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教授とシャンバラの時計  作者: L→R
恋する太陽と月
12/40

恋する太陽と月 2

 カーテンの隙間から差し込む朝陽が、じんわりとヴィヴィアンの瞼を照らし、自然な目覚めを促してくれた。

 目を開けると疲れも眠気もなく、しかし目覚めのまどろみに身を沈めながら、ヴィヴィアンは寝返りを打った。

 良質なベッドのお蔭か、短時間で十分深い睡眠を摂る事が出来たようだった。

「ふぅ…。」

 ヴィヴィアンは小さく溜め息を吐いて仰向けになると、思い切り伸びをした。

 縮まった躰が伸びていく。

 体のバネが戻ったところで、ヴィヴィアンは勢いをつけて起き上がり、部屋の中を見回した。

 広い広い客室だ。大きなクローゼットに、大きなベッド、ベッドの向かいにはドレッサーと洗面台があり、大きな水差しが置いてあった。近付いて覗くと綺麗な水が並々と汲んである。エインの部屋と繋がるドアは、ドレッサーのある壁の端に、ひっそりと佇んでいる。

 廊下へのドアの真正面には一面に窓が広がり、朝陽の射し具合からして、窓は真東を向いている筈だ。

 非常によい部屋だ。

 窓に歩み寄り、カーテンを開ける。夜では気付かなかったが、重く大きなビロードのカーテンは三重になっていて、日の光を完全に遮断していた。

 ヴィヴィアンはカーテンを少しだけ開けたまま、水差しの水を洗面台に入れ、顔を洗った。そして傍らに置いてある拭き取り用の布で水気を拭き取る。布は、アミアンの宿にあったものと同じように、薄手なのに柔らかく、使い心地が良かった。

 次いで結った髪を一度解き、丁寧に脂を拭き取った後、再び丁寧に結い直す。最後に布を軽く水に濡らし、汗を掻いた箇所を拭き取った。

 今夜には風呂を使わせて貰えそうだが、それまで不快な思いを我慢する必要もない。

 身支度を終え、ヴィヴィアンはカーテンを開け放った。窓の外にはどこまでも田園が広がり、地平線からそれほど離れてはいない陽は、小さな森の影を長く伸ばして田畑に映していた。

 風景に見惚れ、暫くぼんやり眺めていると、隣の部屋の窓が開いた。

「おはよう。」

 振り向くと、エインが腰に手を当てて立っていた。

「よい景色でしょ?」

 自慢げに言う。

「はい。

 教授のお屋敷からの風景も、素晴らしかったですが。」

「うん。でも、スケールが違うからね、比較にならない。

 ボクんちの景色も素晴らしいが、こちらの景色も素晴らしい。」

 エインがそう言うと、少し強い風が吹いた。仄かに潮の香りがする。

「風が潮を含んでいるから、当たりすぎると体がベトつく。注意しなさい。」

「はい。」

 エインに忠告され、ヴィヴィアンが頷く。

「さて、もう九時になる。

 そろそろ下に行っても良い頃かな。一緒に来るかい?」

 エインはどうやら、部屋を出るタイミングを見計らっていたようだ。九時という時間であれば、屋敷も朝の支度を終えて落ち着いている頃だろう。

「ご一緒します。」

 ヴィヴィアンが再度頷くと、エインは「よし」と言って部屋に入った。

 ヴィヴィアンも部屋に戻り、窓を閉めると、廊下へ出た。同時に、エインも出て来た。

「さあ、行こう。次いでだから、ちょっと外に出よう。」

 そう言って、階段へ歩き出したエインに着いて、ヴィヴィアンも歩き出す。

 廊下は長く、広い。部屋へ案内されたときには暗闇に溶けて見えなかった廊下の端は、日中でもやはりはっきりとは見えないくらいに遠い。

 つい数時間前に歩いた階段は、屋敷の真ん中を走っていて、天井には大きなシャンデリアが吊り下げられている。そのシャンデリアを釣るワイヤーを中点にした円形の天井の周りを、ステンドグラスを施した天窓が囲い、色とりどりの光を階段や周辺の壁へ注いでいる。中には、壁に飾られた絵画と光が、まるでこの状態が完成であるかように、見事に重なり合っているものもある。その絵画はキャンバスいっぱいに花びらの舞う花畑の風景画で、ステンドグラスの緑色の光は、まるで蔦や葉のように花々と重なっていた。

 足元の赤い絨毯には、金と銀で優雅な植物の刺繍がされ、踏むのが惜しいくらいだった。

「お目覚めですか。おはようございます。」

 声がして振り向くと、一階の階段前で、エインとヴィヴィアンを見上げにこりと笑う執事の姿が見えた。

「おはようございます、クリーブスさん。

 勝手にうろうろさせて貰ってます。」

 エインが言うと、クリーブスは一層笑った。

「もうすぐ朝食のご用意をいたしますので、あまり遠くへお出になりませんように。

 ご用事が済みましたら、大広間まで起こし下さい。」

「はい。ちょっと、ぶらりとしてきますよ。」

「いってらっしゃいませ。」

 深々と頭を下げるクリーブスに見送られ、メイドが開けてくれたエントランスから外に出る。

 正面には、闇の中潜ったポプラ並木の小道が通り、屋敷前の広場との境目には背の高いゲートが聳え立つ。ゲートには大きな可愛らしいカウベルが下がり、時折、風を取り込み「ぼう」という太い唸り声を上げている。そのゲートに連なり、屋敷の周りを背の低い真っ白な柵が囲っていた。

 エインが、ゲートの真下に立ち、ヴィヴィアンを手招きした。

 ヴィヴィアンが駆け寄ると、エインは屋敷を正面に向き、腰に手を当てた。

「階段の天井に、大きなステンドグラスがあっただろう?」

「はい。」

「屋敷の中からだと、少し解り辛いんだけど、あの屋根、実は背の低い円錐形になっている。

 ちょうど、階段の一段目の真ん中を中心にしたシャトーになっていて、その真上の天井が、円錐屋根になっている。

 円錐は八面になっていて、ステンドグラスは、屋根に沿って八枚。

 シャトーの壁にも八枚、絵画が飾られている。

 ある特定の日の特定の時刻、快晴であれば、その陽の光を受けた特定のステンドグラスは、各々決まった絵画と重なり、一つの作品を作り上げる。

 今の季節は、グリーンのステンドグラスなんだ。ちょうど階段を下っている頃の時間が、その完成形が見られる時間だったんだよ。」

 エインに言われ、ヴィヴィアンが頷いて「気になって、見ておりました。」と答えると、エインが満足そうに笑った。

「さすが、ボクの助手だね。

 あんな風に、何かと何かを組み合わせる、という方法で、単体でも完成形に見えるけれど、組み合わせる事で真の完成形を作り上げる、そんな細工を施したものが、この屋敷には山程ある。

 退屈したら、屋敷を探索するといい。ただ、絵画とステンドグラスのように、時間や日付が決められているものもあるから、そういうものは残念ながら、この滞在中では見られないけどね。」

 そして言い終えるなり、エインは笑顔をふっと仕舞いこんで「それから…」と言い、屋敷から西側へ伸びる小道を指差した。道の向こうには、小さな森が見える。

「いいかい、ヴィヴィアン。

 あの道は、絶対独りでは歩かない事。

 特に、あの道の先にある小さな森へは、絶対に近付かない事。」

 怪訝に思い、指先からエインへ視線を移すと、エインは真っ直ぐヴィヴィアンを見ていた。表情は硬く、険しく、微かに哀しそうだった。

「約束してくれ。」

 念を押すように言われ、ヴィヴィアンは戸惑いつつも何も聞かずに頷いたが、それを見ても尚、エインは不安げに森へと目をやり、暫く動かなくなってしまった。

「…教授?」

 心配になってヴィヴィアンが声をかけると、エインは「うん」と返事だけして、目を閉じて深呼吸をした。それからやっとヴィヴィアンを見て、微笑んだ。

「お腹空いたね。」

 言葉と表情とは裏腹に、声には若干の不安を含み、エインはヴィヴィアンの返事も聞かぬまま、屋敷へと歩いて行ってしまった。ヴィヴィアンが慌てて追いかけると、今度はすっかり先程の様子など伺えぬほど普段どおりににこりと笑いながら、エインが振り返った。

「食事が済んだら、君を紹介しなければね。」

 そして再び見た前方には、クリーブスが二人を迎えるべく、立っていた。


◆ ◆


 クリーブスに案内された大広間は、煌びやかな装飾のあしらわれた調度品を所狭しと並べた、優雅な部屋だった。東側の大シャトーの一階にあり、東から南に掛けて大きな窓が並び、西側の壁には沢山の絵画が飾られている。

 広さはヴィヴィアンやエインに宛がわれた客室の数倍はあるだろうか、部屋はさりげなく二分され、入って手前には大きな丸いダイニングテーブルの一式が、奥にはソファセットが置かれていた。

 故ベルトワーズ伯爵の意向により、貴族などが愛用する長いダイニングテーブルではなく、より賑やかに食事の出来るこの大きな丸いテーブルを用意したのだと言う。

 各テーブルの淵には細かな装飾が施されていたが、料理や食器、飾られた花花を邪魔しないよう配慮されたデザインである事は明確で、調度品などに明るくないヴィヴィアンにも、伯爵の人柄を捉える事は十分可能だった。

 そのテーブルに並べられた料理は、まさしく今出来たばかりと湯気を立て、エインとヴィヴィアンを出迎えていた。

 ヴィヴィアンは、クリーブスとエインに窓の脇の席を薦められた。頷くと、エインが椅子を引いてくれた。腰を掛けると、その隣、窓を真正面に見る席にエインが座り、クリーブスが料理を取り分け始めた。

 料理は、道中、食事も簡単で質素なものが多かった事を見越し、胃が驚かないよう、野菜を中心とした軽いものが多いようだった。

「今は最低限の使用人しかおりませんもので、大した御持て成しも出来ません。

 ご容赦ください。」

 そう言いながら、クリーブスが細く短くスライスしたラディッシュをこんもりと乗せた皿をヴィヴィアンの前に置いた。

 食材に施された作業はどれも丁寧で、詫びられるようなものではない。

「葡萄の香りがしますね。」

 ヴィヴィアンがラディッシュに少し鼻を近づけ、言った。

 クリーブスがにこりと笑う。

「お解りになりますか。

 屋敷の畑で取れたラディッシュを、絞り立ての葡萄果汁で数日間浸けこんだものです。

 今からお掛けするソースにも、葡萄果汁を混ぜ込んでおります。

 ラディッシュの下にはじゃが芋と豆のポタージュがございます。ラディッシュと葡萄のソースと、総て混ぜて召し上がってください。」

「頂こう。」

 クリーブスの説明を受け、エインがスプーンを手にし、食事が始まった。

 頃合いを見ながら適度に出される料理は、どれも気兼ねなく口に運べ、胃に流れるものばかりだった。

 朝から出された肉ですら柔らかく叩き崩され、葡萄果汁で甘く香りづけをし、少量のバルサミコ酢で仕上げたすっきりとした料理で、軽々平らげる事が出来た。

 眠気はないが睡眠不足ではある体に対して、きちんと食事が出来ると言うのは、有り難い事だった。

 一通り平らげ、腹も満たされたところで、傍らのグラスに紫色の液体が注がれた。

「ワインではございません。

 料理にも使用した葡萄果汁に、リンゴと、オレンジやレモンなどの柑橘類の果物を浸けこんだ飲み物です。」

 言いながら、クリーブスがエインを見、悪戯気味に笑った。

「教授が申されますには、朝から飲酒は脳に宜しくないそうで。」

 言われたエインも笑い返す。

「そうですよ。朝はジュースに限るね。」

 二人の会話を聞きながら、ヴィヴィアンは一口、ジュースを口に含んだ。甘酸っぱい柑橘類の風味と、葡萄の渋みが面白い味だった。

「いかがですか?」

 不思議そうにグラスを眺めるヴィヴィアンに、クリーブスが笑った。

「素敵ですね。」

「有り難うございます。」

 ヴィヴィアンの性格を見抜いているのだろう。無表情にして簡潔な感想に、クリーブスは満面の笑みを浮かべた。

「さあ、あちらのソファへお移りください。

 昨夜、とてもよい洋梨が手に入りましたので、シェフがフルーツケーキを焼いたのです。

 食後のデザートとしてお運びしましょう。

 お嬢様も、じきにいらっしゃいますので。」

 そう言って、クリーブスが一度奥へと消えた。

 エインとヴィヴィアンがソファセットへ移ると、最小限の音を立てながらメイドが食器類を片付け始める。

 きびきびと動くその様子に、ヴィヴィアンは少し、後ろめたくなった。元来、自分の位置づけは、彼女らと一緒だ。

「気にする事はない。」

 横目でメイドを見るヴィヴィアンに、エインが微笑んだ。

「君には、ボクを手伝うと言う仕事がある。

 彼女らと君は、似て非なる者。ここでの君の役割は、彼女らと同じではないよ。」

「…はい。」

 エインに言われて返事をして、ヴィヴィアンは窓の外へ目をやった。朝陽は相変わらずさんさんと部屋へ注がれ、少し肌寒い部屋をほんのりと温めている。

「おはようございます。お二人。」

 いつの間にかメイドも引き、暫し無言になった二人だけの空間に、アンの声が響いた。

 振り向くと、薄いピンクのドレスに身を包んだアンが、朗らかに笑っていた。後ろには、ワゴンを押すクリーブスを従えている。ワゴンには、ティーポットとティーソーサーを乗せた大きな銀のプレートと、先ほど言っていたフルーツケーキを乗せた大皿が並んでいる。

 アンの姿を見るなり、エインが立ち上がって、アンに歩み寄った。

 ヴィヴィアンも、エインに倣って立ち上がり、しかし歩み寄りはせずに振り向くだけにした。

「おはよう、アン。」

 エインがアンの手を取り、部屋の一番奥にあるソファへ誘導した。そして、ヴィヴィアンに振り向き、

「改めてご紹介をしなければ。」

 と言った。

 ヴィヴィアンも頷き、アンへ挨拶をする。

「ヴィヴィアン・トーマスと申します。」

 他に言う事もなく、名乗るだけにすると、エインが補足した。

「ヴィヴィは、ボクのところに来たその日に、スコットランドを出る羽目になったんですよ。」

「まぁ、それは大変でしたのね。

 ごゆっくりなさっていってくださいな。

 わたくしはこんな体ですので、あまりお目にはかかれないかも知れませんけれど、屋敷の中は自由にお使いくださいね。

 困った事があれば、そこのクリーブスをお探し下さい。

 ああ、教授でも大丈夫ですわね。」

 言いながら、アンがエインを上目遣いに見た。

 エインが苦笑する。

「アンは、生まれつき胸の病気を患っていてね、外に出るのもままならない。

 時々、部屋へ行って、話し相手になってあげておくれ。」

 エインが言うと、「お待ちしてますわ、ヴィヴィ。」とアンが笑った。

 胸の病か。

 目の前のアンは、昨夜の青白さより若干の生気はある肌色ではあるけれど、昨夜と同様に華奢で、触ると折れてしまいそうなガラス細工のようだった。昨夜と違って結い上げた髪も、美しいブラウンではあるものの、どこかに病の気を感じる艶が見てとれるのは、思い込みによるものだろうか。

 ヴィヴィアンより若い歳にして、ピンク色のドレスが似つかわしくないのも、同様なのだろうか。無理をして明るい色を着た。そんな印象だった。

 頬はふっくらとして愛らしいのに、赤みがない。目もくりくりと大きいのに、見つめられると目を背けたくなる。

 ヴィヴィアンは、「はい」とだけ返事をして、アンに解らないよう、唇を噛んだ。

「お二人とも、お座りになって。

 シェフがフルーツケーキを焼いてくれたそうですわ。」

 アンが、ヴィヴィアンの後ろにいたクリーブスを見て、着席を促した。

 クリーブスはいつの間にか、フルーツケーキを切り終え、紅茶も注ぎ終えていた。

「洋梨の焼き菓子でございます。

 昨夜手に入りました洋梨と、屋敷の畑で採れた葡萄とオレンジを日干ししたもの、近くの森で採れる木苺を入れて焼き上げております。

 ラム酒の代わりに、ワインを使用しております。」

 「若干強めですが、問題ないでしょう。」と付け加えて、エインをちらりと見る。

「お嬢様が昨夜、カヌレを焼きましたので、添えさせていただきました。」

 クリーブスの言うとおり、彩色豊かなケーキの隣に、蜜蝋の照りが残る小さなカヌレが乗っている。昨日だったか、エインが言っていた、”アンのカヌレ”とはまさにこれの事だろう。

 配られた皿の菓子に、アンとエインがフォークを刺すのを待ってから、ヴィヴィアンもカヌレをフォークで切り分け、口に入れた。なるほど、確かに焼き菓子職人も顔負けをするほどの味である。フルーツケーキもクリーブスがわざわざ洋梨と付けるだけあって、洋梨の味を存分に出した素晴らしい味だった。

 少し雑談をしながら、菓子を食す。料理を一通り平らげているのに、まだ口に運べるほど、デザートの味も良かった。

 甘いものを食べた事で満たされたのか、ようやく腹もいっぱいになり、そのタイミングを待っていたのか、エインが突然切り出した。

「さて、アン。

 早速、本題に入りましょう。」

 アンもそのために顔を出したようで、エインに言われるなり、即座に一つの封筒を取り出した。

「これが父より預かったものです。」

 アンが封筒を渡すと、エインは、受け取った封筒を丁寧に開けた。中にはきちんと折り目をつけて三つ折にされた数枚の手紙と、もう一つ、封筒が入っていた。中の封筒はきっちりと封蝋がしてあり、開けられていない事を物語っていた。封筒の表には、エイン・アンダーソンへと認められたベルトワーズ伯爵のものと思われる直筆が見えた。

「手紙は、私宛のものです。

 封筒は、教授宛のもののようですわ。」

 アンが言うと、エインが手紙を開こうとして、手を止めた。

「読んでも?」

「どうぞ。」

 アンの返答を聞くなり、エインは手紙を開き、読み始めた。あっという間に二枚目、三枚目と読み進め、そして手紙を折り畳んで仕舞うと、アンにそれを返した。

 次いで、エイン宛と言う封筒を手にし、封蝋を弾くようにして封を開けた。

 中にはアン宛の手紙と同じように、きちんと折り目をつけて三つ折に畳んだ手紙が数枚、収められていた。

 エインは折り目の山を丁寧に崩しながら手紙を広げ、今度はじっくりと読み始めた。手紙を捲る指先にまで神経を遣っているかのように、動作もゆっくりとしている。

 ヴィヴィアンは、エインの表情をじっと見た。出会ってからここまでの道中、常に動いていた口は、今はきつく結ばれている。伏目がちの目許からは、抱く憂いが滲み出、しかしそこはかとなく、懐かしさに浸っているようにも見える。

 大層な時間を使って手紙を読み終えた後、エインは手紙を一度折り畳み、なにやら封筒を裏表に引っ繰り返して見たあと、ヴィヴィアンに読むよう仕草をしながら手渡した。

 ヴィヴィアンは指示通り、手紙を受け取り、丁寧に開き、熟読をした。

 手紙の内容は、何の変哲もない、内容だった。

 死去する随分前から心臓の病を感じていた事、今の医療では助かる見込みはないという行で始まり、エインへの感謝と、尊敬を込めた言葉の数々と、遺す娘アンの身を案じ、彼女を託す文章が綴られていた。

 ヴィヴィアンは、読み終えた手紙を丁寧に折り畳み、封筒へ仕舞う。

 と、手元できちんと持っていた筈の封筒がずれた。ヴィヴィアンが驚いて封筒を裏返してみると、受け取った時には気付かなかったが、手紙を三つ折にしたのと同じ大きさの、一枚のメモが重なっていた。

 メモには、不可思議な文が記されていた。


  こんにちわ 娘さん

  こんにちは だんなさま

  ぼくを愛してるってほんと?

  ほんとなのかい?

  あら 違いますのよ

  感違いなさってますよ

  でもこちらへどうぞ まあいいけど

  さようなら娘さん またね


 何かの詩だろうか。

 何を表しているのだろうか?

「…?」

 微かに眉間に皺を寄せ、ヴィヴィアンがエインを見ると、エインは何かを含むように笑っていた。

 どうやら、エインに宛てられたアンの手紙にあった『不可思議な遺書』とは、このメモを指す様だ。

「アン。

 有難う。手紙は受け取りました。

 ところで、この不可思議を解明するために、『図書館』をお借りしたいのですが、よろしいですか?」

 エインが言うと、アンはにっこりと笑った。

「あの『図書館』の書物は教授のものですのよ。

 お好きに使ってくださいな。」

 アンの言葉に、エインが笑った。

「何を言うかと思えば。

 あの書物は、父君の大事な遺品ですよ。

 とは言え、少しお借りしなければなりません。そのためにボクもここへやって来ましたし。

 自由に使わせてもらいますよ。」

 言うなり、残っていた紅茶を啜り、エインが立ち上がった。

 すると、クリーブスが歩み寄って、エインに何かを差し出した。

「鍵でございます。

 もう随分締め切りにしておりますので、埃が積もっているかも知れません。

 掃除が必要でしたら、お申し付けください。」

「有難う。」

 そう言いながら、鍵を受け取ったエインは、ヴィヴィアンに目配せをして、「では」と言って大広間を出て行った。

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