6話
その日の午後、葵は美咲から「語る会」についての執拗な質問攻めに遭っていた。
「鈴木さんは、本当にビルがなくなることに賛成しているのだ。それなのに、なぜ今さら過去を振り返るような会を開くのか。どう考えても矛盾している」
美咲は、苛立ちを隠そうともせずに眉をひそめた。彼女にとって、歴史とは輝かしい未来への歩みを阻害する「足枷」でしかなかった。
ひび割れたアスファルトが続く古い街並み、時代に取り残された薄暗い家、そして日々衰えていく病気の祖母。それらすべてが、彼女の細い足首を掴んで離さない重い鎖のように感じられた。彼女は過去の重みから一日も早く逃れ、新しく、きらきらとした都会の未来へと駆け出したいのだ。
「矛盾しているのかもしれないけれど、鈴木さんはこのビルで人生の大半を過ごしてきたのだ。美咲ちゃんがどれだけ東京に行きたくても、もしおばあちゃんが『この街であなたを育てた大切な思い出』を話してくれたら、少しは足を止めるのではないか」
葵の静かな問いかけに、美咲は言葉に詰まった。
「……それは、そうかもしれない。けれど、歴史なんかより、明日をどう生きるかの方が、私にとってはよっぽど大事なのだ」
拒絶の「分厚い盾」
美咲は、その胸に渦巻く疑問をぶつけるため、意を決して「黄昏文庫」の扉を叩いた。佐藤悠馬に話を聞くためである。佐藤は、美咲が古書店に入ってきたことに露骨な不快感を示した。
「何用だ、高橋さん。あいにくうちには、君のような若者が好む雑誌など置いていない」
佐藤は棚の影から、眼鏡の奥の瞳を冷たく光らせて言い放った。
「佐藤さん、あなたも『語る会』に出るつもりなのか。ビルの歴史とか、古い本を扱っているなら興味があるだろう」
その問いを聞いた瞬間、佐藤は手にしていた本の背表紙から、静かに、そして拒絶するように指を離した。
「興味だと? そんなもの、あるわけがない。私は過去を弔うために本を読んでいるのではない。私は、過去という名の暗がりに閉じこもっているだけだ」
佐藤にとって、この店を埋め尽くす無数の書物は、新しい知識を得るための源泉などではなかった。それは、彼がかつて都会で犯した取り返しのつかない失敗、その記憶から身を隠し、自らを守るための「分厚い盾」であった。
幾重にも重なる文字の壁に守られている限り、彼は誰からも、そして自分自身の過去からも脅かされることはない。鈴木老人のように過去を慈しみ、愛する人間は、結局のところ感情という脆いものに足元を掬われて現実に敗北する。それが、挫折を知る佐藤の冷徹な持論であった。




