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紅葉も赤く色づく頃、ある高校では学園祭が間近に迫っていた。
学生達は色めき立ち、教師達は目を光らせ、学内は活気満ちていた。
「いてっ」
奴井黄生は、頭に何かがぶつかり声をあげた。
脇に落ちたそれは、ガムテープを丸めて作ったと思われるボールだった。
「悪い悪い。お~い、ちゃんと投げろって!」
クラスメイトの男は奴井に目を合わせることなくボールを拾い上げると、すぐにクラスの後ろでたむろする友人達に向かって、笑いながら叱りつけた。
奴井は特に言い返すこともせず、ただ黙々と出し物の造花作りに意識を集中させた。
後ろで彼らは作業も碌にせず、ヘラヘラと笑いふざけていたが、それを諫める人物はこのクラスに居なかった。
彼らはクラスの一軍。クラスカーストのトップ集団だったからだ。
バスケ部次期部長。サッカー部エース。ギャル。あとは、にぎやかしと数人の取り巻き。
主要人物たちは誰もかれもが美男美女。先生たちにも気に入られ、青春の二文字こそがふさわしい。
そんな眩い彼らに、奴井のような凡人が異議申し立て出来ようはずもなかった。
しかし、そこに救世主が現れた。
「ちょっと~!遊んでないで、ちゃんと仕事しなきゃ駄目でしょ!」
ドアを開けて現れたのは、買い出し袋を引っ提げた学年一の美人。御門野照だった。
アーモンド形の大きな瞳と、整った顔つき。肩まで伸びる亜麻色の髪はさらさらと揺れ、男子の視線を釘付けにしていた。
「さっきまでちゃんとしてたって。なあ?」
「そうそう。それにこれ提案したの猿雅だし」
「俺のせいなのぉ!? ひどぉい!!」
御門野は、ゲラゲラと笑う集団に合流しようと奴井の隣を通り過ぎた。
奴井は慌てて視線を逸らし、そして後ろで輪の中心になって指示を出す彼女に、熱い視線を注いだ。
今日も綺麗だなぁ……
そう思ったのも束の間、先程まで弄られていた男と目が合うと、奴井はまた慌てて視線を逸らすことになった。
怯えたように肩を竦め、路傍の石のように固まり、耳を澄ませる。
「そろそろ部活行くか~」
「俺たちの分は猿雅がしてくれるってさ」
「さっすが~。ほんじゃ、よろ~」
ぞろぞろとクラスを後にする足音を背中で聞きつつ、奴井は誰にも聞こえないような小さな溜息をついた。
顔も悪けりゃ、運動神経も悪い。
頭もそこまで良いわけじゃない。
そんな奴が、あそこに混ざれるわけもない……
そうしてまた黙々と、造花作りに手を動かす。
彼の作る花々は、どこか萎れて元気の無いように見えた。
そうして時間は過ぎ、奴井は塾やバイト、門限を理由に帰宅する集団に乗じて、帰路についていた。
イヤホンをつけ、スマホゲームで無意味な単純作業をクルクルと回す彼は、同じように無意味な思考を繰り返す。
最後まで残れば2人きりになれたりして……
いや、でもめんどくさいな……
なんか良いこと無いかな……
横断歩道を目前に器用に止まると、彼は向かいの歩道に目を向けた。
そこには黒い野良猫がお利口に、信号が変わるのを座って待っている姿があった。
「かわいい」
思わず口にすると、猫の耳が小刻みに動き、綺麗な顔を手で洗い始めた。
人の言葉を理解したように、ファンサービスめいた振る舞いをする猫に、奴井は少し苦笑する。
「頼むから、飛び出さないでくれよ~」
そんな意味のない懇願を知ってか知らずか、一台のバイクが騒音を立てて通り過ぎる。
驚いた奴井は目を丸くしていたが、猫は動じず、奴井に向かって胸を張り、自慢するようにすました顔を見せていた。
奴井がくすっと笑うと、今度はイヤホン越しでも分かるほどの甲高く、大きな声が聞こえて来た。
「あっ!!猫だ!!!」
右の方に視線を向けると、まだ背の小さい小学生と思しき集団が、猫目がけて駆け寄り始めていた。
ドタバタと鳴る足音に猫も気が気ではない様子で、車道の方と小学生らの方を交互に警戒している。
先程までの和やかな雰囲気は見事に壊されてしまっていた。
遊び終えたばっかりでハイテンションなのは分かるけどさ~……
うんざりした顔つきで小学生らを見ていると、大きな揺れを感じる。
それは何か重いものが揺れた衝撃のようであった。
嫌な予感がした。
ふと、奴井が左を見ると大きなトラックが横断歩道に向けて直進してきているのが見えた。
小学生達は目の前の猫に夢中で、トラックに気づいていない。
猫にはバイクとトラックの判別などつくはずもない。
鼓動が早くなり、息を吸うのが難しく感じる。
「可愛い!!」
「誰が捕まえるか競争しようぜ!!」
いや、そんなまさか…
ゲ、ゲームやアニメじゃないんだから…
もう一度トラックを見る。
逆光で運転手の顔は見えず、速度は維持されている。
「あ、逃げそう!」
「逃げんなよ!!」
小学生らに声を掛けようにも、余計な刺激を与えるわけにもいかない。
既に黒猫の神経は張り詰めていた。
僕じゃ助けられない…
誰か…誰か他の人は……!
焦って辺りを見渡すが誰もいない。
スマホを握る手に汗が滲み始める。
「待って!猫ちゃん!!」
大きなクラクションが市街地に鳴り響く。
車道に飛び出した猫と1人の小学生。そして、無謀にも助けに飛び出した1人の高校生は、無残にもトラックに引かれるのだった。
それから数か月後。
「うおお! かっけぇな!!」
退院した主人公の左腕には、最新型の義手が取り付けられていた。
黒く輝くチタン合金と関節部から垣間見える配線。微かに聞こえる静音モーターと仄かに香るグリースの匂い。
近未来SFに登場するようなその義手に、クラスの男性陣は目を輝かせ、奴井の周囲には人だかりができていた。
「それ着け心地どんな感じなんだ?」
「神経と繋がってて、元からあった自分の手みたいだよ」
「触った感じもわかるの?」
「うん。原理はよく分からないけど」
「指パッチンは出来るのか!?」
「出来るよ」
元々あった手では出来なかったけど……
義手を動かし、指先のシリコンをこすり合わせてパチパチと鳴らして見せる。
すると、猿雅は更に目を輝かせ握手までせがんできた。
「おい、猿雅。どうでもいいだろ、そんなこと」
「重要だよ! 指パッチンできないとかっこつけられないだろ!」
「サル顔のお前がかっこつけたってしょうがないだろ」
男達は笑い声を上げ、奴井は顔色を窺った後、半歩遅れて苦笑いを浮かべた。
「なんだ、面白くないのか?」
冗談を言った男。サッカー部エースの豪田は、奴井の顔を覗き込む。
値踏みするような視線に奴井は、縮み上がる。
「い、いや面白いよ。ただ……」
「ただ?」
面白くなかったけど、言えるわけない。
でも、何か言わないと……
小声でブツブツと言い淀むが、上手い切り返しは思いつかない。
うじうじした態度にイラつきだした豪田は、自慢の足で机を軽く蹴り上げる。
「はっきりしろよ」
「いや、えっと、助け……助けらなかったんだ、ちゃんと」
奴井は、咄嗟に出た単語から言葉をひねり出す。
「飛び出した小学生、庇ったけど今も寝たきりで、脳に障害が、起きても残るって」
「だから、ちやほやされるのにも罪悪感があるってことか?」
ぶつ切りで分かりづらい言葉に助け舟を出したのは、猿雅だった。
奴井は彼の顔を見ながら、縋るように何度も首を縦に振った。
「なんだそんなことかよ」
「そんなことじゃないよ」
溜息をつき、つまらなさそうにする豪田の後ろから現れたのは、御門野であった。
奴井の周りにいた男たちはいっせいに振り返り、海でも割ったかのように左右に分かれて色めき立った。
「バイスタンダーの心理的負担ってすごいんだから」
「お、照じゃん。おはよ~。バーテンダー? が何だって?」
御門野は呆れたように溜息をつきながら、豪田に歩み寄った。
豪田は爽やかな笑顔を彼女に向けたが、彼女は鬱陶しそうに彼を押しのけた。
「奴井君」
見上げる奴井は息を止めた。
「結果は残念なものだったかもしれないけれど、あなたはちゃんと人の命を救ったんだよ。だって、あなたが助けなければ、最悪その子は死んでたかもしれないんだから」
御門野は、奴井の生身の手を優しく握り込み、真っ直ぐに彼の顔を見つめた。
その瞳は少し涙ぐんでおり、奴井は視線を逸らして、俯いた。
「気に病まないで。もし苦しければ、いつでも話聞くから、ね?」
俯く奴井を心配して声をかける御門野であったが、彼の耳には届いていなかった。
御門野さんのて、ててて、て、目綺麗、てってててててて─────────
話しかけることすらできなかった憧れの人物に名前を呼ばれ、あまつさえ手まで握られてしまった奴井は、どうしようもなく舞い上がっていた。
熱くなる顔と自然と上がる口角。混線する思考回路は、それらを抑えるので必死であり、褒められたことにも、心配されていることにも気づけない。
ただ固まり押し黙っていると、小さい舌打ちが聞こえ、直後に予鈴が鳴り響いた。
ぞろぞろと自席に戻る学生達。入室する教師。始まる授業。
過ぎ去る時間の中、奴井は手に残る確かな温もりの余韻に浸っていた。
そうして時間が流れ、冬休みも間近に迫ったある日。
奴井は、街灯の灯った夜道を1人とぼとぼと帰宅していた。
「疲れた……」
退院後の学生生活は実にめまぐるしかった。
昼間はクラスメイトだけでなく、他学年、他クラス、果ては校長まで、様々な人々が奴井の下を訪れてた。
放課後には、入院中の授業の埋め合わせとして補講が入れられ、休日も病院へ検診に行く。
休まらない毎日に、奴井は大きなため息を漏らした。
「あ、ログボ……」
ぽつりとつぶやいた奴井であったが、スマホを取り出そうとはしなかった。
彼には最早、ゲームをする元気すら残されていなかった。
「遠回りやめようかなぁ……でも、近寄りたくないしなぁ……」
歩道橋を渡りながら、心の声を漏らしていると、どこからか聞き覚えのある声が聞こえた。
下を覗き込むと、そこには御門野と1人の男が連れ立って歩いている姿があった。
「献血されてる間って~マジ暇じゃね?」
「そうですね~…」
御門野の少し後ろを歩く私服姿の男は、見るからに若く、頭を染めた身なりは定職についているようには見えない。
恐らく2駅向こうにある大学の生徒だと思われた。
「おばさんばっかで面白くないし、ずっとYstagramみてたわ~」
「はは……」
そしてそんな男の前を、御門野は愛想笑いを浮かべながら歩いていた。
こんな暗い時間に、塾帰り?
いや、でも隣に大学生みたいなのがいるし、もしかしてバイトかな。
へ~御門野さんってバイトしてたんだ。
身を隠した奴井は歩道橋の上から、下を通り過ぎる2人をこっそりと見た。
男の目つきはギラギラとしており、御門野の顔は取り繕われていたが面白くなさそうに見えた。
暗い夜道を歩く美人の後を追いかける男性……
なんとなく嫌な予感がした奴井は、歩道橋を急いで駆け下りた。
そして自宅とは反対方向に、2人の後を追いかけることにした。
「今日の店長クソうざくなかった?」
「別に」
「あ、昨日マジでうまいラーメン屋見つけてさ! 今度一緒に行かね?」
「今、ダイエット中なので」
路地の陰に隠れた奴井は、2人の会話を盗み聞く。
男は御門野に好意を抱いているのは明らかであり、そのしつこいアプローチに彼女が辟易していることもまた明らかであった。
僕でも脈が無いのが分かるのに、よくやるよ……
「じゃあ、今やってる映画なんだけど、これが照が好きそうなやつでさ~」
「友達に誘われてるので」
「俺とも行こうって─────────」
「ここまで送っていただいてありがとうございました」
御門野はそう言うと、歩く速度を速めて、男を振り切ろうとした。
「……あのさぁ」
しかし、男は後ろから御門野の腕を掴み、力強く握り込んだ。
「っつ」
「仕事教えてあげたの誰だっけ?」
「……」
「恩を仇で返すのって人としてどうなの? ねぇ?」
2人の間には険悪な空気が流れ、後ろで見ていた奴井は慌てふためいていた。
どうしよう!? どうしよう!?
助ける? どうやって!?
僕が前に出ても、殴られてお終いだよ!?
そんなことは露知らず、苦い表情のまま黙り込む御門野を見た男はニタニタと笑みを浮かべ始める。
「俺だって鬼じゃないからね。デートはしなくていいよ」
「え?」
「その代わり…ね? わかるでしょ。そういう見た目してるなら、何回かしたことあるでしょ?」
下卑た笑みを浮かべる男の顔は紅潮し、それを見た御門野は見る見る血の気が引き、顔が引き攣っていく。
「この辺人気ないし、そこで……」
「あ……」
男が路地の暗闇を指さすと、目が合った。
「もしかして…奴井君?」
目を細めた御門野に名前を呼ばれ、奴井はおずおずと暗闇から姿を現した。
「なにお前? 邪魔なんだけど」
「脅すのは、よ、よくないと思─────────」
「は?」
男が不機嫌そうに威圧すると、奴井は背中を丸めて委縮した。
びくびくと怯えるその様子から、男は何かを思いついたように薄気味悪く笑いだした。
な、なんで笑って……
「なぁ照。映画に誘ってたのって、もしかしてこいつ?」
男は御門野から手を放すと、ゆっくりと奴井に近寄り始めた。
「ちょっと、やめてください!」
男の眼前に立ちふさがる御門野だったが、男は彼女を突き飛ばした。
そして奴井の胸倉をつかむと、笑みはそのままに鋭い目つきで奴井を睨みつけた。
「何回誘っても、首を縦に振らない照が悪いんだからなぁ~」
男がそう言うと、奴井の頬に大きな衝撃が走った。
男の発言の意図を考える間もなく、殴られた奴井は激しい痛みに混乱していた。
「申し訳ないけど、君、暫くの間サンドバッグね」
今度は脇腹に先程より強い衝撃が走る。
瞬間に思い出されたのは、あの日の横断歩道で受けた似た衝撃だった。
「やめて! やめてください!」
御門野は男に縋りつき必死に制止するも、すぐに振り払われてしまう。
男はもう一度、奴井を殴るために胸倉をつかみ上げ、腕を振りかぶった。
痛い。
御門野さん泣いてる……
痛い。
また助けられないのかな……
痛い。
思考する奴井は、目前に迫った拳を見ながら、ある1つの事実に気づいた。
でも、あの日よりは痛くないかな?
その時、静かな路地裏に鈍い音が響き渡った。
「いってぇ!!」
「え?」
それは男の拳を、奴井の機械仕掛けの左手が受け止めた音だった。
「何お前? サンドバックって言ったよなぁ!?」
「ひぃっ!」
奴井が怯えると、左手はぎりぎりと男の拳を締め上げ始める。
男はたまらず悲鳴を上げるが、なおも左手の握力は強くなっていく。
「お、お前! ふざけんな! 放せって!」
「み、御門野さん、嫌がってるからやめませんか!?」
奴井は、勝手に動く左腕に動転しつつ、勢い任せに男の説得を試みた。
「わかった! 分かったから放せ!!」
「もうしませんか!?」
「しない! しないから、頼む!! 早く!!」
「わ、わかりました!!」
放せ、放せ、放せ、放せ、放せ、放せ、放せ、放せ、放せ、放せ─────────
執拗にそう念じると、左手は何事もなかったかのようにぱっと開いた。
男は労わるように自分の拳をさすりながら、奴井を睨みつけたが、闇夜に紛れて鈍く光る左腕を見るや否や、悲鳴を上げて逃げ帰っていった。
そうして男の背中が路地から見えなくなった後、御門野は奴井の右手を取った。
「家近いから、手当だけさせて」
「え」
そして彼女は返事を待たずに、奴井の手を引いて歩いていく。
「怪我させてごめん。ありがとう」
彼女は謝罪と感謝の声は確かに震えていたが、奴井はそのことに気づかない。
悪者撃退してヒロイン助けて……
もしかして、もしかすると……
楽観視する彼は徐に左腕を眺めた。
失った末に得た新たな力。これまで敵わなかった相手もねじ伏せられる大きな力。
チート……
いや、勇者の剣だな。
腕失ってるし、そっちの方が正しいだろ。
うん。
内心で独り言ちる奴井は嬉しそうに自分の左腕を眺め続けた。




