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第9話 彼ジャージ

 授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、休み時間。

 この時間を使って着替え、そして体育の授業へと向かう。


 それぞれ更衣室へ向かい、体操着とジャージに着替えてから体育を行うことになる。

 俺も着替えに行こうとしたその時、左の席の方で香澄さんがあたふたしている様子が見て取れた。


「あ……あれ? うそ、私……忘れた?」


 聞く限り体操着かジャージを忘れた。そんなところだろう。

 さすがに無視はできなかった俺は彼女に話しかけようとしたのだが――


「香澄さーん! どうかしたのー!?」


 ズババっと前の方の席からやってきた人物がいた。

 庵野小依あんのこより――クラス委員長だ。


 赤髪のロングボブにウェーブをかけたお洒落ヘアの女子で、性格は明るくて活発。

 バスケ部に所属しているらしく、運動部版の真幌といったイメージだ。


 庵野さんは入学当初から香澄さんのことが気になっていたのか、こうして積極的に話しかけているところをよく見かける。


「えっと……ジャージも体操着も忘れちゃったみたいで……」

「えー! それは大変だ! どうしよう……」


 委員長の庵野さんは基本的に面倒見が良い。

 だから香澄さんのジャージをどうにかしようと考えていた。


 俺は同じ女子である庵野さんのジャージを貸せばいいじゃないか、なんて心の中で思っていたが、彼女はなかなかそうは考えなかったようだ。

 まあ、女子は色々と複雑だ。俺にはわからない何かがあるのだろうと思っていたのだが、違ったらしい。


 チラっ、チラっ…………。


 庵野さんからわざとらしい視線を感じた。

 ………俺? 俺が貸せと……?


 軽くため息を吐いた。

 そして、自分のジャージを前に差し出し——


「えっと……良かったら俺のジャージ貸そうか? ちょっと大きめだけど」

「ええ! 越智くん助かる! よかったね香澄さんっ!」

「あっ……えっ………………いいの?」


 香澄さんは困った様子を見せていたが、上目遣いで聞き返してきた。


「男のジャージだから、ちょっと嫌かもしれないけど――ほら」

「あ、ありがとう…………」

「じゃあ、俺は着替えに行くから」

「あっ…………」


 香澄さんは俺のことを嫌っているかもしれないと思っていたが、ちゃんとお礼は言えるようだ。

 俺は上下のジャージを彼女に手渡すと、体操着だけを持って更衣室へと向かった。


 ◇ ◇ ◇


「ほら、香澄さん、私たちも更衣室に行こうっ」

「あ……うん」


 体育の授業があるってわかっていたはずなのに、完全に忘れていた。

 このポンコツバカ!


 でも、でも……よくわらかないけど、素直のジャージが今、目の前にある。

 え……私、これ着るの?

 だってこれは彼の匂いが染み付いたジャージだよ?

 いやいや違う。今日は体育の授業の初日。だから綺麗なままのはず。素直の匂いなんてついてるわけがない……。


 そう思いながら私は彼のジャージを持って更衣室に向かった。


「おっきい…………」


 他の女子たちは自分のサイズにあったジャージを着ていたけど、私だけ異様にデカかった。

 それはもちろん体が大きい素直のものだからだけど……。


「すうううううううううううううう」


 誰も自分の事を見ていないか確認してから思い切り鼻の穴を広げてジャージの匂いを嗅いだ。


Es riecht(さいっっこうにハイな) |fantastisch《香りだわ》……!」


 新品の匂いに別の匂いが混じっている気がする。

 これが素直の匂い? もしかして柔軟剤なのかな。でも、女の子とは違う、男の子っぽい匂いが混ざってる気がする……てことは素直の部屋の匂い!?


「香澄さん…………彼ジャージだねぇ……にひひっ」

「なぁっ!? これは、そんなんじゃっ!」

「ふふ。香澄さん、反応可愛い。からかいたくなっちゃうよ」


 彼ジャージって……彼氏が彼女に貸してあげているジャージってことだよね?

 今思えば、私ってとんでもないことしてる?


「ほら、想像してみなよ。越智くんが香澄さんの全身を包んでる感じを――」

「うぎゃああああ〜〜!?」

「あははははっ」


 庵野さんが変なことを言うものだから、変な想像をして発狂してしまった。


 ジャージの下は下着だけだ。

 汗をかいて肌着を汚したくないから脱いだけど、逆に言えば私の汗がこのジャージに付着しちゃう?

 本当にこのまま体育の授業に使って良いのか不安になってきた……。


「私たちは体育館だからねー。早く行こうっ」

「あっ…………」


 そうか、今日は女子が体育館で男子はグラウンド。

 残念ながら素直が運動している様子は見られないようだ。


 私は庵野さんに手を引かれて体育館へ向かうことになった。


 ◇ ◇ ◇


 ――ピピーッ!


 体育教師が鳴らすホイッスル。ゴールが決まったことを知らせる音が鳴り響いた。


 サッカーを辞めてから一年以上ボールに触れていなかったけど、体は覚えているようだ。


 今日の授業はサッカーだった。

 いきなりサッカーって、マジかよと思ったが、学校のカリキュラムがそうなっているから仕方ない。


 クラスメイトでも運動神経の良い人が何人かいるが、さすがにサッカー経験者には勝てないようだった。

 ゴールを決めたのは俺だ。ドリブルで何人かかわし、左隅にシュートを打ってゴールを決めた。


「よお! お前、越智って言ったっけ?」


 すると俺のポンと肩を叩いて声をかけた人物がいた。


「うん。越智だよ……君は確か……神宮、だったよね」


 同じクラスの神宮利樹じんぐうとしき

 彼は茶髪を長くしたチャラついた見た目で、クラスでも庵野さん同様に陽キャ節をとことん発揮している人物。

 そしてうちのクラス唯一のサッカー部でもあった。


「おう、よく覚えてたな! それでよ……越智ってサッカーうまくね?」

「中二までサッカーやってたからね。でも、怪我で辞めたんだ」

「やっぱなー! トーシロじゃないと思ってたんだよ! ドリブルからパス、シュートまでスムーズだったしな!」


 サッカー部だからか神宮は俺の動きを見て、サッカー経験者だと見抜いていたようだった。


「なあ、サッカー部入らないのか? まだ一年だし、これからでもやれるだろ。怪我も治ったんだろ?」

「そうだけど、もう俺部活入ってるからさ」

「え、そうなの?」

「うん。文芸部」

「文芸部!? 全然違うじゃん! なんでまた」


 神宮は結構ツッコんでくる性格のようだ。

 さすがは陽キャだ。


「小説を書きたいんだよ。元々やりたかったことが、機会を得て現実になったってこと」

「へえ……ま、気が変わったらいつでも言えよな! ……てか、越智って最初からジャージ脱いでたよな。やる気満々か?」

「この格好は……まあ、放っておいてくれ」


 神宮は思いの外、清々しい陽キャだった。

 小説を否定するわけでもなく、無理にサッカー部に誘うわけでもなかった。


 ◇ ◇ ◇


「これっ、ありがとう……っ」


 体育の授業が終わると、ちょうどお昼休み。俺は香澄さんからジャージを返された。

 しかし、渡した途端、すぐに教室の外に逃げていってしまった。


 ……なんで?


 すると、庵野さんが近づいてきた。


「香澄さん、ジャージの下、下着しか身に着けてなかったんだよ? ニシシ」

「ワッツ!?」


 わざわざ俺にそのことを知らせて、どんなつもりだ庵野さん。

 俺が香澄さんの下着姿を想像するというのか。そんなの変態じゃないか。


「ほら、女子はバスケだったからさ。香澄さんも汗かいてたよ」

「おっふ!?」


 そっちかー!

 下着だからかいた汗が直接ジャージに付着するというとんでも性癖!

 庵野さん、君……絶対変態だろう?


 俺はジャージをそっとカバンにしまった。


 ◇ ◇ ◇


 放課後。

 俺はいち早く文芸部の部室に向かった。

 香澄さんは掃除当番だ。


「あ、そうだった」


 部室は開いてなかった。

 そういえば鍵は椎木先輩が管理してるって言ってたな。

 こういう時にLINEで聞けばいいのか。


 まあ、少しここで待つか。

 俺は部室の前に腰を下ろして椎木先輩が来るのを待つことにした。


「…………」


 俺は無言でカバンのジッパーを開けた。

 取り出したのは上のジャージだ。


『ジャージの下、下着しか身に着けてなかったんだよ』


 庵野さんの言葉が蘇る。


 ふと、ジャージを両手で持ち、広げてみた。

 そして――


「すうううううううううううううう」


 瞬間、視界が白く染まり、天使になった香澄さんの姿を幻視した。

 白い下着を身につけた香澄さんが、ふわふわと小さな翼をつけて浮かんでいる姿だ。


「これが、最高にハイってやつだアアアアアアハハハハハハハハハハーッ…………ぁ」


 俺の顔全体がジャージに付着していた香澄さんのシトラスの香りで包まれた。

 しかし、いけないことをした天罰は早速やってきたらしい。


「う、う…………」


 まだ掃除をしているはずの香澄さんがなぜか目の前にいたのだ。

 顔は唐辛子のように真っ赤だった。


「ちが……これは違うんだ……」


 弁明の余地もなかった。


「うぎゃああああああ!? 返せぇ〜〜〜〜〜!! 洗って返すから返せぇ〜〜〜〜!!」

「うごっく!?」


 俺は香澄さんにラグビー部ばりのタックルで吹っ飛ばされ、ジャージを奪われた。




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