第2話 年に一度の花と森の死神
「グラアァァァァァァッ!!」
そいつは、突如として現れた。
漆黒の毛に覆われた巨体の淵獣。
ナイトベアだ!
オレはとっさにマイルの腕を引っ張り、そばにあった丸太の影へと身を隠す。
人差し指を唇に当て「静かに」と合図すると、マイルは小さく頷いた。
丸太の陰からそっと覗く。
ナイトベアは先ほどのウサギをむさぼるのに夢中で、こちらにはまだ気づいていない。
今のうちに逃げた方がいいのか? それとも静かにやり過ごすべきか――。
頭の中でぐるぐると考える。
ナイトベアの習性……確か、家にあった魔物図鑑で読んだ記憶がある。
子どもの頃、夢中で読んだ魔物図鑑の内容を必死に思い出す。
ナイトベアは闇属性……だから、たしか陽の光が苦手で昼間はほとんど活動しないはず。
……なのに、なんで?
さらに記憶をたぐる。確かあの図鑑には赤い字で両親のメモが書き加えられていたのを思い出す。
※淵獣を興奮させる匂いを放つ、白い小さな花が存在する。
※見慣れない白い花を見つけたら注意すること。
※この花は年に一度、一日だけ咲く。
こんな感じだった気がする。
――まさか。
オレはそっと周囲を見回した。そこかしこに、白くて小さな花が咲いている……!
おいおい、まさか今日がその“年に一度の日”なのか?
食事を終えたナイトベアは、鼻をくんくんと動かし、周囲の匂いを探っている。
(ヤバい……! 気づかれたら終わりだ)
心臓の鼓動が、とても大きく感じる。自分の体から音が漏れてしまうのではないかと、錯覚してしまうくらいに。
(……このまま、じっとしてやり過ごそう)
できるだけ息をひそめて、マイルの耳元で囁いた。マイルも不安な顔で頷く。
重い足音が地面を震わせ、枝が折れる音が近づいてくる。息を止めるたびに、心臓の鼓動だけがやけに大きく響いた。
――やがて、ナイトベアの赤い瞳がこちらを見た気がした。
(まずい、気づかれたか……?)
しかし次の瞬間。
「グラァッ!!」
ナイトベアは耳をそばだて、森の奥から聞こえた別の物音に反応したのか、体を大きく揺らして方向を変え、そのまま走り去っていった。
「……っはぁ……」
それが見えなくなった瞬間、オレとマイルは同時に息を吐いた。助かった。心の底から、そう思った。
「怖かったね、スカイ……わたし、もうだめかと思った」
「オレも……心臓が止まるかと思ったよ……」
二人ともぐったりとして、丸太にもたれかかる。けれど、休んでいる暇はなかった。
「どうしよう? 村に戻って、村長に報告した方がいいかな?」
「……いや、そうしたいけど、先に行ったみんなが心配だ。知らせてあげないと」
「そうだよね……みんな途中でお昼休憩してるかもしれないし。今から急げば追いつけるかも」
「よし、できるだけ音を立てないように慎重に進もう」
気合を入れて、オレたちは立ち上がった。
周囲を警戒しながら、先へ行ったみんなに一刻も早く知らせるため、ふたたび聖域への道を急いだ――。
――山道を三十分ほど進むと、先に出発していた双子のリンとマリの姿が見えた。
仲良く並んで歩いている。――無事なようで、胸をなでおろす。
「あっ、マイル!」
オレたちに気づいたリンが、大きく手を振って声を張り上げた。
(おい、そんな大声出すなって……)
マイルも同じ気持ちだったらしく、両腕でバツ印を作って駆け寄りながら、ジェスチャーで『静かにして!』と必死に伝えていた。
けれど当の双子は、そんな様子を見てくすくす笑っている。知らぬが仏だな……。
◇◆◇
合流後、オレたちはこれまでの経緯――森でナイトベアに遭遇したこと、白い花との関係、そして今後の危険性について説明した。
最初、全く信じていなかった二人も、必死で説明を続けるマイルの真剣な様子に徐々に顔色を変え、最後には真っ青な顔で無言になった。
二人が落ち着くのを待って、他のみんなを見つけるべく先を急ぐ。
◇◆◇
「……あっ! あれ、リュークじゃない?」
双子のマリが、大きな盾を木に立てかけて休憩する、リュークを見つける。
リュークもこちらに気づき、「よぉっ」と声をかけてくる。
「まさか、追いつかれるとは思ってなかったよ。ゆっくり昼を取りすぎたかな」
「いや、それがさ……」
オレは、双子に説明したのと同じ内容をリュークにも伝えた。すると彼は驚いてはいるが、すぐに理解してくれた。
「なるほどな。白い花が原因でナイトベアが……」
「ああ。だから、森を引き返すより、聖域の中で夜を越す方が安全じゃないかと思う」
「その通りだな。淵獣が入ってこない聖域に立てこもるのが得策だ」
オレたちは、すぐに行動を開始する。
「よし、まずは残る二人――シモンとガイに合流しよう。僕が先頭、探知スキルを持つマイルが中央、マイとリンはその後、最後尾はスカイ、頼んだ」リュークが指示をだす。
こういうときのリュークは本当に頼もしい。
◇◆◇
「シモン、なかなか見つからないね……」
「もう聖域まで行っちゃったのかも」
そう話しているうちに、山道の先、崖をまたぐようにかけられた吊り橋が見えてきた。
「ねえ、あれ何だろう?」
マリが山道の脇を指差す。
「……あれ? あの大きなバッグ、シモンのじゃない?」
「でも、なんでこんな所に落ちてるの?」
マリの言葉に、嫌な予感が全身を駆け巡った。
――その時。
一瞬、森のざわめきが消えた。そして遠くから地響きを立てて迫る、黒くて巨大な影が目に映る。
「やばい、ナイトベアだ!」
即座にリュークが反応する!
リュークが背中の盾を全面に出し構える。
「キャアァァァァッ!」双子が叫ぶ。
次の瞬間。
「ガキンッ!」
ナイトベアの鋭い爪と、リュークの盾がぶつかり火花を散らす。
「ぐっ……!」
衝撃を必死に堪えながら、リュークが叫ぶ。
「みんな、僕の後ろに! 絶対に俺の側から離れるな!」
「リューク、吊り橋まで移動できるか?このままじゃジリ貧だ!」
状況を把握しながらオレは言う。
「ああ、ゆっくりなら……だが、まだ距離があるぞ?」
「それでも聖域まで逃げるしかない!」
「わかった。任せろ!」
オレたちはじりじりと後退しながら、吊り橋へと向かい始めた。
――リュークがシールドを使ってナイトベアの攻撃を防ぎ、剣でナイトベアを牽制しながら少しずつ移動する。
今のオレたちでは、ナイトベアに有効なダメージを与えるのは難しい。できるのは周囲を警戒することくらいだ。
「くそっ……!」
リュークの後ろに隠れ、守られているだけのこの状況がもどかしい。
――そんな思いを抱きつつも、リュークが奮闘してくれたおかげで、なんとか吊り橋がある開けた場所までたどり着いた。
(同じ歳なのに、やっぱりリュークはすごいな)
感心する気持ちと一緒に、悔しさがこみ上げる。
「あと少しだ! みんな、頑張れ!」
リュークの掛け声で、全員が気合をいれる。
――そんな時、異変は起こった。
ナイトベアが鼻をひくひくと動かし、突然、オレたちとは別の方向を気にしだした。
ナイトベアが他を気にしている?
何かを見つけたマリが、ゆっくりと道の入り口を指差す。
「もしかして……あそこに立ってるのシモンじゃない?」
ナイトベアの背後――そこに、驚きに目を見開いたシモンが立ち尽くしていた。
道中シモンのバッグが落ちていたのを思い出す。まさかどこか近くに隠れていたのか?
(……何でこのタイミングで出てくるんだ!)
ナイトベアがゆっくりとシモンの方を振り向く。
シモンは恐怖で、尻もちをついて動けなくなっていた。
「グラアァァァァァァッ!!」
「おい、こっちだ!」
リュークが注意を引こうと一歩前へ出る。
だが、ナイトベアはもう――完全に、シモンを狙っていた。
「……このままだと、まずい!」
そう思った瞬間、頭より先に、体が動いていた。
オレは護身用に持っていた腰のナイフをつかむと、全力でナイトベアに向け投げつける。
そのナイフは、まるで導かれるように――ナイトベアの左目に直撃する。
「グラアァァガアッ!!」
耳をつんざくような咆哮。
巨体がぐらりと揺れ、その怒りと殺意のこもった視線が、ゆっくりと――オレに向けられる。
オレはそれを確認すると、全力で崖へ向かって走り出す。
(……ついて来いよ。ここからなら、ぎりぎり“アレ"が使えるはず!)
怒りに燃える咆哮とともに、ナイトベアがオレを追ってくる。
巨大な足音が、地面を揺らして迫ってくるのを感じる。
「スカーーーイ!!」
マイルの叫び声が背中から聞こえたけど、答えている余裕はオレにはない。
――崖の縁まで、あと少し。
ちらりと背後を振り返ると、ナイトベアが涎をまき散らしながら、オレに向かって爪を振り上げているのが見えた。
(もう……後戻りはできない!)
そして――オレはそのままの勢いで、崖から谷底に向かって飛び降りる。
体が宙に浮き、落下の感覚が体を包む。
背中を爪が掠る。すぐ後ろ――ナイトベアも一緒に落下してきていた。
(……よしっ狙い通り!)
胸の星石を両手で握り意識を集中させる――。
すると星石から青白い粒子が溢れ出したかと思うと、オレの体を包み込む。
それと同時に体がふわりと浮き上がり、落下速度が緩やかになる。
ナイトベアはオレを通り過ぎ、速度を緩めることもできず、谷底へ消えていった。
ザザッ、ガサッ、ガサガサッ……!
そんなオレも、完全には速度を制御しきれず枝にぶつかりながら落下する。
――ドサッ。
「……いててて」
体中、擦り傷だらけ。でも、生きてる。
ふらつきながら立ち上がると、近くの大木に突き刺さるようにして絶命したナイトベアの姿が見えた。
「……ふぅ、なんとか助かったか……」
それを確認した瞬間、膝から力が抜ける。
はぁ、きっとマイル、めちゃくちゃ怒ってるだろうな……。
なぜか、最初に思ったのはそんな考えだった。
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