫ってあります。」

 それを聞いたエインが、にやりと笑った。

「なるほど。」

 立ち上がって、凭れ掛かっていた本棚を見回す。

「お、あった。

 『III』か。多分、ヴィヴィの棚には『X』と『XI』じゃないかな?」

 振り向いて笑うエインを、ヴィヴィが睨んだ。

「ご存知だったのですか?」

 知っていてもったいぶっていたか?

「ヴィヴィ。キミの本棚の左右の棚を見てご覧。恐らく文字は彫ってあるが、一つだけのはずだ。

 ちなみに、ボクの棚の両隣には、左隣の本棚の右端に『II』、右隣の本棚の左端に『IV』と彫ってある。」

 言われて見てみると、確かに両隣の本棚には中央に一つずつしか文字が彫っていなかった。左は『X』、右は『XII』だ。

「時計だね。これは知らなかったな…。」

 エインが呟いた。

「数字は全部で十二だろう。

 東が『III』か。」

 言いながら、エインが二つ隣の本棚に歩み寄り、上から書物をなぞっていく。そして「…あった。」と言って、一冊の書物を取り出した。

 ヴィヴィアンが近付くと、エインはヴィヴィアンに書物の表紙を見せながら言った。

「『カインとアベル』。」

 見せられたヴィヴィアンは、怪訝な顔をする。

「この東の棚は、植物に関する書物が収められている。その中で、それに当て嵌まらない書物は、これだけ。

 恐らくこれが正解だろう。

 さて…。」

 そう言って、エインが書物をパラパラと捲る。

「『カインとアベル』は、旧約聖書『創世記』の第四章に登場する兄弟で、カインが弟のアベルを殺した後、エデンの園の東にあるノドへ逃げた物語だったね…。」

 ページを捲る手を止める事無く、エインが話し始めた。

「『人間が吐いた最初の嘘』を吐いたカインは、神から『カインが耕作を行っても作物は収穫出来なくなる』事を伝えられ、呪いをかけられる。

 だが同時に、人を殺し、嘘を吐いた自分は殺されるのではないかと恐れたカインに、『彼を殺す者には七倍の復讐がある』と伝え、救いもしている。」

 話しながらページを捲る指が、止まった。

 見ると、捲るページがなくなっていた。だが、エインはその指先をじっと見つめている。

「やっぱり最後か。その辺は安直だね。」

 鼻で笑いながら、エインが言った。

 そして、開いている書物の最後尾のページをヴィヴィアンに見せる。

 ヴィヴィアンが見ると、そこには直筆で、何やら書いてあった。

 『equinoxe printanier』。

「『春分点』、ね。」

 エインは顎を一撫でし、にやりと笑うと、尻のポケットからメモを取り出した。そして、再度にやりと笑うと、うんうんと頷いて、ヴィヴィアンを見た。

「春分点は、別名を『白羊宮の原点』という。これは十二星座の『おひつじ座』を意味する。紀元前ニ世紀に、黄道十二宮が整備された時、『おひつじ座』に春分点があったからというのが理由なんだが、春分点自体は天球上では二五八〇〇年周期で西へ移動している。

 キリスト教では、イエス・キリストが生まれた時、春分点が『うお座』にあった。だから、キリスト教では『うお座』は神聖な星座とされている。ちなみに、今も春分点は『うお座』にあるんだよ。

 春分は、一般的には昼と夜の時間が均等である日とされているけど、実際は違う。一日の間にも太陽の黄経は変わるため、春分がその日のいつかにより昼夜の長さに差が出てしまう。キリスト教を始め、国際的とまで言っていいほどに、今は春分が三月二十一日と定められているが、実際には、昼と夜の長さの差が最も小さくなるのは、この四日程度前になる、というのは豆知識。」

 一息に喋って、エインが書物を閉じた。

「これがルールだろう。

 解り易く東西南北で行こうか。次は、『VI』の南だね。歴史研究に関する書物、以外のものがアタリだ。ヴィヴィは『IX』へ行って、探してみてくれ。西の本棚は人類や文明、文化に関する書物を収めてあるから、それ以外のものだね。」

 そう言って、エインは先程までいた本棚へ歩き、本を指でなぞり始めた。ヴィヴィアンも言われたとおりにする。

 中央に『IX』と彫られた本棚の前に立ち、左上から書物を見てゆく。

 『エジプトに見る発展の秘密』、『歩き始めた人類』、『東の国々』…。上段、中段、その下、となぞり、一番下の段の中央で、ヴィヴィアンのなぞる指が止まった。

 『ブッシュマンウサギの生態』。

 これか…。

 ヴィヴィアンは書物を抜き取り、ぱらぱらとページを捲る。そして、やはり最後のページに、メモはあった。

 『Le soleil』。

 そして、『La lune』。

「ありました。」

 ヴィヴィアンが声をかけると、エインも「こっちもあったよ」と答えた。

「南には『Lumiere d'espace dans la fenetre』とあった。

 西には、『Le soleil』と『La lune』…。」

 癖なのか、エインがまた、顎を撫でた。 

「『Le soleil』。これは、太陽という意味のフランス語だけど、太陽は、フランスでは男性冠詞の『Le』を使う。つまり、『だんなさま』は太陽なんだろう。

 このルールで行くと、『娘さん』は『La lune』、月だね。

 問題は『Lumiere d'espace dans la fenetre』の、『窓の隙間の光』か…。」

「まだ、北を見ていませんね。」

「そうだね。」

 そう言って、北に位置する『XII』の本棚へ近付き、すっと書物を取り出すと、手馴れた手つきでページを捲り、やはり一番最後のページで止まった。

「あった。」

 エインはそう言って、次いでくすくすと笑った。

 ヴィヴィアンが首を傾げると、エインが書物を仕舞いながら、面白そうにヴィヴィアンを見た。

「『Je vous aime.』。」

「?」

 ヴィヴィアンがなおも首を傾げると、エインはヴィヴィアンに歩み寄りながら肩を竦めた。そしてヴィヴィアンの真正面に立ち、顔を近づけると、徐に「愛してる」と言った。

 一瞬、ヴィヴィアンが目を見開いた。が、すぐに表情を戻す。

 その様子を、エインは面白いものを見るように眺め笑った後、

「これは、ヒントではなく、答えかな。」

 と言って、懐中時計を見た後、西の『IX』の本棚へ行き、上から下までを目でなぞって、「あ、そうか」と独りごとを言った後、近くにあった脚立に登って、二段目に重ねられた本棚から素早く一冊の書物を取り出した。背表紙には、『Je vous aime.』と書かれていた。

 すると、本棚の後ろから一筋、光が挿した。

「おおっと…。」

 ヴィヴィアンが近付いて覗くと、抜いた本の裏にだけ、隙間が開いていた。よく見ると、長細い窓だった。

「『窓の隙間の光』…。」

「なるほど。」

 エインがにやりと笑ってオイルランプに近付くと、つまみを捻って火を消した。別のランプも消して行く。次々消して、最後のランプの火が消えたとき、窓からの光は、何かを指す光の筋になった。光は『図書館』の真向かいにあるオブジェの銀の部分に反射し、斜め下向きに折れ曲がった後、反対側の壁際に、そのオブジェと真正面に向かい合って立つ同じ形のオブジェの銀の部分に当たり、さらに折れ曲がっていた。

「めんどくさい事、考えたなぁ…。

 まさか、この日のために用意したわけじゃないだろうな、コレ…?」

 ぼそぼそと呟きながら、エインが筋を追った。

 何度か銀色の何かで折れ曲がった光の筋は、『IX』の棚の目の前に、平行に並ぶ本棚のとある本を指していた。

 近付いてみると、その書物にも『Je vous aime.』と書いてある。

「と言う事は。」

 ヴィヴィアンの手元を覗き込んだエインが、その書物のあった本棚と背合わせに並んでいる反対側の本棚を見た。そして、ヴィヴィアンが抜いた書物があった場所とぴったり一致する場所から、一冊抜き取る。

「これも『Je vous aime.』。どうやら、『Je vous aime.』は全部抜くようだな…。

 …が…。」

 エインがくるりと振り返る。そこには、ルールに基くなら同じように並行に並んでいるはずの本棚が、不思議な角度に斜めになって置いてあった。隙間を少し開けて、隣の本棚は、それとは別の角度をつけて斜めになっている。

 そして、光の筋は、その本棚の脇に当たって、途切れていた。

 念のために調べるが、光が差したいものは、それではない事は明白だった。

「つくづくめんどくさい。」

 そう言って、エインが苦笑した。

「どういう事ですか?」

 ヴィヴィアンが訊ねると、エインは首だけで振り向いて、腰に手を当てた。

「光の筋は、『Je vous aime.』を辿っていくようだ。

 そして意地の悪い事に、『Je vous aime.』という本は他にもあるという事。今抜いた二冊の『Je vous aime.』には、どちらにも近くに『Je vous aime.』という本が複数あった。恐らく探せば、あの窓も、もう幾つかあるだろうと思う。

 光は、その先で今みたいに障害物に当たってはいけないから、光が何にも当たらず真っ直ぐ射すべき物に当たる瞬間を見つけなければならない。そして、光の向きは、日や時間帯によって大きく異なる。

 その正解を示すものが、このメモ、という事。」

 エインは尻のポケットからメモを取り出し、ひらひらとさせた。

「本の場所が入れ替わるという危険は…。」

「勿論あるね。

 その場合、この遺書もメモも、意味を為さない。

 ここは、伯爵が亡くなって以降、完全に立ち入りが禁止されていた。元よりここには古い書物しかないし、金目のものはないのは有名だったから、変な賊が荒らす事もない。

 掃除は不要となれば、クリーブスさんを始めとして、他の従者が入ることもなかっただろう。

 でも、それでも誰かが入るときは入るし、誰かが偶然に、重要な書物の位置を変える事だって有り得ない事じゃない。その時は、ボクへ渡すべき物、ボクが探すべき物は諦めるように、という意味もあるだろうと思うよ。

 『奇跡的にこの状態が維持されていた場合のみ有効な遺書』、という事だね。」

 一息序でに、エインが溜め息を吐いた。

「変わり者だよ。

 そしてボクの運命を試している。

 『奇跡』が起きなければ、ボクに『決まり』に従うようにという意味があるだろうと思うよ。」

 「意地の悪い人だ…。」と言って、エインが困ったような顔で微笑んだ。


◆ ◆


 ヒントを見付けた事で、『図書館』に篭る必要性は低くなった。

 エインの提案で、部屋に戻る事になった。

 『図書館』を出る際、エインはヴィヴィアンにバスケットを持つよう言い、自身は書物を何冊か抜き、持ち出した。

 外はもうすぐ夕暮れという頃合で、強いオレンジ色の太陽が、世界を照らしていた。

 屋敷に戻ると、エントランスの花瓶の手入れをしていたクリーブスに、バスケットを渡す。

「夕食はいつも通りでよろしいでしょうか?

 お嬢様はお部屋でお取りになる予定ですが、教授とトーマス様のお食事は大広間にご用意いたします。」

 クリーブスが言うと、エインがにっこりと笑った。

「お願いします。

 アンは熱ですか?」

「はい。

 喉も痛むとおっしゃっていますので、風邪をひかれたかも知れませんが…。

 今、ウィンストンが街へ医者を呼びに向かっております。」

「そうですか。

 部屋でゆっくりがよいでしょうね。

 診察が終わったら、二人で顔を出しますよ。」

「お気遣い有難うございます。

 是非、お部屋をお尋ねください。

 お支度が済みましたら、大広間でお待ちください。」

 そう言って、クリーブスは脇にいたメイドに花瓶の手入れを託し、奥へ消えた。エインとヴィヴィアンも階段を昇り、各自自室へ戻った。

 ヴィヴィアンは整えられたベッドに倒れ込み、寝転がったまま窓を眺めた。

 空は左から右へ徐々に闇が迫り、強い西日がカーテンと窓の影を長く伸ばして床に写している。

 ふぅと溜め息を吐くと、ドアが二度叩かれた。

「はい。」

 返事をするが、何も言って来ない。

 ヴィヴィアンは起き上がり、ドアを開けた。目の前に、エインが立って、笑っていた。

「食事に行こう。」

「はい。」

 エインはヴィヴィアンの返事を聞いて、すぐに階段へと歩いて行った。

 ヴィヴィアンも慌ててドアを閉め、エインを追う。

「食事が終わったら、そのまま大広間でさっきの続きをやろう。」

 そう言うエインの手には、先程『図書館』から持って来た書物があった。


◆ ◆


 大広間の前で立っていたクリーブスが、エインとヴィヴィアンの足音を聞くなり振り向いて、扉を開けてくれた。

 礼を言い大広間に入ると、既に食事は並べられており、つい先ほどバスケットの中身を平らげた胃袋に空間を開けるほどの芳しい香りと、見事な湯気を立てていた。

 さすがに量はどれも少量で、簡単に口に出来る物ばかりだった。

「わがままばかりで、申し訳ありません。」

 エインが苦笑しながら言うと、クリーブスが笑った。

「お気になさいませんように。」

「ありがとう。」

 ヴィヴィアンの椅子をひきながら、エインはもう一度苦笑して、奥のソファを指さした。

「食事が終わったら、奥のソファを使いたいのですが。」

「ご自由にお使いください。食後にお茶をご用意いたしましょう。」

「お願いします。」

 そう言って席に着き、「頂こう。」とスープに手を付けた。

 続いてヴィヴィアンも食事を始め、クリーブスは一旦奥へと去って行った。

 スープは初日に出たじゃがいものポタージュで、今夜のものにはカリカリに焼いたクルトンが塗してあった。

 他には、細かく刻まれてゼリーで美しく固められた野菜に、薄ピンク色の味の濃いソースをかけた物と、少し厚めに切ったローストビーフが数枚、軽くソテーした洋梨とオレンジが並んでいた。

「クリーブスさんは、昔から人の腹具合を鋭く計る人でね。」

 エインがローストビーフを切りながら、話し始めた。

「こちらがお腹が空いていないつもりでいても、次の食事までの間にどのくらい空腹になるかを予想して、適量の料理を用意してくれるんだ。そして好きな時に食べろと言って渡してくれる。

 仕方がないのでその時食べるんだけど、そのあと次の食事までは空腹感を感じず、食事時にちゃんと空腹になる。

 凄い人だよ。」

「でも、教授が読書を始めたら、三日は飲まず食わずになるのでは?

 しかも、風の噂では、お声をかけても聞く耳を持たないと。」

 ヴィヴィアンが意地悪に訊ねると、エインがナイフの手を止めて笑った。

「そんな事もあったな。それだと、さすがに三日分は無理だな。

 外にいる時は意識をするが、屋敷に一歩入ると生活する事に無精になる。

 ボクの命は、ヴィヴィにかかっている。」

 エインが肉からフォークを外し、軽くヴィヴィアンを指した。

「心得ております。

 クリーブスさんにも、学びませんと。」

「頼むよ。」

 お気楽に言うエインを、ヴィヴィアンが上目遣いに見た。

 エインは楽しそうに肉を切っている。

 そういえば、屋敷に来てからを除いて、こんな風に二人だけで食事をしたのは、ロンドン港以来だ。という事は、出会ってそろそろ一週間になってしまう。

 時間が経つのは、早い。

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