潤いの旅路
ハクとエスノアは、それなりの大きさがある川の傍を歩いている。
小さな魚が時折跳ねる水辺には、涼し気な風が流れていた。魔物も獣もおらず、穏やかな空気だけがそこにあった。
「あの魚って食べれるんですかね」
「狩ってみればいい。食べれるかどうかは、大概勘で分かる」
「それ野生の勘ってやつじゃないですか…?」
二人は現在、川をさかのぼるように進んでいる。特に理由はないが、源泉に行けば何か見つかるだろうと期待してのことだ。
二人の旅に、明確な目標など存在しない。とある登山家のように言うならば、そこに川があるから遡るのである。
この世界の自然環境というのは地球のものとそう大して変わらない。源泉があれば川が生まれ、川の周りには生物が多く生息する。
そんな中で、ハクたちを襲う魔物やモンスターがいないのはある意味幸運なことであった。普通であれば、すでに何度か戦闘をしているはずだが、今のところ全く戦闘のない安全な旅路を歩んでいる。
「ここはどのあたりなんだ?」
「地図によると、アルクリア王都の手前あたりですね」
小さい地図を見ながらエスノアが言う。方向と主要都市が記されているだけの簡易的なものではあるが、歩いている方向さえ分かればそれなりに役に立つ代物だ。
アルクリア王国…それは、この世界の五大国家のうちの一つである。王都クレメンを主要都市としており、アルベンの街や獣人の村も領土としてはアルクリア王国に属している。主要産業というものもないが、何かが欠乏しているということもない豊かな国である。
ハクやエスノアなどの冒険者にとっては気になる問題ではないのだけど、物流が最近滞っているらしい。正確に言うと、遠方のものが都市に集まりにくくなっているのだ。
そのために、主要都市に近づけば近づくほど指数関数的に物価が上昇するという問題が発生している。今のところ、この問題は何が原因なのか国は特定できていない。
「王様は若くして天才と呼ばれた人物らしく、王妃はそんな彼の同級生だったらしいです」
「同級生?学校の話かい」
「はい。王都にある総合学術学校で共に成績上位ワンツーだったみたいですよ」
異世界なので、日本のものとは違うと分かっていながらも、学校での同級生がそのまま王と王妃になっているという話を聞くと、なんとも非現実的なものだと思わらざるをえない。
日本の小説でも、学校の成績トップがそのまま総理大臣になるなんてシナリオは、そうそうお目にかかれない。事実は小説よりも奇なりというべきか。
「人間以外にも寛容で、過去には獣人が国の主宰をしていたこともあったらしいです」
「よく知ってるね。本からの知識かい」
「そうですね。あと、この国で生まれた子供というのは遅かれ早かれ幼いうちにそういった話を聞くことになります」
五大国家の中で獣人の村が多く点在しているのはアルクリア王国だけだ。他国にも獣人の住む街というのは存在するが、獣人だけで村になるほどの人口を有してはいない。
ハクが訪れた村は獣人の村の中でも中央に近い方の村だ。歩いて行ける場所に人の街があり、交易も多い。そういった村に住む獣人というのは、やはり、他の村の獣人に比べると豊かな暮らしを送ることができている。
「あ、滝ですね」
「お誂え向きに坂があるね。登ってみようか」
進行方向は川の対岸だ。ハクであれば飛び越えることも可能だが、それをしないのは旅に楽しさを求めている二人だからか。
急勾配を登り、やっとの思いで滝を上ると、そこには広い湖があった。澄んだ水に魚が泳ぎ、見るからに豊潤な土地であることがわかる。
「休憩にするか」
「ですね」
近くの木陰の下にエスノアが座り、ハクは石を変化させた水筒で水を汲む。
一応エスノアの火の魔法で煮沸したのちに喉を潤す。森の中の水を飲むのは狐時代に散々やったハクではあるけれど、日本人的感性があるので、人間の姿でそんな野性味溢れる飲み方はできそうにない。
雷魔法で痺れさせた魚を採り、串に刺して焼いている間、ハクとエスノアは王国について話を続ける。
「アルクリア王国が五大国家の中で最も大きな領土を持っているんですよ」
「因みに他の国の名前を聞いてもいいかい」
「えっと……バンガロンド共和国、クエンサー王国、ドラメル帝国、あとエスト国です。他にも小国は色々ありますけど、五大国家と呼ばれるのはこの五つですね」
国力という意味では、アルクリアとドラメルが拮抗し、バンガロンド、クエンサー、エストと続く。だが、エストとクエンサーは協定を結んでいるので、大国からしても侮れる存在ではない。
小国はほとんどが君主制の国家だ。王都のようなものが定められている国もあるが、大体は部族をまとめただけの集まりのことが多い。大国と呼ばれるには国力がなさすぎる。
この五ヶ国とその他準大国と呼ばれる国々は不定期に国家間会議を行っており、ほとんどのことはそこで決まる。
まあ、冒険者である二人にはやはり関係ないことだが。
「エスノアの故郷はアルクリアの中にあるのか」
「いえ、私のところは国境近くですがクエンサーに属してます」
「国境境に検問とかはないのか?」
「境目は広いですから、検問なんか置けませんよ」
それもそうかと思うハク。日本に生まれ育ったハクにとっては違和感があるが、実際地球でも陸続きとなっている国境にすべて人工的なもので区切られていることは少ない。
この世界であれば、やろうと思えば魔法の結界を作ることもできるが、魔力消費が果てしないので実行する国はない。
「お、焼けたようだ」
串焼きの魚から香ばしい匂いが香ってくる。そこで、国の話は中断することになった。
ハクもエスノアも知らない魚ではあったが、エスノアが軽い解毒ならできるようだし、狐の勘も食べられると判断している。
というわけで、二人は揃って魚にかぶりついた。少々振りかけた塩がいい味をしている。ハクは前世で食べたことがなかったので分からなかったが、味は鮎の塩焼きに近い。
そうして二人が魚を食べていると、背後からガサガサと音が聞こえた。それと同時に二人は魚を置いて身構える。団欒の雰囲気から一気に緊張感を持つことができるのも、二人が冒険者として熟達してきた証拠だろう。
少しずつ近づいてくる物音にずっと警戒し続ける。
目の前の茂みが揺れて……出てきたのは、小さな少女。赤い髪に赤い瞳、身長は百四十センチ程度と思われるが、しかし、その体から溢れている魔力にエスノアは一歩後ずさる。
ハクは魔力を感じ取れないが、それでも警戒を解くことはない。そもそも、こんなところに少女が一人でいる時点で異常事態なのだ。
「おなかすいたー」
「「……」」
「それちょうだーい」
赤い髪の少女は魚の塩焼きを指さして言う。
ハクは数瞬の後に、
「ああ、食べるといい」
と残っている魚を差し出すことにした。この少女がなんであれ、ハクたちをこのまま襲わないのであればそれでいい。
「ん……おいしいー!」
魚をむしゃむしゃと食べる少女。ハクはただの迷子かと思うが、エスノアは少女の強大な魔力の前に緊張を解くことができそうにない。
しばしの沈黙と、高まる緊張感。少女が魚を食べ終わると、串を投げ捨てて顔を上げた。
「ありがとう人間さん!」
「……ふむ、君は?」
「ん?ファネはペリグラム・ヴァナ・ファネル、ファネって呼んで!吸血鬼!」
新しい都市にたどり着く前に、なんとも奇妙な出会いをしてしまったと思ったハクであった。




