狐、知る。砂漠に吹く風は強烈な後味を残していく
冒険者たちが起きる気配はまだない。随分と強い精神作用魔法だったようで、試しに揺さぶってみても呻くばかりで目を覚まさないし、解除しようにもエスノアにはよくわからない。
「寝ちゃった人達は無視しようよ。話を聞かれると面倒だよ」
「……それもそうだね」
ゴーレムがどうなったか、とかならまだいいが、ファネにあまり近づかれたくないという理由もある。凝魔術だとかの説明はしづらいし、追及されてしまうくらいなら……逃げるが得である。
そうしてゴーレムから逃げるように移動する。ある程度まで離れれば倒れていた冒険者もいなくなり、誰の気配もしないような場所へと移動していた。関係のない人は全員安全なところまで逃げてしまったのだろう。
戦闘の疲れも含めて大きく息を吐くと、ファネはエスノアの方を向いた。
「お父様、見つからないね」
「ゴーレム、関係なかったね……」
炎のゴーレムと戦闘をしたのは、戦えるのが二人だけだったからである。そのまま放置していれば、冒険者は勿論、街自体が破壊されてしまうだろうと思ったから戦闘行為に入っただけで、本来であればハクとは関係のないことであった。
騒ぎがあればハクの手がかりも見つかるかと思えば、見つかったのは怪しい二人組。ゴーレムを倒してもハクの痕跡は見つからなかった。
「本当、どこに行っちゃったんだろう」
ただ、二人ともそこまで悲観していなかった。戦闘によってアドレナリンが出てテンションが上がっていることも原因の一つであったが、ハクが存在していた証拠はあるのだからどこかにいると確信を持っているからである。
さて、またハクを探すのを再開しようとしたその時、エスノアは強烈な酔いを感じた。まるで大きな波に攫われたように、体がふらりと揺れる。なんとか倒れるのを耐えると、隣からどさりと音がした。
「ファネ!」
酔いを感じたのはエスノアだけではなかったらしい。ファネもまた、不安定な視界のもと、エスノアのように耐えることができずそのまま倒れこんでしまったようだ。
エスノアが駆け寄り容態を見ると、唸るように声を出すファネはただ気絶しているだけのようだ。
どうして突然こんなことに……とエスノアが思い顔を上げる。
街は、まるで戦争でもあったかのように、破壊されつくされていた。
「あれ……」
また幻覚でも見ているのかと思う。しかし、そうではない。
幻覚が、見えなくなったのだ。本来その瞳が映していたはずの光景を、久方ぶりに脳が正しく処理し、間違いのない光景を見えるようにした。
外壁はところどころ破壊され、地面にはいくつもの穴が開いている。今まで誰も転ばなかったのが不思議なほどにがたがたとなった道は、そこで誰かが争ったということが見て取れる。
そして、宿屋で見た、棘のようなものがこれまた形を失うこともなく壁や地面に突き刺さっている。この棘の主は、相当な魔力を持つ人物なのだと言うことが分かる。
「あれ、お姉様……」
「ファネ、大丈夫?」
「ん……なんか気持ち悪い」
とても強い精神作用魔法は、かけられたときも解除されたときも強い負荷が脳にかかる。街が丸ごと幻想に見えるほどの強い幻覚魔法が解除され、魔法自体に耐性の弱かったファネは気絶してしまったのだろう。エスノアが倒れなかったのは、魔法使いとしての矜持に他ならない。
「え、なにこれ……」
「分からないけど……私たちは、まだ魔法にかかってたみたい」
エスノアは、街にかけられた魔法と先ほどの人物たちを見て、何が起きたのかを大体把握した。原理は不明だが、またもやあの幼い少女の魔法により夢を見ていたものだろう。
あの時とは違い、気絶することもなく夢遊していたということだ。
「……お父様の匂い」
突如姿の変わった周囲を見ていたファネがそう呟くと、立ち上がり街の北の方へと走り出した。エスノアも急いでその姿を追いかける。
道中、気絶している人々と、困惑したような声を出す人々の姿を何度も見た。彼らにかかっていた魔法も解け、凄惨な姿となった商業都市の実態を見ることができるようになったのだろう。
そんな人混みの中を、二人は走り抜けた。何度か誰かを踏んだような気がしたが、人混みの中では謝ることもできずただ通り抜けることに専念した。
そうして中央通り、一番北の出口の場所までやってくる。商人たちがやってくる所謂正門と呼ばれるところとは真逆な位置に存在する大きな街の主の建物。その陰に、ファネが駆け込む。
「お父様!」
エスノアがあとを辿ると、そこには、毛並みを赤く染め、ぼろぼろな尻尾を持つ、一匹の大きな狐の姿があった。
力なく横たわる姿は、今まで見てきたどの姿よりも弱弱しい。
「ハクさん!」
エスノアもまた、ファネと同じようにハクに駆け寄る。未だに流血しているようで、急いでエスノアは回復魔法をハクにかけた。体力が回復することはないが、流血の傷が閉じなければ、このまま死んでしまう。
ハクは目を閉じ、荒い息をしていた。眠っているようで、二人が近づいても起きる様子はない。
人の姿を保てなくなったのか、人の姿をやめたのか。エスノアから見るハクの魔力は、いつもの一割未満になり、これではまともに変化魔法を使うこともできないだろう。
「お姉様、お父様を連れて……」
「街が混乱してる。こっちじゃ狐は一般的な生き物じゃないし、モンスターと間違われちゃうかも」
「でもっ!」
「傷口を治したらしばらくここで待機。ここなら誰も来ない」
ハクが来たのは、街の主の建物が生み出した完全なデッドスペース。荷物置きにすらなっていないここなら、誰かがふいにやってくることもないだろう。
基本的に、ハクが狐姿のときは、エスノアが飼いならしているものということになっている。テイマーのような職業はこの世界にも存在しているし、背中に乗って移動しているところを見れば害がないことは分かるだろう。
だが今は時期が悪い。あの怪しい二人がいなくなり、街にかけられていた魔法が解けた。気絶したままの人も多い中、傷だらけのモンスターが現れたら、それを討伐しようとする阿呆が出ないとも限らない。
「本当はちゃんと治療したいけど……これじゃ砂漠を渡れない」
エスノアは水をハクにかけて、血を洗いながらそう呟く。
この街には、至る所に水路が作られ、暑さを緩和するようにされている。しかし、一度外に出ればその照り付ける日差しは、弱ったものを逃がさないだろう。
ただでさえ魔力が減っているハクでは、断熱結界を使用したとしても、砂漠を渡り切る前に力尽きてしまうことは目に見えていた。
少なくとも魔力が半分、可能なら八割くらいまでは回復してもらわないと移動はできない。
「ファネ、そっち持って。ハクさんを裏返すから」
片方の清掃が終わり、ファネがハクをひっくり返す。
どうやらこちらの方が出血が多かったらしく、こちらはもはや赤い毛並みだと言われた方が納得できるほどに赤く染まっていた。回復魔法により傷は塞がったものの、ところどころ丸く禿げた毛並みは、その戦いの過激さを物語っていた。
やはり、ハクは棘の魔法使いと戦っていたのだとエスノアは理解した。それは、あの怪しい二人組のどちらか、それとも別の誰かかは分からないものの、相当な手練れを相手に、ハクは随分と戦いを繰り広げたらしい。
「また、守ってくれたんですね」
………
そして日が沈み、街の喧騒が大きくなる頃、ずっとデッドスペースでハクを見守っていた二人。月が真上に来るときまで何も食べずにいた二人は、朦朧とした意識で街の方を眺めていた。しかし、がさりという音で意識を覚醒させる。
「ぐ、ううぅ……」
「お父様!」
「ハクさん!」
唸るような声と共に白い狐は立ち上がる。しかし、ふらりと揺れたと思えば、そのまま倒れこんでしまう。
二人はハクの顔の方に近づき話しかけた。
「ハクさん、私です。エスノアです、分かりますか」
「お父様!お父様!」
「きゅうぅぅん……」
ハクは鼻をこすりつけるようにエスノアとファネに当てる。やはり、人の姿になるには魔力がまだ足りないらしい。
「ちょっと待っててください、何か買ってきます!」
エスノアは飛び出して、何か食べ物が売っていないか探す。
例え崩壊した街であっても、人というのは腹が減る。腹が減るなら、食べるものを用意しなければならない。
例え市場が崩壊していたとしても、商業都市というからには何かしら売っているだろう。
「あの、何か食べるものをください!」
「あいよ」
エスノアが少ないお金の入った袋を差し出すと、店主は中身も確認せずに串焼きを用意し始めた。
人がごった返す中央通り。いつもは高級商品しか並ばないその場所に、今日はご飯の屋台が並んでいた。冒険者向けの道具や装備を並べる店が両隣で営業している。
「身内が倒れちまった類だろ。礼はいらん、もってけ」
そう言って、店主は袋の中身に不相応なほどにたくさんの串焼きを包んでくれた。エスノアはじんわりと温かい気持ちになりつつ、ぺこりと頭を下げてからハクのもとへと走る。
ハクは串焼きをはぐはぐと食べ、ファネとエスノアも数本食べた。そうして、串焼きは一本もなくなったころ、とうとうハクの姿が変わる。
「あぁ、やっと魔力が回復した」
「ハクさん!」
「お父様!」
改めて、二人はハクへと抱き着いた。まだ寝転がったままのハクだったが、優しく二人の頭を撫でる。
「心配かけただろう。悪かったね」
「うぅ……うわあああん……」
たまらず、ファネが泣き始めた。エスノアも涙目になりつつも、何があったのかと震えた声で尋ねる。
「寝ているときに、突然襲われてね。逃げながら応戦したんだが……結局このありさまだ」
「ハクさん、ぼろぼろの街はそれが原因で?」
「いや、私が起きたときには既に外壁に穴が開いていた。戦いで悪化したのは否定しないが」
ハクが奇妙な魔力を感じ夜目を覚ますと、突如として窓の外から棘が飛来。なんとか回避すると、青いマントとローブで顔を隠した何者かが窓から突入してきたのだという。
そうして戦いながら逃げ続け、なんとか撒いてこのデッドスペースへと逃げ込んだのだという。
「何を聞いても答えてくれなかったし、正直不気味だったよ」
乾いた笑いをするハクに、エスノアは雫を一つ垂らした。
ファネと小さくなった泣き声とエスノアの涙。
喜びと悲しみを背負い、夜は更けていく。




