Dettach
それから月日は流れ、冬休みが終わり、すぐそこにチョコの季節が訪れようとしていた。
「あ、おはよ~」
登校した奴井に挨拶をしたのは、教室の入り口付近で友人と話していた御門野であった。
「あ、お、おはようございます」
顔を背けて小声で挨拶を返した奴井は、足早に自席に向かった。
着席し、通学カバンから筆記用具やノートなどを取り出して並べた後、彼は努めて明るい表情で顔を上げた。
しかし、周囲に人はおらず、騒々しいのは彼の周りだけであった。
奴井は何とはなしに左腕をまくって、袖で汚れを拭いて見せるが、興味が失せた大衆の目には入らない。
入り口付近では、未だ友人とおしゃべりする御門野の姿があり、奴井は肩を落としながら、まくった袖を元に戻した。
まともに会話したのなんて、あれ以来……
「誰にも言わないで」
季節は、冬休み前まで遡る。
御門野は奴井を校舎裏に呼び出し、頭を下げていた。
「あんまり大事にすると、バイトできなくなるかもしれないから」
「う、うん。特に誰かに言うつもりはないから、安心して」
自慢する相手なんて、僕にはいないしね……
遠い目をする奴井であったが、御門野は安堵したように頬を緩ませた。
「ありがとう! あと、これ、助けてくれたお礼!」
そう言って渡されたのは、可愛くラッピングされた市販のお菓子の詰め合わせであった。
少し期待してたんだけどなぁ……
奴井は苦笑いを浮かべ、御門野の表情に必死に合わせるのだった。
「このままじゃ駄目だ」
「何がですか?」
白衣を着た男性は、眉を顰めて奴井の顔を覗き込む。
瞬きすらない冷たい視線が奴井に突き刺さり、奴井は顔をこわばらせた。
「それは先程おっしゃっていた義手の誤作動と何か関係のあることですか?」
「い、いえ、関係ないです。ごめんなさい」
「そうですか……それでは、検診を終わります」
「あ、あの……!」
立ち上がった白衣の男性は興味なさげに、奴井を見下ろす。
「なにか?」
「ご、誤作動って大丈夫なんですか?」
「様々な試験、検査をクリアしておりますので命に別状はありません。しかし、人に適用した場合のデータは未だ少なく、思いもよらないことも起こる。それについては、紙面にて了承していただいたはずです」
「そうなんですが……」
「取り外したくなったらいつでも言ってください。試験中止は患者の意思次第でいつでもできますので」
踵を返した白衣の男性はそう言い残して、診察室から立ち去っていった。
誰もいない診察室に残された奴井は溜息をつき、迷うことなくその場を後にした。
待合室に向かう途中、奴井はリハビリ室の横を通り過ぎた。
そこでは自分と同じような義手、義足をつけた人々が、社会復帰のために悪戦苦闘している姿があった。
僕も慣れるまで大変だったなぁ……
よそ見をしながら歩く奴井は、1人の患者に目が留まり、立ち止まった。
その幼い体躯と見覚えのある顔は、あの日助けられなかった小学生だった。
「なんで……」
小学生の頭は剃られ、いくつかの手術痕が見て取れた。
首元には電子端末を接続すると思われるポートが取り付けられ、奴井の義手と似た何らかの技術が用いられていることが伺えた。
そして最も奴井の目をくぎ付けにしたのが、その小学生が解いている数学問題で合った。
「二次方程式が解けるんだ……」
奴井は勢いよくリハビリ室のドアを開けると、近くにいた看護師に質問した。
「あ、あの、あの子。この前まで寝たきりだったって……」
「ん? ああ、その義手! もしかしてヒーロー君かな」
「ヒーロー?」
「あの子がそう呼んでるんだよ。自分を助けてくれたヒーローだって。その歳で命を顧みずに人助けできるなんてすごいよ!」
奴井は背中がかゆくなるのを感じたが、すぐに首を振って本題に戻った。
「いや、あの、それよりなんであの子……」
「起きてるのかって? つい最近、ブレインマシンインターフェイスの試験機が内に届いてね。それの被験者になったんだよ。今じゃあそのおかげなのか、高校数学まで解けるぐらい知能が上がっちゃって、ちょっと物議をかもしてるんだよ。まぁ、寝たきりよりは、ずっと良い筈なんだけど……」
看護師は腕を組み、眉間に皺を寄せながら語った。
奴井はそれに相槌を打たず、視線はその小学生に吸い寄せられた。
「そうだ。よかったら、声でもかけて─────────」
看護師はギョッとした目で、奴井の左腕を見た。
そこには、ぎりぎりと音を立てて握りしめられた彼の拳があった。
「はは。あんな記号、僕まだ習ってませんよ」
その拳に気づかず笑う奴井を見た看護師は、彼に速やかに退室するように促すのだった。
帰り道。
奴井は様々な建物の並ぶ大通りをぶらぶらと歩いていた。
時折、道行く人の好奇の視線を感じながら、ふと目に入ったのは、進学塾の看板だった。
そういえば、今年は受験かぁ……
塾に行くのはめんどくさいけど、母さんが煩そうだし……
更に歩く彼は、次に本屋の看板が目に入り、立ち止まった。
参考書でも買って見せれば、マシになるか……?
でも、小遣い使ってまで買いたくない……
そうして暫くの間、奴井がぐるぐると考えを巡らせていると、後ろの学習塾の入り口から男女の声が聞こえてきた。
この声……
奴井は咄嗟に振り返った。
そこには御門野と見覚えのない眼鏡をかけた男の姿があった。
その男の背は高く、清潔感にあふれ、切れ長の目からは色気が立ち込めていた。
「コンタクトにした方が良いって」
「俺は眼鏡が好きなの」
「え~絶対かっこいいのに~」
御門野は男に無邪気に笑いかけ、男もすました笑顔でそれに答える。
その雰囲気は柔らかく、距離は近く、壁は無い。
まさか彼氏!?
いや、でも後ろの連中のほとんどが御門野さん狙いだろうし、そんな話は聞こえてきたことはないし……
じゃあ、あれは誰なんだ?
目が泳ぐ奴井を他所に、2人は背を向け、反対方向に歩き始めた。
去っていく背中を見ながら、奴井は生唾を飲み込む。
ちょっとだけなら……
奴井はあの夜のようにこっそりと、2人の後ろをつけ始めた。
「人の身だしなみに口出すより、もうちょっと勉強しろよなぁ~」
「既に結構賢いと思うんだけど? 学校の成績だって上から数えた方が早いし」
「でも、俺と同じ所行くんだろ? 今の成績なら、良くてB判定、悪くてCって所だろ」
「まだ1年あるもん」
「医者になるって夢叶えるんだろ? もう1年しかないって考えろって」
2人の後ろで静かに会話を盗み聞きしていると、少し奥にあった横断歩道から、信号が変わった事を告げる音が聞こえてきた。
奴井が視線をそらしていると、素性不明の男が突然走り出した。
「ここ変わるの早いから~!」
声を荒げる男につられて、御門野も走り出す。つられて周りも走り出す。
すると、信号はすぐに点滅を始め、足の遅い奴井だけが横断歩道の手前で立ち尽くした。
追いかけることのできない彼は、遠のく2人をただただじっと眺め続けた。
その日の夜。奴井が向かったのは自宅アパートの屋上であった。
手すりにつかまった彼は、ゆっくりと階下を覗き見る。
4階屋上からの景色に彼は足を竦ませたが、疎らな車の往来と適度な通行人があることを確認した。
だ、誰もいないよな……
次に奴井は後ろを振り返り、その場でキョロキョロと辺り見渡した。
厚い雲に覆われた月は頼りにならず、街明かりとスマホのライトだけが頼りだったが、夜更けに屋上に上がる者などおらず、誰もいないのは明らかであった。
念のため……
念のためだ……
だが彼は、手すりを掴みながら入念に屋上を一周することにした。
冬だというのに彼の額には脂汗が滲み、運動もしていないのに息は切れ切れであった。
止められないためだ……
これは必要なことだ……
そうしてゆっくりと屋上を一周して見回り終えると、彼はもう一度階下を覗き見た。
先程と何も変わらない階下。それを見た彼は、一呼吸置いた後、手すりによじ登り始めた。
腰の引けた体勢で、手すりにしがみつきながら向こう側に渡った彼は、足元の輪上に配置された枯れ木の束を踏みつぶした。
「なんで、こんな、ところに……!」
それを足で払いのけて足場を安定させると、視線のすぐ隣に見える遠い地面に、突如として足の感覚が消失する。
彼は小さく悲鳴を上げ、縋るように手すりにもたれ掛かった。
本当にここから落ちるのか……?
しかも、頭から……?
鼓動はうるさく、歯はがちがちと音を立て始める。
だがそれでも、彼がその場から逃げ出そうと言う素振りは見せなかった。
恐らく御門野さんのタイプは賢い人だ。
僕のクラスの運動部が見向きもされてないんだから、力が強いだけじゃきっと駄目なんだ。
奴井は昼間見た男の後姿と御門野の笑顔を思い出す。
でも、僕は賢くない。
いつも赤点ギリギリの僕が、クラスで一番賢い御門野さんよりも賢くなるなんて不可能だ。
立っているのがやっとな彼は、次にリハビリ室での出来事を思い出す。
だから、アレが必要だ。
小学生でも高校生並みに賢くなれる、アレが……
サイレンの音が近づいてくる。
それを耳にした奴井は引き攣った笑みを浮かべ、顔から血の気が引いていった。
もう来た……
さあ、今だ!
早く飛び降りろ!
今ならちゃんと助けてもらえるぞ!!
自分を鼓舞する奴井であったが、彼の足はピクリとも動きはしない。
手は手すりを掴んだまま放さず、重心は常に後ろにあった。
……本当に?
飛び降りて生きてる保証がどこにある?
例え生きてても、アレの予備があるのか、僕に適合するのかなんて分からないぞ?
サイレンの音は尚も近づき、奴井の心を急かし続ける。
決意する自分と逃避する自分の間で揺れ動く彼は、息をするのも忘れて反芻し続ける。
早くしろ!
僕が勉強すればいいんじゃ……
そんなの無理だ! 今までの何もない人生を思い出せ!
死ぬのは嫌だ……
大丈夫だ! 助けてもらえる!
そしてサイレンが真下から聞こえた頃、彼は息を大きく吸った。
何も無い僕には、誰も見向きもしないのに……?
奴井は手すりをしっかりと掴みながら、振り返った。
大きなため息を吐き出すと、少しだけ足の感覚が戻ったような気がした。
やめよう……
もっと他の方法があるはずだ……
ゆっくりと震える足を上げ、手すりに跨り、屋上側に戻ろうとした。
その時、大きな黒い翼が4つ、2羽の鴉が荒ぶる叫び声をあげながら奴井の行く手を阻んだ。
「うわ! 何だ!? やめてくれ!!」
奴井は悲鳴を上げながら、左腕を振り回す。
ところが、彼らはそれを全く意に返すことなく、固い嘴と鋭い爪で攻撃し続ける。
なんで!?
僕は何もしてないのに!!
誰か助けてよ!!
そう願った瞬間、左腕は強い勢いをつけ、鴉に拳を叩きつけようとした。
鴉は華麗に羽をひるがえしてそれを避けると、彼は重い腕に振られて体勢を崩してしまった。
あれ?
奴井は、内臓が浮き上がる感覚を覚える。
遠のく二羽の鴉を見上げながら、彼は物思いにふける時間も与えられず、堅い地面に吸い込まれていった。




