血を吸う
宿に戻ると、ハクは買ったものの中から、血の入っている瓶をファネに渡した。不慮の事故などで他の人に見られないように、部屋の中でこっそりだ。
「血の吸い方が分からなくとも、こうして血があれば飲むのは問題ないだろう」
「うん。ジュースみたいに飲めるよ」
血が目の前にあるからか、ファネはいつもよりも冷静で静か。どうやら、瓶の中にあったとしても、ファネは血の匂いをかぎ分けることができるらしい。
流石、王都地下の果てしない水路の先の血を察知したファネだ。この距離なら、密封されている血も分かる。
「一瓶開けてみるね」
血の匂いを好むものは、そうそう存在しない。そのため、このように血を扱う場合は匂いが外に漏れ出ないように密封することになっている。
ファネが吸血鬼の腕力で瓶を開けると、その瞬間血の匂いが部屋の中に広がる。そのあまりにもな匂いによって、エスノアはすぐに部屋から逃げ出してしまった。きっとハクの部屋へと移動したのだろう。
ファネは当然として、ハクも血の匂いは慣れたものであった。それは、生まれの森での狩りでの記憶であり、そして兄弟と親が殺されたあの事件の記憶でもある。
「お父様、大丈夫?」
「大丈夫だ。何かあったらいけないから見ておくよ」
ハクが聞いた話だと、吸血鬼が血を摂取すると、それだけで成長するらしい。体が大きくなるとかそういう変化ではなく、魔力量が増えたり術の扱いがうまくなったり……そういう意味での成長だ。
ファネは恐る恐る瓶に口をつける。ハクと出会ったからは初めての吸血で、少し緊張しているのだ。
どろりとした血液が、ファネの口の中に入り喉を通っていく。その時、ファネは久しぶりの血液への喜びと、血液自体はそこまで美味しくないことへの落胆を感じていた。
「どうだ?」
「んー、あまり血液に魔力がないから成長しないかも。それに、あまり美味しくなーい」
血液を売ってくれた店主曰く、この血液はハクもよく食べるファンタス鳥のものだという。ハクはファンタス鳥の全容をよく知らないが、この世界に生きているならばある程度の魔力はあるだろう。
だが、ファネは成長に足り得る魔力を感じなかったという。ということは、ファンタス鳥程度ではファネは成長しないということ……
「私が思っていたより、ファネは十分成長しているのかもしれないなぁ」
「むー」
頬を膨らませて、しかしそれでも血を飲むファネ。美味しくはないが、飲まないという選択肢はないらしい。
ファネの見た目はエスノアと変わらないくらいの身長で、それこそ姉妹のような身長差ではある。しかしながら、実際のところは百歳を超えた子であり、既に今までも何度か強い血液を摂取している。それもあってか、ファンタス鳥程度では成長できないようだ。
一瓶をファネが飲み切ると、ファネは満足そうな顔をしたあと、艶やかにため息をついた。それはまるで成熟した女性のような色めきであり、ハクのイメージにある吸血鬼らしさでもあった。
ふぅ……と、ファネが呼吸すると、いつもの幼さを出してハクに瓶を渡した。
「お父様、ありがとう!」
「いやなに、あまり満足のいく結果にならなくて悪かったね」
吸血鬼と言う種族が、血を飲むことで成長するというのはハクも知っていたこと。ファネがもっと成長できればと購入した血液だったが、成長もせず美味しくもないともなれば、ハクとしては微妙な反応だ。
とはいえ、血液を飲むという機会自体が少ないので、多少は気も紛れるだろうと残りの二瓶はファネにあげることにしたハク。満面の笑みでファネは受け取り……傍から見れば、血を受け渡す狂気の親子の図であるが、幸い誰も見るものはいない。もし見ている人がいれば、ファネが吸血鬼であることを抜きにしても通報されてしまうだろう。
基本的にほとんどの道具はハクの持つバッグに入れているが、ファネとエスノアにもそれぞれ小さめではあるがバッグがある。信頼しているとはいえ、異性であるハクに着替えなどを持たせるわけにはいかないという理由であり、故にファネのバッグには服と下着しか入っていなかったのだが……そこに血液の瓶が二つ追加された。
見る人が見れば、生娘殺人事件の証拠品である。
「やっぱり人間の血液じゃないと強くなれないのかなぁ」
「単純に魔力の問題かもしれない。ファンタス鳥にはあまり魔力がないと言う話だから」
血液を片付け、ファネはベッドに座った。その目はハクに……ハクの首元に向けられていた。
「……お父様の血も飲んでみたい」
「私に害がないならあげてもいいんだけど」
「血の吸い方分からないから、ファネが飲もうとしたら殺しちゃうよ」
ファネ曰く、上手な吸血鬼は相手が何であっても、外傷なく血を吸ってしまうのだという。そうすることで何度も血を吸えるようにし、食料としての価値を保たせるのだとか。
まるで蚊のようだとハクは思っているが、ハクが思っているよりかは見た目は残虐である。
「お父様……えっと、吸血鬼のお父様はこの歯を使うって言ってたけど」
そうしてファネが口を大きく開けて、右上と左上にある人間のものとそう変わらない見た目の犬歯を指さした。
血を飲む瞬間だけ、その犬歯は注射針のごとき鋭さを持ち、獲物の血管に小さな穴を開ける。
「でも、ファネが飲もうとしても伸びないんだよね。コツとかあるのかな」
「流石に歯を伸ばすのは……」
だが、変化魔法ならあるいは……と思っていると、部屋の扉が開いた。薄い風のベールをまとったエスノアが、匂いを気にするようにして中に入ってきた。
「終わりましたか?」
「ああ……エスノア、それは?」
「匂いが私にはきつくて、風の鎧のようなものを作ってみました」
血の匂いをどうにかするため、エスノアはこの短時間で新しい魔法を作り上げてしまったらしい。敵を攻撃するような鋭さはなく、本当にただ空気の流れを変えるだけの強さしかないベールではあるが、二次効果として常に少し涼しいというメリットもある。
本来魔法の開発は高度技術なのだが、エスノアにとっては片手間のことらしい。砂漠を超える魔法には一晩かかったというのに……
「お姉様、魔法の開発すごい!」
「これくらいは応用でできるから。まだ部屋には匂いがありますか?」
「まだ少し匂うが……私は常人よりも鼻が利くからね。ファネも血の匂いには敏感だし、私たちの判断はあまり参考にならないぞ?」
「後日ここに泊まる人が獣人である可能性もありますから。ちゃんと匂いが消えるまでは出れませんよ」
エスノアが風の範囲を広げて、部屋全体にそよ風が流れる。窓を開けているわけではないのに、まるで草原にいるかのようにハクの毛並みが揺れる。
「さて、そろそろ寝よう。まだ行けていない通りもあるから、明日以降に」
「はい、おやすみなさいハクさん」
「お父様、おやすみー」
ハクはそうして部屋に戻った。
寝る時間だというのに、窓の外からは未だに商談の声が聞こえ続けていた。




