豊穣の街
しばらく続いた林が終わると、途端にそこは田園風景が広がるようになった。街も見えるとはいえまだまだ距離があるというのに、既に人の手が入った畑がハクたちの前に無数に存在していた。
だが、その畑に人の姿はない。どうやらこの広さの田畑があるというのに、ここまで手がつけられていないらしい。既に雑草のようなものが生え始めており、少なくとも半年以上はここの畑を利用していないのが見てわかる。
「吸血鬼の仕業だろうか」
「そうですね。一人で行動できなくなった影響で、今までよりも作物の管理ができる広さが減ってしまったとか」
今までは街の農家一人一人が何面もの土地を管理し、作物を収穫していた。
しかし、吸血鬼によって行動制限が課せられるようになってからは、複数人で何面かの農地を利用するようになったため、一人あたりの農地面積が減ってしまったようだ。このままでは、王都で食べられる食物が減ってしまうため、国もこの事態を大きく見ている……
その割には未だに騎士などが派遣されていないのだなとハクは一人首を傾げた。
「ここらへんはもう吸血鬼の領域です。はぐれないように行動しましょう」
ハクはこの世界の吸血鬼を知れば知るほど、ハクの知っている吸血鬼とは違うなと実感していた。
太陽の下を歩いても問題なく、にんにくも食べるし、十字架は効かないし、川を泳ぐ吸血鬼もいる。ハクも吸血鬼の性質を知り尽くしていたわけではないけれど、日本でもよく知られている吸血鬼の特徴がほとんど当てはまらない。
いざとなれば変化で十字架を大量生産しようかと思っていたが……と、冗談を考えつつハクたちは歩みを進めた。因みに、ファネに恐る恐る十字架を見せたときは何それと言われた。どうやら、この世界には十字架という概念自体ないようだ。
「ひとまず街で吸血鬼のことを調べて……」
「実際にその吸血鬼に相見える」
「私たちも相応の準備をしないといけませんね」
吸血鬼の討伐は今までに成し遂げられておらず、ほとんどの冒険者は帰らぬ人となった。そんな吸血鬼から命からがら逃げだした人々から得られる情報、それだけが頼りである。ハクの脳内には、例の情報屋のことが過ったが、どこにあるかは向こうから接触してもらわないと分からないので一旦置いておく。
少し進み、やっと育てられている作物が見えるようになったころ、街の門へとたどり着いた。街自体には壁が健在であり、襲われているような印象は受けない。
しかし、吸血鬼の襲い方は一人ずつ襲うものであり、街自体を襲うようなことはしない。街は無事なのに、住人は襲われるという極めて絶望的な状況でもあった。
街の入り口では、門番の検査もなく中へと招き入れられた。曰く、入り口で時間をかけている暇もないとのこと。
もしファネのことを調べられて吸血鬼だとバレると大変なことになるので、行幸であった。ハクは最近ファネのことを誤魔化す方法を思いついていたので、もしバレてもなんとかなると思っていたが……騒動にならないなら、そちらの方がいい。
「ひとまず宿を探して、情報収集だ」
街には活気がなく、冒険者もまばら。宿はすっからかんで、ギルドには暇そうにしている職員が多い。
エルトロールの街は、現在衰退の一途を辿っている。
「ギルドに依頼書でもあるかと思ったが……」
「何も貼られていないですね」
ハクたちが目を付けたのはギルドの掲示板。いつもなら依頼書がところ狭しと貼られており、冒険者たちはそれを見て街での滞在費を得ようとする。
しかし、ここの掲示板は、それこそ白紙とも言える状態であった。あるのは農家の護衛依頼のみで、それ以外の依頼は意図的にはがされたように姿を消している。
「きっと、この依頼には他よりも高い重要度があるからだろう」
「小さい依頼なんてしている暇がない、ということでしょうか」
「まあ、この現状じゃ無理もない」
ギルドの中にいる冒険者の数は、片手で数えられるほど。いつもは異世界らしい多様さを見せ、心躍るような喧騒を生み出しているはずのギルドが、見るからに閑古鳥を鳴かせていた。
これでは、確かに依頼などしている暇もないだろう。それに、冒険者たちもこの街に長く滞在したくはないはずだ。できることなら、一日でも早く吸血鬼の領域から抜け出したいほどであろう。
実際、吸血鬼の被害が報告されるようになったころから、エルトロールに寄らずに次の街まで行ってしまう冒険者が増えている。それだけ、吸血鬼は脅威として見られ、そして嫌煙される存在なのである。
「全然人がいないねー」
「私たちのような子供がいるのも浮いて見えますね……」
「何、狐の私が浮いて見える時点で異様だろう」
王都のような大きな街では、子供の冒険者も獣人の冒険者も、数えられないほど滞在している。しかし、ここにいる冒険者は吸血鬼の脅威にも負けない自信がある冒険者だけ。
ハクのような楽観的な冒険者も、エスノアのような子供の冒険者も、このギルドにはいなかった。
「ひとまずギルドに聞いてみよう。居場所などは把握してるだろう」
ハクは暇そうにしているギルド受付の一人に話しかけにいった。【一時的に魔石の買い取りを中止しています】という文字列は、嫌に目立つ配色でハクの視線の一部を奪った。
………
受付の人とハクが話しているのを待つ間、エスノアとファネの二人は、ギルド中にあるベンチで休憩していた。本来は酒を飲んだり作戦会議をしたりする冒険者で埋まるベンチが、今日はすっからかんである。
無言でハクを待つエスノアは、ファネの羽がマントの裏で動いていることに気が付いた。
「どうしたの、ファネちゃん」
「何がー?」
「背中が忙しなく動いてるから」
吸血鬼の羽というのは独特な形をしており、見る人が見れば一目で吸血鬼だと分かってしまう。それを避けるために、ファネは常に羽を隠すようにマントやケープを羽織っている。動かすとマントの下に何かあるのが分かってしまうので、基本的に羽はじっとしているのだが……なぜか今日はファネの羽が動いていた。
ファネは一瞬何を言われたのか理解できていなかったようだが、数瞬考えてから、自分の羽が動いていることを言われているのだと理解した。
「なんかムズムズするの。近いからかなぁ」
「あまり参考文献がないから私も分からないんだよね」
指摘されたからファネは羽の動きを止める……ということもなく、ずっとマントの下でパタパタしている。背中側に誰も立っていないので、ファネの背中が奇妙に動いている様子は他の誰かにバレる心配はない。
吸血鬼は同族が近いと羽を動かすのかな……なんてことをエスノアが考えながら待っていると、随分と話し込んでいたハクがようやく戻ってきた。
その顔は随分と苦い顔をしている。
「どうでしたか?」
「いやぁ、ちょっと困ってしまった」
ハクの困り顔というのはあまり見ない。そのため、ここまで露骨に困り顔を見せるハクを見ると心配になってしまうエスノアだったが……
ハクが告げた事実は、そんなエスノアをして困り顔にしてしまうものであった。
「吸血鬼の討伐隊が来る予定だから、教えることができないんだとさ」




