森の外までの道のり
エルフたちに悟られずに人の姿に戻ることはできないと諦めたハクは、エルフのキャンプ地を出るまでは狐姿でいることに決めた。尻尾が二本ある随分と大きな狐ではあるけれど、今のところエルフから訊かれていないので、きっとエスノアの使い魔のようなものという認識をされているのだろうとハクは思っている。
ハクのためのご飯を用意したエスノアが、ボウルをハクの足元に置いた。傍から見るとペットと飼い主にしか見えないので、エスノアからすると申し訳なさでいっぱいだ。
「ハクさん、ご迷惑をおかけします……」
「キュン!」
気にするなと声を出すが、残念ながら鳴き声にしか聞こえない。
念話的な魔法をそろそろ覚えなければなとハクが思っていると、ファネがハクの背中に乗った。ハクは五人くらいは乗せれるくらい大きいので、例え食事中であっても背中にはどこかには安定する位置がある。
「お父様もふもふー」
ハクがもぐもぐとハンバーグ(獣肉使用)を食べている間、ファネがきゃっきゃと笑いながらご飯を食べる。
ハクの変化魔法を使えば、その大きさを地球の狼と同じくらいまで小さくすることも可能だ。既にこの大きさでエルフに見られているのでもう変えるタイミングはないのだが。ただし、小さくなろうとするとファネが少し不満そうな顔をするので、今のところ小さくなったことはない。
「お父様、食べ方豪快」
「野生本能でしょうか?」
人の姿の時には考えられないような勢いでハンバーグを食べるハク。
無意識のうちに、ハクは森の世界をフラッシュバックさせていた。兄弟たちと食べ物を賭けて競い合った日々を、狐姿に戻ったハクは脳裏に描いていた。日本人らしさなど欠片も感じないような食べ方も、今ではすっかり慣れてしまっていた。
そうして食事を終わらせたら、エスノアは地図を広げる。これは昨日、このキャンプ地に着いたあとにエルフの一人から貰ったものである。エスノアが声をかけたら快く渡してくれたのだ。
地図は、バンガロンド共和国全土を示したものであった。バンガロンド共和国の南はほとんどが海岸線になっており、西にアルクリア、東にドラメル、北にクエンサーが位置しており、この大陸の中では珍しく三国に囲まれている。
「私たちはここの森にいるようです」
エスノアが指をさしたのは、アルクリアとバンガロンドの間にある巨大な森。ハクが見ると、そこには探魔の森と大きく書かれている森が、アルクリアとバンガロンドの間をまるで分断するかのように広がっている。
その中に赤く丸が付けられている場所があり、現在地を示しているようだった。南側に書かれている丸の付近には何もなく、丸の中にも何かがあるようには見えない。エルフがここにいるという情報は公にはされていないのか、エルフが生活するようになったのが最近なのか……森の北側には道のようなものが書かれており、エルフのキャンプ地とは途方もない距離があるのが分かる。
「道まで行くのは現実的ではないので、このまま東に進んで森を抜けます」
「あれ、じゃあここってまだアルクリア?」
「ここはどちらにも属していない場所みたいだよ。魔物が多すぎて開発が進んでいないんだって」
北側に存在している道以外は、集落のようなものすらも存在していないのが地図から分かる。もしかしたらこのキャンプ地のように地図に書かれていない場所が存在している可能性はあるものの、森が広大すぎて確認する手立てはないだろう。
つまり、衛星写真を撮影する魔法などは存在していないということだ。ハクはまだこの世界の魔法をすべて把握しているわけではないので、なんだか意外に感じた。
「じゃあ国境もまだ?」
「うーん、判断が難しいんだけどね。一応それぞれの国で多少は森の伐採とかして資源にしてるみたいで、森の端っこが国境ってわけでもないみたい。森の中に不明瞭な国境があるって感じかな」
エスノアとファネの会話を聞きつつ、ハクはバンガロンド全体を見渡した。それなりの大きさがある地図から分かることは、アルクリアよりも街の数が多いということだ。
事前情報からこの国にはアルクリア以上に様々な種族が生活していて、それぞれの国家を形成しているような状態とのことだったが……なるほど、確かにバンガロンドの国土は場所によって自然環境がはっきりと違っており、それぞれに街があるようだった。
ハクが確認できるだけでも、砂漠や火山のような生活しづらそうな場所があれば、海に近いところには穏やかな平原も広がっている。地図によると海岸沿いには人魚の入り江と書かれた場所があるが、そこには崖のようなものしか描かれていない。
この国を全部見るのはアルクリア以上に過酷な旅路になりそうだ。
「都度街で準備をする必要がありますね。ハクさん、ひとまず森を抜けたところに街があるようなのでそこまでお願いします」
「キュン!」
「ふふ、元気な返事ありがとうございます」
狐姿の反動か、いつもよりも大きな声が出てしまうハクは、少し恥ずかしそうにしている。
その間にエスノアは地図にペンで一本のラインを引いた。それは、森を抜けた街を貫き、砂漠の方まで伸びている。
「このルートを通ります」
「砂漠通るの?」
「この砂漠が一番情報が集まるってエルフの方々が言ってたの。この国のことを知るにはここに行くのがいいって」
森を抜けたところにある街は人間の住んでいる街であるようだが、森の道から随分と離れたところにある関係で交易や情報収集には向かないのだ。
「うーんと、砂漠ってことは前に歩いた山より大変?」
「そうだね。しっかり準備していかないと」
「もしかして飛んだらもっと暑い!?」
「暑いかも」
「うぇぇぇ」
ファネがハクの背中でうつ伏せになって溶ける。
ファネは暑い環境、特に喉の渇きに弱いらしい。吸血鬼という種族が関係しているのかは不明だが、喉が渇くと人間よりも弱体化してしまうかもしれない。
そうして次の目的地を定めた一行は、さっさと準備をすることにした。キャンプ地に長居する理由はないし、どうしてもエルフに対する忌避感が抜けないエスノアは早いところ移動したかったのだ。
準備するものなどほとんどなく、必要なものは変化でどうにかなるということで、使った道具や食器を元の物に戻したりするだけでやることはすべて終わる。
「じゃあ行きましょうか」
朝になってまだそこまで時間は経っておらず、太陽はまだ斜めから光を放っている。起きているエルフはそこまで多くもないうちにキャンプ地を離れようとエスノアとファネがハクの上に跨る。そしていざ出発しようとしたその時、背後から声をかけられた。
「すみません、ちょっとだけお話をいいですか?」
それは女性の声。振り返ると、きれいなエメラルドグリーンの髪をした長髪のエルフが立っていた。膝丈までのスカートは、エルフというよりも町娘のような印象を与える。
「えっと、なんでしょう」
「少しだけでいいので……エルフの森の現状をお聞きしたくて」
エスノアが露骨に警戒するが、エルフの女性は穏やかな笑みを浮かべており、ただ単純にエルフの森を憂いているようにも見える。
警戒心はありつつも、優しい心を持つエスノアはそれを無視することはできない。諦めてハクの背中を降りて女性の前に立つ。
「本当に少しだけなので……エルフの森はどうでしたか?」
「ええっと……」
エスノアが一瞬言いづらそうにすると、エルフは「正直にいいですよ」と優しく言ってくれたので、エスノアも正直に答えることにした。
「私たちは、過ごしにくかったです。隔離されて、出ることもできなくて……」
「同胞がご迷惑をおかけしました。出るのにどれほど時間が?」
「あっ……」
まさかハクに乗って全力疾走で逃げましたなんて言えない。だが、エスノアの表情とハクが顔を逸らしたことからなんとなく察したようだった。
「ふふ、大丈夫ですよ。ああいうのはさっさと逃げちゃった方がいいですから」
そうしてエルフの女性は深々とお辞儀をした。
「旅の方、申し訳ありませんでした。帰ったらちゃんと言っておきますので」
「もう近づくことはないかなと……」
「エルフは変わるのに時間がかかる種族ですので……私たちであれば歓迎しますので、どこかでまた会いましょう」
そうしてエルフはキャンプ地の中央の方に戻っていく。
結局なんだったのかとエスノアが思いながらハクに跨る。ハクが走り出す頃には、エルフの女性はもう建物の中に入ろうとしている頃だった。昨日絶対に近づくなと言われた、中央の建物の中に。
それを見たのは、後ろでエスノアの背中を支えにしていたファネだけであった。




