狐製品
船の上でできることというのはそこまで多くはない。だが、それはある意味では今までできなかったことに時間を費やすことができるという意味でもある。
船の自室にて、エスノアは買っておいて読むことができていなかった魔導書を読み込んでいた。なんだかんだ、旅をしながら魔導書を読むというのは難しいこと。魔物に襲われるかもしれない状態で、魔導書をゆっくりと読むのは、旅に慣れた冒険者であっても容易ではないのだ。
だが、この船は護衛付きの船。商人を守るために配備されている護衛たちだが、魔物が現れたら代わりに戦ってくれる存在だ。
「街にいるときは観光優先ですからね」
エスノアは魔導書を読みながら呟いた。鼻歌まで歌い、上機嫌であることが伺える。
ハクとファネが甲板に行くのを見送り、魔導書を読むことを優先したエスノアだったが、その判断は間違っていなかったと再確認している。この魔導書には、エスノアの知らなかった魔法体系と知識が詰め込まれているのだ。
わざわざ商業都市で購入しただけはある、と過去の自分を褒めたくなった。
さて、ここで一つ再認識をしよう。エスノアは、魔法に関して自覚なき天才であると。一から十を作り上げるほか、零を一にする技能すらも有している、正真正銘の天才なのだと。
「こう……こうでしょうか」
魔導書に書かれている魔法を片手間で試しつつ読み進めていくエスノア。そして、ふとい思いつけば新しい魔法を作り上げて試す。
ありがたいことに、カーテンとは違う質感となったハク製の扉は、エスノアが試作する魔法の光や音を極限まで吸収してくれていた。エスノアは一人で様々な魔法を習得することができた。
本来は風に火属性を付与する魔法。それを改変し、火と水を混ぜた。反発する属性同士を混ぜる魔法は今までも研究されてきたが、実現できた者は最上級魔法使いのみ。それを、船の小さな一室で片手間で作り上げた。
少し先の物質を手元に引き寄せる魔法。それは言うなればサイコキネシスのような魔法だったが、エスノアの改変によりほぼほぼ瞬間移動のような魔法へと変貌した。超高速で移動しているので透過などは発生しないが、実のところそれも目前だったりする。
「うん、中々いい感じ」
一人、稀代の魔法の才を活かして研究し、満足した様子のエスノア。これが、王都などにある魔法研究機関にいれば、魔法レベルを数段上げていただろう。それほど前の力は、しかし、ただ愛する二人のためだけに使われる。
尚、それを見守っていた守護霊は、姉の凄すぎる才能に少し引いていた。
………
「うーん」
「待つのが肝だ」
「うーん……」
甲板。今日も涼し気な風が吹く。
ハクとファネはしばらく海を眺めていたが、そう変わるような景色でもないのでしばらくすれば飽き、何かすることがないかと考え始めた。
ハクはこのタイプの船に乗るのは初めてだったが、知識としてこういうときに何をするかは知っていた。手持ちのいつでも変化できるように持ち歩いている石を変化させ、ロッド、糸、針と疑似餌を作り上げる。
行う方式はトローリング。船の勢いを利用して、疑似餌を本物のように見せ釣りを行う方式だ。流石に生きたものを作り出すことのできないハクの変化は、疑似餌をいくらでも作れるという点で疑似餌釣りとは非常に相性がよかった。
「あっ!」
「もうちょっと待つんだ。この方法だと簡単に針が引っかかるけど、私の針が破損すると元に戻ってしまうから」
そうして現在、釣り竿をファネに渡して、初挑戦というわけだ。
ハクの変化は破損に弱い。もし魚が針を折ったり糸を切ったりすれば、途端に変化が切れてしまう。破損しないようにトローリングを行う必要があるという、初心者には向かない上級テクニックを要求しているのであった。
「とりゃああ!」
だが、その程度問題ではないのだ。吸血鬼の腕力をもってすれば、適当に引っ張り上げる機会さえあれば、船の上に持ち上げることなど造作でもないことなのだから。
ファネが全力で釣り竿を振り上げ、同時に糸が消滅する。どうやら、その勢いのせいで糸が切断され、海の中に消えて行ってしまったらしい。
だが、その勢いまでも消えるわけではなく、釣られた魚は糸のついていない針を飲み込んだまま空中へと投げ出される。
これじゃただの一本釣りだ、とハクは思いつつ、予め用意しておいた網で魚を捕まえた。びちびちと動くが、その程度で切れるほど脆くはない。
「おおー」
「流石だ。ふむ、食べられるのかな」
網を二人で覗き込む。
緑の鱗に白いラインが入っており……いやこれは、唐草模様。
「なぜこんな柄の魚が?」
「お父様、知ってるの?」
「魚自体は知らないが、この模様なら知っている」
両面、頭から尻尾に至るまでびっしりと唐草模様に包まれた魚であった。不思議、というよりも奇妙である。こんな柄をしていても、海で見つかるだろうに。
「それはカラ魚。毒があるから食えないよ」
魚を見ていたハクたちに話しかけてきたのは、同じく船に乗っていた男。船員たちは揃って同じ制服を着ているはずなので、自由な服装をしている男はハクたちと同じく客であろう。
男はアロハシャツにサングラスという、いかにも南国でバカンスというような見た目をしていた。この世界にもこんな服があるのかと、ハクは内心驚愕していた。この世界で防御力皆無な服というのはあまり需要がないだろうから。
「捌いてもだめか」
「なんだ兄ちゃん捌けるのか?だが身の方に毒があるから可食部はねえ。諦めて捨てな」
男は魚に知識があるのか、すらすらとカラ魚の情報を話してくれる。
ハクは捌く知識はないが、身と内臓を切り離すくらいはできる。魚の内臓を食べる文化はないのかと思いつつ、わざわざ食べる部分でもないと魚を網からリリースした。
「おじさん誰ー?」
「まだ二十五だ!おじさんじゃない!」
「……お兄さん誰?」
「なんで不服そうなんだ……俺の名はパンドライア!しがない富豪よ」
堂々と、手を大きく広げながら自己紹介をする男、パンドライア。
随分と仰々しい名前である。ハクが今まで出会った人たちは、基本五文字以下であるがゆえに。
「お金持ちなの?」
「そうとも。格好に別荘を持つほどの、な」
「それはすごい。しかし、そんな富豪がなぜこの船に?」
ハクたちが乗っている船は、確かに割高の船ではある。個人部屋があるので、それなりにグレードは高い。
しかし、富豪が乗るような客船は別に存在しているうえ、そこまでの富豪は自分の船を持っていることも多い。わざわざこうしてグレードの低い船に乗る理由が、ハクには見つからなかった。
尚、ハクは自分の言葉が皮肉っぽくなっていることに気が付いていない。
パンドライアは、しかし気分を害した様子もなく、黄昏るような雰囲気で呟いた。
「たまにはこうして、庶民の暮らしをするのも、いいもんだぜ?」
「私たちは富豪の気分が分からないのでね」
「お金持ちすごーい!」
「狐の兄ちゃん、ちょいと口が悪くないかい?」
流石に思うところがあったようで、パンドライアは苦笑いをしながら言う。
ハクは、男を警戒している。いや、現状近づいてくる者すべてを警戒している。それは、ファネを守るためだ。
ファネの正体がバレれば、どの国、どの種族からも疎まれる。攻撃をされる。同族の吸血鬼たちも、ファネの血を求めていると分かったので、この世界にファネを見ても何もしてこないと信用できるような者はいない。
一時行動を共にしたスフィンとプイも、ファネが吸血鬼だと知ったらどんな反応をするのか計り知れない。スフィンはファネの年齢を聞いてしまっていたがこの世界には長命種が多いので、流石に吸血鬼だとは気が付いていないだろう。
ハクはファネを守るため、常に心を鬼とする。
「あんたら、釣り竿はこっちのほうがいいよー」
だが、パンドライアは警戒しているハクを意に介さず、近くに置いていたバッグの中から折り畳み式の釣り竿を取り出した。見るからに頑丈そうで、糸の張りも非常に良い。
この世界の富豪だけが持つことを許された釣り竿を、何も考えずにハクに差し出すパンドライア。
「借りてもいいのか?」
「んにゃ、あげる。俺に釣りは向いてなかったんだ」
値段不明、しかし高価なことは分かる。それを、貸与ではなく譲渡。
値段がいくらであれ、こうも軽々と私物を譲渡するということは、相当な富豪であることは間違いないだろう。各国に別荘があるというのも、信憑性を帯びてくる。
「わーい!」
ファネがパンドライアから釣り竿を奪い取るように貰い、海に垂らし始めた。ハクが作った釣り竿は、大事そうに背負われている。
「いいお子さんだねぇ」
「それはどうも」
「まあ、何かいいものが釣れたら俺にも分けてよ。ちょっとでいいからさ」
そう言ってパンドライアは、ハクの横を通って船内に入って行ってしまった。
富豪に貰ってしまうと使いづらいのだが……と、ハクはファネが持っている釣り竿を眺めていた。
因みに、釣果はよくなかった。釣れるものがどれもこれも毒だった。




