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ラノベ作家になったドイツ美少女の初恋は俺らしい。  作者: 藤白ぺるか


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第26話 病

「バカっ!バカっ!素直のバカっ!」


 耳に突き刺さるその言葉に、私の心は深く抉られた。聞きたかったのは、こんな罵倒じゃない。素直に、ただ素直に「すごい」と褒めてほしかった。


 私がハイルヴィヒであると打ち明けたのは、皆に隠し事をしていたくなかったから。そして、何よりも素直に、そのことを認めて、称賛してほしかったからだ。なのに、返ってきたのは、あまりにも無慈悲な言葉。


「なんで、なんでこうなるのっ!なんでっ!」


 胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように痛い。痛くて、痛くて、息が詰まりそうになる。部室から飛び出し、ただひたすらに走った。


 毎日通い慣れた部室棟の長い廊下。足は速くないから、きっと遅かっただろう。それでも、一刻も早くあの場所から、あの言葉から逃れたくて、私は走り続けた。


 突き当たり、最初のカーブ。急ブレーキをかけ、よろめきながらもなんとか曲がる。そして、再び走り出した、その時だった。


「――――あっ」


 足がもつれ、バランスを崩す。曲がりきったすぐ先で、私はあっけなく転倒した。


「く、う…………っ」


 膝を擦りむいた痛みよりも、心の痛みが大きかった。悲しくて、悔しくて、どうしようもない気持ちが込み上げてくる。なぜ、こんなことになってしまったのだろう。


「素直……素直……うう、うぅっ…………」


 涙が止まらない。なんで、なんで……。ずっと「応援してる」と言ってくれたじゃない。それなのに……。


「私のこと、覚えてないのよぉ…………っ」


 幼い頃の約束。私がずっと胸に秘めてきた、彼との特別な絆。それを彼が忘れてしまっているという事実が、何よりも私を打ちのめした。涙で視界が歪む中、私は床に手をつき、震える体で立ち上がろうとした。


 その時だった。


「――――ぁぅっ」


 え、え……。胸が、苦しい……。


「ぃっ、ぎっ……できっ……」


 息ができない。体が、冷たくなっていく。


 これ、本格的にやばい……。


 完治したと、思っていたのに。小さい頃だけだと思っていたのに。まさか、今になって再発するなんて。


 ああ、なんで私は、こんなにも――


「――香澄さん! 香澄さんっ!!」


 幻聴が聞こえる。まさか、素直が追いかけてくるはずがない。あんなひどいことを言った彼が、私のことなんか気にするはずがない。


「――香澄さん! 香澄さんっ!! ――――クラウっ!!」


 やっぱり幻聴だ。だって、私のことを覚えていない素直が、彼が昔呼んでいた私の愛称を呼んでくれるはずがないんだから――。


 ああ……せめて、小説は完結させたかったな。私が「ジニア」を書いているアカウント、バレちゃうかな。いっそPCごと破棄してくれたら良いのに。


 お母さん、ノーラ、お父さん……皆、ごめん。

 そして、素直…………あれが、最後のお別れの言葉になっちゃうのかな――――。


 ◇ ◇ ◇


「香澄さんっ!香澄さんっ!!」


 倒れている香澄さんを見つけた俺は、反射的に駆け寄っていた。どうすれば良いのかまるでわからず、ただ、彼女の体を抱きかかえ、揺さぶることしかできなかった。 

 しかし、いくら呼びかけても、彼女は無反応だ。


「そうだ……脈……」


 唐突に閃いた考えに、震える手で彼女の細い手首に触れる。


「…………っ」


 俺の取り方が悪いのか、それとも本当に……脈が確認できない。いや、まさか。動いていない、のか?


 胸は上下せず、息もしていない。まさか、本当に……。


「香澄さんっ! 香澄さんっ!! クソっ! 俺のせいで……っ」


 さっき、あんな心ない言葉を言わなければ。俺があの言葉を口にしなければ、こんなことにはならなかったのではないか。後悔の念が、津波のように俺の心を襲う。罪悪感が、全身を支配する。


「そういえば、心臓が止まってから、何分以内にどうにかしないとヤバいとかあったような……ヤバい、ヤバいヤバい……AEDは!? けど、それを探す時間なんて……あぁっ!」


 焦燥感と絶望が入り混じる中、なぜか、俺の頭の中に声が響いた。


『こうやってやるんだよ』

『両手を重ねて、胸の真ん中を押して……それでもダメなら…………』


 よくわからない。それでも、この状況で俺にできることは、これしかないという直感が、俺を突き動かした。


「香澄さん……大丈夫だから。このまま死なせない……絶対に……っ」


 俺は香澄さんを仰向けに寝かせると、指示された通り両手を重ね、みぞおちあたりに手を置いた。そして、躊躇することなく、何度も強く押していった。


「お願いっ!お願いだ!香澄さんっ!香澄さんっ!」


 声をかけながら、何度も何度も。部室棟には誰一人通らず、文芸部の部室に戻って助けを求める時間すら惜しく感じた。だから俺は、自分にできることを、ただ必死に続けた。


 心臓マッサージだけでは、効果がない。残るは、あれしかない。


「香澄さん、本当にごめん……もし、助かったら……俺のこと、好きなようにしていいから――」


 彼女の顎を上に向けて気道を確保し、鼻をつまむ。血の気の失せた唇に、俺は自分の息を吹き込んだ。


 何度も、何度も。息が入り込み、胸が上下するのを確認し、再び心臓マッサージを繰り返す。


 頼むっ……頼むっ……起きてくれっ……俺、あんな最悪なことを言って……。まだ、少ししか話していないじゃないかっ……ちゃんと、ちゃんと謝らせてくれ……だから、お願いだから……っ!


「――――ぐ……うぷっ」


 俺が入れた空気が、吐き戻された。


「香澄さんっ!香澄さんっ!!」


 目覚めない。それでも、胸が上下していた。脈も……動いていた。


「くっ……あぁっ…………」


 いつの間にか、俺の目からは涙が溢れ落ちていた。どんな気持ちになっているのか、自分でもわからないくらい、感情がぐちゃぐちゃだった。


「――んあ? 越智くんどうし――って、なんだぁ!?」


 後方から現れたのは椎木先輩だった。トイレに行こうとしていたらしい。


 それからのことは、目まぐるしすぎて、ほとんど覚えていない。

 椎木先輩が即座に救急車を呼んでくれて、俺は校庭まで香澄さんをおぶって運んだ。誰かが顧問である京本先生に連絡し、救急車に同行。香澄さんの家族にも連絡が行き、病院に向かうとのことだった。


 搬送中、京本先生が俺に言った。


「――越智、よくやった」

「…………」


 背中をさすってくれた京本先生。俺は返事ができなかった。

 ただ、暗い顔をしていた。当たり前だ。俺のせいでこうなったんだ。もし、あの時俺が香澄さんに酷いことを言わなければ、こうはならなかったかもしれない。


 罪悪感で頭がいっぱいで、喜ぶことなんてできなかった。


 ◇ ◇ ◇


 病院へ到着した香澄さんは、そのまま手術室へと連れ込まれた。


 中で何が起きているのか、俺には知る由もなかった。ただ、俺はそれからずっと、京本先生と一緒に待ち続けた。その間、先生は俺の家族にも連絡してくれて、香澄さんの手術が終わり、その家族が出てくるのを待っていた――。


「――こんばんは。京本先生。それにあなたが越智素直くん……。夜遅くまでありがとう。……娘の手術は無事、成功しました」


 助かった…………本当に、良かった……。


 約六時間。暗いロビーで俺は先生と一緒に待っていたところ、そこに現れたのは落ち着いた優しい声の持ち主だった。香澄さんを大人っぽくした印象の彼女は、香澄さんとは違い黒髪の女性で、話すからすると母親、ということになる。


「ああ、香澄さん。それは良かったです」

「…………」

「ん、どうした越智?」


 香澄さんの母親を見た瞬間、俺は居ても立っても居られなくなった。


「っ!申し訳ございませんでした!!」


 俺は三人しかいない暗いロビーで、香澄さんの母親に向かって土下座をした。許してもらえなくてもいい。でも、こうすべきだと思ったから。


「えっ、どうしたあなたが謝っているの? こちらは感謝をしているのよ。京本先生からは、あなたが娘の心臓が止まった時に適切な処置をしてくれたから助かったのだと聞きました。それは間違い?」

「間違いじゃ……ない、です……でも、俺があんなことを言わなければ…………」


 顔を見れなかった。怖くて、恐ろしくて、人の命がかかった重い状況に、俺は向き合えなかった。


「なんのことかはわからない。でも、あなたが助けてくれたことは事実。――だから、ありがとう」

「――っ……うっ……ぐっ………ひぅっ…………」


 香澄さんの母親に優しく肩を触れられた時、俺の目から涙が溢れ出した。ずっと押し殺していた感情が、堰を切ったように流れ出す。彼女の温かい言葉が、俺の凍り付いた心を少しずつ溶かしていくようだった。


「クラウディアちゃんはね。小さい頃から心臓が悪くて、何度も何度も手術を繰り返してきたの。小学生の時には完治っていうくらい元気になって、それからは何もなかったのだけど、まさか数年後に再発のような形になるとはね」


 初めて聞く話だった。香澄さんがそんな病気を抱えていたなんて、全く知らなかった。

 しかし、言われてみれば、あの登山の時だって「無理しなければ」なんて言っていたかもしれない。あの時の言葉が、今、全く違う意味を持って俺の頭の中に響いた。


「最近のあの子、毎日が楽しそうだったわ……たまにあなたの名前を出していたから、多分、君のおかげなんでしょうね」


 香澄さんが家でも俺の話を……? そんなに俺のことを……。

 俺が彼女に与えた苦しみと、彼女が俺に向けてくれていた好意のギャップに、俺の胸はまた締め付けられた。


「いやっ……でもっ……俺は、香澄さんに、酷いことを――」

「そんなに気にしているのなら、謝れば良いんじゃないかしら?」

「ぇ――――」


 思いがけない言葉だった。ふと、顔を見上げてみると、そこには穏やかな顔があった。彼女の瞳は、優しく俺を見つめていた。


「友達になる人で、喧嘩しない人のほうが少ないんじゃないかしら。私だって夫と何度喧嘩したかわからないわ。でも、結婚して子供を産んだ。だから、喧嘩したなら、その後は謝罪でしょ?それで許してもらえなかったら、何度でも謝罪すればいいのよ」


 香澄さんの母親は、至極真っ当な話をしてくれた。しかし、その言葉が俺の体に染み渡り、苦しみを和らげてくれた。だからこそ、俺がなぜ香澄さんを傷つけてしまい、あのような状況になったのかを、聞いてほしかった。


「あの――俺が香澄さんに言ってしまったこと、聞いてもらってもいいですか?」

「聞かないわ」


 しかし、その願いはあっけなく聞き入れてもらえなかった。


「ええっ」

「それはクラウディアちゃんに聞かせてあげて。あの子が一番聞きたいでしょうから。私は、私たち家族は、あの子が生きているだけで十分。その間に何があったのかなんて些細なこと。それだけあなたが気にしていることなら、直接あの子に言ってあげて」


 絶対に大事なことのはずなのに、香澄さんの母親はなぜか聞いてくれなくて、俺の謝罪の気持ちは宙ぶらりんになってしまった。もっと、もっと謝罪したかった。


 すると香澄さんの母親が、スマホをチェックしだす。


「あの子、今なら起きてるって。もう遅いからあまり時間はないけれど、少しだけでも会っていく?」

「――――は、はいっ」


 俺は涙を振り払い、香澄さんの病室へ向かうことにした。彼女に直接、謝りたい。そして、なぜあの時なぜあんなことを言ってしまったのかをちゃんと伝えたい。


 この先、どんな言葉が交わされるのか、今はまだわからない。けれど、俺は、香澄さんと向き合う覚悟を決めた。





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