狐、挑む。いつか戦いはまた巡る
ハクは、一瞬の思考の空白の間に何が起こったのかは覚えていない。だが、光を見せられてから覚醒するまでの間に、随分と長いこと思考の中にいたことだけは覚えている。
ハクが振るった腕は水晶に当たり、そして粉々にすることに成功した。これで水晶が頑丈だったりしたら困っていたが、見た目相応の堅さと脆さしかなかったようだ。
「さて、観念してもらおうか」
「……いいえ、だめです。皆さんには幸せになってもらわなければ」
水晶がなくなったというのにも関わらず、いまだに余裕そうな顔をしている少女は、ハクのことを恨むようにして見ている。
一貫して人々の幸せを望む少女に恐怖すらも覚えているハクは、その人知らぬ圧に押され少し後ずさる。
「『皆さん、私のためにお願いします』」
少女がそう呟いた瞬間、少女の目の前に光の球体が出現し、触手のようなものが人々に伸びていく。それはすぐそこに倒れているバンカにも伸びており、腕を振って取り払おうとするが、しかし、その触手に実体はないようであった。
そうして触手が人々に達すると、それぞれがビクビクと動き出す。その有様はまるでゾンビのようで、正気度を削るかのような光景である。
「どういうつもりかな」
「私が幸せを提供したので、その分働いてもらおうと思いまして。大丈夫です、死にはしません」
悪びれることもなくそういう少女が、人混みの中に消えていく。その足取りはゆっくりで、すぐに追いつけそうだ。
だが、ハクが立ち上がり腕を伸ばそうとしたその時、倒れていたはずのバンカの腕がハクの腕に伸びる。バンカはまるでハクのことを足止めするかのようにガッチリと腕を掴んでおり、ハクが力強く腕を振っても放さない。
そうこうしている間にも少女の姿は少しずつ人混みの中に消えていく。
「待て!」
「私はもっと幸せを送らなければ。ええ、それでは」
完全に人混みの中に少女が消えると同時に、人々がハクの上に覆いかぶさってきた。
それなりに体幹が強く力も強いハクではあるが、流石に何十人もの人々に覆いかぶさられればひとたまりもない。
肺が圧迫されるような圧力を感じながら、ハクの意識は少しずつ暗闇の中に落ちていった。
……
「はっ」
ハクの目が覚めると、周囲に人々の姿も少女の姿もない。
広場ですらなく、そこは借りた宿屋の一室。すぐ傍には申し訳なさそうな顔をしているエスノアの姿があった。
「エスノア……?」
「あ、ハクさん……」
見るからに意気消沈といった雰囲気のエスノアではあるが、何があったのかをハクは問いたださねばなるまい。
そうしてハクが何があったのかを尋ねると、エスノアは小さな声でポツポツと事情を説明し始めた。
エスノア曰く、気が付いたら自分たちは山のように覆いかぶさっていて、直前までの記憶はないとのこと。ただ、その山の一番下にいたのがハクであり、何かしらハクにしてしまったのだということをエスノアだけが自覚したのだという。
やはり少女の姿はどこにもなく、また、エスノアたちは少女のショーを見ていた記憶もないらしい。つまり、少女の顔を覚えているのはハクだけということになる。
「やはり逃げたか……」
「その、私……」
「気にしなくていい。あれは不可抗力だ」
一瞬とはいえハクも同じように夢の中に囚われたのだ。何の対策もしていなかったであろうエスノアが何もできないのは当然だ……とハクは考えたのだが、エスノアはそれは違うと首を振る。
「私は自分からあのショーを見に行ったんです。どんなショーだったのかは覚えていないんですけど、多分魔法か何かを見せられたんです」
「それが例の幸せな夢を見る魔法だろう?私も対策できなかったし仕方ないと思うが」
「それじゃダメなんです!私は魔法使いなのに、他の魔法使いの技にはまってしまうなんて……」
ハクは魔法使いではないため分からないが、どうやらエスノアにとっては重大な問題らしい。
いつもはそれなりに自己主張も激し目なエスノアが元気なく喋っている様子を見ると、ハクとしても心苦しいので、話を変えることにした。
「そうそう、私は今日買い物をしていたんだ。戦いの前に広場の端っこに置いておいたんだが、誰にも盗られていなくてよかったよ」
そう言って、ハクは変化魔法によって作り出した袋から色々と買った物を取り出していく。
その中で、エスノアの元気が戻ったのは、ハクがとある店の店主から貰った特別な品を見せたときであった。
「え、なんですかそれ」
「これはスライムの体液らしい。私もよく分からないんだが、店主曰くレアだけど何にも使えないと……」
「そんなことは!」
激しく立ち上がるエスノア。既にその顔に先ほどまでのような悲壮感は見られない。
スライムの体液なるものの価値をハクには理解できないが、魔法使いでありハクよりも圧倒的に頭がいいエスノアには何か刺さるものがあるらしい。
ハクから体液の入った瓶を受け取り、物珍しそうに眺める。まるで欲しいおもちゃを買ってもらった子供のようだ。
「モンスターの体液というのはとても貴重なんです!それを無償だなんて……その商人は一体何を考えているのでしょう」
目を輝かせながら、スライムの体液を眺めるエスノア。
傍から見ればなんともシュールな光景ではあったものの、元気のなかったエスノアがいつもの様子に戻ったのを見てハクは満足げに頷いた。
ふと、ハクは窓の外を見た。日が傾き、既に街にはオレンジ色の光が落ちている。
「それにしても、いつの間にかもう夕方なのか」
「あ、そうなんです。時間潰れちゃいましたね」
ハクの声に気が付いたエスノアは窓の外を眺める。
エスノアが目を覚ましたのが昼頃。そこからハクは数時間ほど眠り続け、やっと夕方になって目を覚ましたというわけだ。
元々目的もなく街を歩いていたものの、睡眠で時間を過ごしてしまったのをハクは少々気にしている。
「あの子、何がしたいんだろうねぇ」
ハクから時間を奪いどこかへと去っていた少女のことを、どこかぼんやりと考えながら黄昏るハクであった。




