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奴井が飛び降りてから数か月後、彼が復学したのは長雨の続く5月のことであった。
車いすで登校した彼を迎え入れたクラスメイトは、そのほとんどが見覚えのない顔ぶれだった。
新学期開始に伴い、クラス替えが行われたようで、彼らは奴井を遠目にひそひそと噂話に盛り上がっていた。
「飛び降りた奴じゃん」
「でも、事故って聞いたよ」
「いやいや。前のクラスでイジメられてるって聞いたぜ」
「結構かっこよくない?」
最後に聞こえてきた言葉に奴井は、整形してもらった鼻を得意げに鳴らした。
「おい猿雅! 喉乾いた!」
「いやいや、もうすぐチャイム鳴るから!」
耳障りな声に、すぐに顔をしかめた奴井は後ろを振り返った。
そこには数少ない見覚えのある生徒──豪田と猿雅、そして数人の女子──がいた。
そしてその中には御門野の姿もあった。
「使えね~」
「後で買ってあげるから。ぼくちゃんは何味が良いのかな?」
豪田からヘッドロックを受ける猿雅に周りはゲラゲラと笑い声を上げ、御門野が仲裁に入っていた。
賢いと、ここまで分かるんだ……
仲裁に入った彼女の顔を面白くなさげに見る周りの女子の視線に気づいた奴井は、徐に立ち上がるとその集団に向かって突撃した。
「豪田君、猿雅君に話があるからちょっといいかな?」
「は? 誰お前?」
「奴井君だよ。ホームルームで先生が言ってたでしょ?」
御門野が説明をするが、なおも猿雅の首は締まり続ける。
奴井は黙ったまま、豪田の腕を左手で掴み、軽く握り込む。
「って!」
「放してくれてありがとう。さて、猿雅君はクラス委員だったよね?」
「そ、そうだけど……」
「暫くの間、移動教室の時とか階段の上り下りの時に手伝ってくれるとありがたいんだけど、いいかな? 恥ずかしながら頼めそうな友達もいないし、頼めるのなんて委員長ぐらいしか思いつかなくてさ」
「あ、ああ、先生から聞いてるよ。任せてくれ……」
「助かるよ。ありがとう」
そう言い終えると、奴井の計算した通りに予鈴が鳴った。
「それじゃあ」と別れを告げた奴井は踵を返す。
その表情は、後ろにいる御門野の顔を思い浮かべて実に満足気であった。
「気持ち悪い……」
背中から微かに聞こえた男の声は、奴井にとって、負け惜しみ以外の何物でもなかった。
振り返りたくなる気持ちを堪えつつ、彼はほくそ笑みながら悠々と自席に戻っていった。
そして数週間が経ち、すぐに中間テストが始まった。
奴井は当初の目論見通りに全教科で満点を叩き出し、それを見た猿雅は目を飛び出すほどに驚いていた。
「すげえええええええええええ」
「それほどでもないよ。入院している間、暇だったから勉強してただけさ」
奴井は謙遜して見せたが、顎が上がっており、猿雅の大袈裟な賞賛にご満悦であった。
「おい猿雅! 次、体育だろ! 足の無い奴なんかほっとけ!」
そこに割って入ったのは豪田だった。
不機嫌そうに猿雅の首根っこを掴まえると、彼を連れて教室を出ようとした。
「わ、わかったよ! それじゃあ、俺行くわ。補講、頑張って」
「ああ。そっちもソフトボール楽しんで」
奴井は彼らが見えなくなるまで手を振り続けた。
そして独りになったことを確認すると、彼は無線でネットにアクセスした。
足は来週届く。
御門野さんに迷惑をかけるゴミカスがイキれるのも今の内だ。
だから、思考する必要すら無いわけなんだけど……
例の学習塾を検索し、講師一覧を表示する。
ずらりと並んだ顔ぶれの中には、あの日、御門野と共に学習塾から出て来た男の顔があった。
県境にある国大の生徒か……
余裕で学力は上なんだけど、御門野さんが比較しづらいよなぁ……
さて、どうしようか……
「よ~し、始めるぞ~」
1人の教師が声を出しながら教室のドアを潜り抜ける。
奴井は何事もなかったかのように教師に向かって元気よく返事する。
こちらが取れる選択肢としては……
奴井は別のことを考えていると言うのに、授業はつつがなく進行される。
明確な返答に、丁寧な板書。至って真面目な授業態度。
ブレインマシンインターフェイスが作り出す虚構に、教師が気づくことはついぞありはしなかった。
そして翌週。
奴井のクラスは、体育館でバスケットボールの授業中であった。
「なにやってんだよ、豪田!」
「う、うるせぇ!」
奴井が豪田からボールを奪い取ると、プロ顔負けのドリブルで相手コートに切り込んだ。
本当はサッカーで負かしたかったな~。
心ここにあらずな奴井に追いつける者は誰もおらず、3Pから跳躍した奴井はダンクシュートを決めた。
揺れるバスケットコートとバウンドするボールの音がよく聞こえ、歓声が上がっていないことに気が付いた。
奴井が後ろを振り返ると、クラスメイト達は唖然しており、何が起こったのか分かっていない様子であった。
演出係なんだから、仕事してくれよ……
奴井は隣のコートでバレーを行っているクラスの女子の方を見た。
一部の女子は奴井の方を見て、黄色い視線を向けていたが、肝心の御門野はこちらを見ていなかった。
う~ん……
演出不足だし、仕方ないか。
奴井はボールを拾い上げると、中央にいる豪田に向かって豪速球のパスを渡した。
それから数週間後。
学習塾に入学した奴井は、直近で行われた全国模試で満点を取っていた。
「長年学習塾を運営してきたけど、これほど賢い子は見たことがないよ!」
「ありがとうございます」
機械的に微笑んで見せる奴井であったが、彼の目は別の場所を見ていた。
個別指導塾だから、やっぱりどこにいるか分からないな……
いつ通ってるのかも分からないし……
「でも驕っちゃいけないよ! 受験はまだ先なんだから!」
「はい! これからもご指導のほど、よろしくお願いします!」
溌剌とした笑顔を浮かべた奴井は担当講師と厚い握手を交わしながら、薄目で入り口付近を見た。
ま、あそこに名前が載るなら別にいいか。
あれなら、御門野さんも見るだろう。
視線の先にあったのは、成績順位表であった。
一番上には自分の名前が記載され、それを見た彼は鼻で笑わずにはいられなかった。
本当、皆可哀想だ。
俺に勝てるわけなんて無いのにね。
真面目な顔のまま2位以下の名前を見て嘲笑する彼であったが、その左手は異様なほど固く握り込まれていた。
そうして時はすぐに流れ、すっかり蝉の五月蠅い季節になった。
「もうすぐ夏休みか~……」
昼休み。
奴井の隣の席だった猿雅は、明後日の方を見ながらぽつりと呟いた。
しかし、奴井はそれに生返事をするだけだった。
ぼんやりとした奴井の様子に周りを取り巻く女子たちが猫撫で声を上げ始める。
「奴井君、どうしたの?」
「気分悪い? 保健室行く?」
「悩みなら聞くよ?」
奴井はオートパイロットを起動して、彼女らに適切な返事を返す。
「ごめんごめん。ちょっと受験先について考えてたんだ。だから、大丈夫だよ」
「受験先って、どこ受けるの~?」
「フォックスオードとかかな?」
女子たちは嘘とも知らずに黄色い歓声を上げ、口々に奴井を称賛する。
奴井は柔和な笑顔を見せるが、彼の心はもどかしさに満ちていた。
何もかも上手くいっているはずなのに、なんで何も上手くいっていないような気がするんだ……?
「おいクソ野郎!」
囲いの奥から聞こえてきた声は、豪田のものだった。
もちろん奴井は返事をしない。
流石、猿山の大将。
取り巻きを奪われて怒ってるな。
そうやって心の中でほくそ笑んで無視し続けていると、豪田は声を荒げ、大衆を突き飛ばしながら、奴井の眼前まで押し進んできた。
「ちょっと面貸せよ」
「なんで?」
「いいから貸せや!」
「嫌だね」
豪田は毅然とした態度を取る奴井の胸倉を掴んだ。
奴井は眉一つ動かさない。
「調子に乗ってんじゃねぇぞ、チート野郎が」
「チート?」
「腕も足も頭も、全部チートだろうが」
低く威圧するような豪田の声。
それを聞いたクラスメイト達は、1人、また1人と、逃げるように自席に戻っていった。
おいおい、帰るなよ。
ここからがクライマックスだってのに。
奴井はすました顔で、胸倉を掴んで離さない豪田の腕を、左手で軽く触れた。
豪田の腕は、過去のトラウマを思い出したように、一度だけビクンと痙攣する。
「だったら君も飛び降りればいいじゃないか」
奴井はペットでも愛でるような目で豪田の顔を覗き込んだ。
豪田は発言の意図を理解できたのか、目を見開いて硬直している。
「どれ、僕が介助してあげよう!」
奴井が硬直していた豪田の腕を強く握り込む。
義手の人間離れした握力で握り込まれた腕は骨を軋ませ、豪田は悲痛な悲鳴を上げた。
「1回飛び降りた経験からアドバイスすると、案外落ちた瞬間って痛くないんだよね~。でも、次起きた時は全身激痛だから、意識を強く持つんだよ!」
豪田は、必死に手を振りほどこうともがく。
しかし、奴井は口角を上げながら淡々と話し、豪田を窓際まで引きづっていく。
そして窓をゆっくりと開け、豪田の胸倉を掴んで、その身を宙に晒し上げた。
「ここ3階だから器用に落ちないと、あんまりチートはもらえないかもね」
「や、やめてくれ…頼む…し、死にたくない……」
「え? でも、チートが羨ましいんでしょ? 妬ましいんでしょ? だから、俺に喧嘩打ったんでしょ?」
「許して…許してくれ! 許してください!! ごめんなさい!! 死にたくない!!」
豪田の命乞いを聞いた奴井は、豪田を教室内に向かって投げ飛ばした。
これでゲームセットだ。
「俺は死にかけたから、この能力を手に入れられたんだ! 二度とチートみたいなインチキと一緒にするな!!」
奴井は眉を吊り上げ、床でうめき声を上げる豪田に向かって、怒鳴り声を上げた。
教室中に響き渡ったその怒声は、クラスメイトらの視線を集め、釘付けにした。
「お、おい! 大丈夫か?」
猿雅が豪田の傍により、心配そうに肩をゆする。
その姿を見た奴井は硬直した。
「ちょっと俺、こいつ保健室連れてくわ!」
猿雅は豪田の肩を支え、ふらつきながら教室を出て行った。
「え、豪田君!? どうしたの!?」
「ごめん、御門野さん。ちょっと手伝って」
御門野の声が廊下の方から聞こえてきたが、奴井は呆然と立ち尽くしていた。
なんで……?
お前はいじめられてただろ……
突如、奴井の頭に痛みが走る。
右眉が少しだけピクリと動いた。
なんで……
しかし、彼は気づかない。
それ以外の全身が全く動かなかったことに。
その喧嘩の後、奴井は特にお咎めもなく、事件は表沙汰にはならないままに処理された。
流石に全部の罪を被せられた豪田には同情するけど、出荷予定の最高級品に傷をつけたくないわな。
真面目に授業を受ける素振りを見せながら、奴井の内心は退屈そのものだった。
豪田は不登校になって、取り巻きの女子は増えた。
御門野さんと目が合う回数も増えたし、良い感じだ。
「それじゃあ夏休みの宿題配るぞ~。受験勉強があるからって忘れないように~」
だけど、猿雅は最近つれないし、御門野さんとの進展はそれ以上無い。
これ以上、校内で出来そうなことも無し……
前席から回されてきた宿題を受け取り、奴井は内心を隠してほくそ笑んだ。
それじゃあ、次は塾だな。
その僅かに下がる右目尻を御門野だけが目で追っていた。




