商業都市二日目
目が覚めることには女子部屋の匂いもなくなり、エスノアは安堵しつつ魔法を解除した。ファネは先に起きていて、開けた窓から外を眺めていた。外からは見えない角度ということもあって、ローブは羽織っておらず背中の羽は丸見えだ。
深窓の姫君……なんて言葉がエスノアの頭に浮かび上がった。長い赤の髪を揺らして物憂げに外を眺める姿は、確かにお嬢様のような雰囲気である。
エスノアが起きたことに気が付いてファネがこちらを見れば、いつもの笑顔に戻りエスノアに挨拶をした。
「おはよう、お姉様」
「おはよう。外を見てたの?」
「うん。朝から元気だなって」
窓の外からは既に賑やかな声が聞こえてきていた。二人が寝坊したわけではなく、ただこの都市の朝が早すぎるだけである。ついでに言うなら、ファネもエスノアも一般的に言うなら早起きである。
「もしかして眠れなかった?」
「ううん。ちゃんと眠ったよ。血の匂いのせいでちょっと寝つきは悪かったけど……」
ファネは血の匂いを嗅ぐといつもよりも冷静になる。だが、それは覚醒しているともいえるわけで、血の匂いが残っている部屋では常に脳が覚醒してしまって、ファネは眠るのにいつもの三倍時間がかかった。
エスノアは寝間着から着替えて、いつもの服装になる。ファネにローブを着させて、部屋から出た。
「ハクさーん、起きてくださーい」
「お父様ー」
ハクの部屋にはそれに対応した鍵が存在しているので、ハクが鍵を閉めている場合エスノアたちは扉の前で開けてもらえるのを待つしかない。そう思って扉を叩いていたのだが……
「お姉様、開いてる」
「え?」
ファネがドアノブを動かすと、扉はすんなりと開いた。鍵の魔法は特殊で、そう簡単に解除されるようなものではないので、そもそもハクは鍵を閉めずにいたということになる。
「失礼しますよ~」
恐る恐る、エスノアは部屋の中に入った。もし鍵を閉め忘れているだけなら、不用心なので注意をしなければいけない。もし強盗でも入っていたら……
部屋の窓は開いていて、砂漠のカラっとしていつつも涼し気な風が部屋の中を満たしていた。きれいに整えられたベッドと、乱れなどなく整然と置かれた家具。
まるで、誰もここにはいなかったかのように、その部屋には何もなかった。
「ハクさん?」
まさかハクがかくれんぼなんて悪戯をするとは思えない。気配を探ってみるけれど、どこにも探知は引っかからない。
昨日ハクは確実にここで眠っていたはずだ。この部屋に入るのを見ているし、おやすみの挨拶はいつも通りした。だというのに、なぜ、荷物の一つも残っていないのか。なぜ、ベッドにはいつもの白い毛が落ちていないのか。
なぜ、なぜ、なぜ……
「うぅ……」
声に振り返れば、ファネの目が潤み、今にも泣きだしそうになっている。
ファネにとってのトラウマは、身近の誰かが突然いなくなること。特に、父親が喪失するという体験は、ファネにとっては思い出すだけで心の傷が深くなる。
エスノアはファネを宥めつつ、宿屋の店主に質問することにした。もしかしたら、先に宿屋を出ているのかもしれない、と。
泣き出しそうなファネが泣かないように抱くように頭を撫でつつ、店主に質問をすると、
「ん?いや、その部屋は使われてないよ」
「でも昨日私たちと一緒にいた白い狐の獣人が」
「昨日は君たち二人だったじゃないか。子供二人で旅をしてるなんて大変だねって声をかけただろう?」
店主の男性は、不思議そうな顔をして語る。それは、何の嘘もついていない、純粋に疑問に思っているような表情で、実際、宿の記帳にも白の狐の記録は残っていないという。
「どういうこと……?」
「お父様……」
混乱する頭を無理やり落ち着かせ、ファネが取り乱さないように冷静を保つ。エスノアも心の中では泣きたい気持ちではあったが、目の前にいる妹を守るためにエスノアは大人にならなければいけない。
宿を出て、昨日ハクと一緒に回った店をもう一度訪れる。入れ替わりが激しい都市であるから、既に新しい店になっているところもあったが、店に常設された本屋や調味料を買った店でも、ハクのことなど知らないと伝えられた。
いよいよファネが声を出さずに涙を流し始めたので、宿屋の部屋に戻って宥める。
「お姉様、お父様はどこに行ったの……?」
「……」
エスノアは考える。今何が起きているのかを。
まず、ハクがそもそもいなかったことになっている。それはファネとエスノアを除いたすべての人物の記憶からなくなり、またハクとやり取りをしたという記録自体も消えているということだ。調味料の購入などはエスノアがやったことになり、宿屋もエスノアがとったことになっていた。
だが、実際には違う。エスノアの荷物には調味料は残っていないし、ハクに持たせたままの断熱結界魔道具やスライムの瓶などはそのまま忽然と消えている。少なくとも、エスノアとファネが砂漠を超えてここまで来たという記憶自体が間違っているということはなさそうだ。
となれば、次なる疑問は、なぜエスノアとファネは覚えているのか。街全体でハクの記録が消えているというのなら、二人の記憶からも消えていてもおかしくはない。だが、昨日のことも、これまでのこともきれいに思い出すことができる。
「うぅ……」
「ファネ、大丈夫だから。きっと」
喚くようなことはしないが、ファネの目から涙は止まらない。
それでも
「うん、お父様がいなくなったわけじゃない。探さなきゃ」
「ファネ……」
「ファネは強くなったんだもんっ!」
依然として涙を流しつつも、意思を感じられる瞳に光を灯す。
ファネはバッグの中から血の瓶を取り出した。昨日開けずにそのままにしておいた瓶のうち片方を開き、ファネは豪快に飲み干す。
血の独特の刺激臭がエスノアの鼻孔を貫くが、今は部屋から逃げ出すわけにはいかない。
一気に一瓶を飲み干したエスノアは、満足そうに笑い、涙を止めていた。
「ふぅ……お姉様、ありがとう。一緒にいてくれて」
「いいの。だって……姉妹だもん」
優しくファネの頭を撫で、ファネも強くエスノアを抱きしめた。
窓の外の喧騒は、緩やかな落ち着きを見せていた。




