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狐、生きる  作者: nite
狐、歩む

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19/105

狐、歩む。その足取りは追いかけてくる少女のために

 疲れていたとはいえ、ハクはいつも通りの時間に起きることができた。寝過ごしたら死んでしまうような森で生きていたので、寝坊なんてする気がしない。

 そしてすべての荷物を持って、部屋から出る。この世界でチェックアウトと言うのかは分からないけれど、おばあちゃんに赤の鍵を返して、宿を出た。


「うん、いい天気だ」


 雨の中でも必要とあらば歩くつもりではあるけれど、やはり歩くなら晴れた空がいいとハクは思う。暑すぎるのも考え物だけど、日差しが出ている限りは歩みを止めるつもりはない。

 ハクは、起きたときから妙な嫌な予感というのを覚えていた。原因が何かは分からず、体調が悪いわけでもない。しかし、どうにも拭えない嫌な予感がハクの体に纏わりついて離れないのだ。


「さっさと街を出るか」


 本当は昼まではここでもう少し時間を使うつもりであった。しかし、嫌な予感が可能な限り街を出ろと急かしてくるのである。

 ハクは、直観に従うままに街に入ってきた門まで戻ってきた。街から出るときは検閲は必要ないようで、門番に挨拶だけして冒険者らしき人が出て行った。そのあとに続くようにハクが足早に動こうとしたとき、後ろから大声で呼び止められた。


「ハクさあああん!勝手に出ていくなんてひどいですよおお!」

「はぁ……悪い予感はこれか」


 これならば狐の俊敏を活かして全力で走ればよかったと後悔。しかし、昨日限りとはいえ知り合いに捕まってしまって無視というのはハクにはできない。


「はぁ……はぁ……もうっ、なんで勝手に行っちゃうんですか」

「勝手もなにも、私の自由だろう?どうしたんだい」


 追いかけてきたのはエスノア。よほど全力で走ったのか、朝だというのに若干汗を流し肩で息をしている。

 脳裏によぎる嫌な予感が強くなるのをひしひしと感じつつ、エスノアの言葉を待つ。


「私も、ついていきます!」

「だめだ」

「なんでですか!」


 即答。嫌な予感というのは、随分と的中率がいいのだなと感じる。


 ハクの言葉にまたもやオーバーに地団太を踏んだあと、顔を上げてハクと真っすぐ目が合う。


「お願いします。連れて行ってください」


 そして、深々のお辞儀をした。それは、まるで最後の望みにかけるように、叶うように、誠心誠意が感じられるお辞儀だった。

 地球の頃の嫌な記憶を思いだしつつ、理由を問う。


「どうしてだい。こういっちゃなんだけど、私の旅は普通の旅じゃないよ」

「分かってます。あなたの魔力を見れば、分かります」


 因みに分かっていない。


 ハクが言っているのは、戦闘も道具も変化魔法頼りで、食事は野生で食べてきたような小動物の肉を食べている。しばらく狐の姿には戻っていないが、必要ならば狐の姿に戻り野生の足で森を駆けることもあるかもしれない。

 そんな旅に、まだ幼そうな少女を連れていくことは、ハクにはできなかった。まだ知り合って二十四時間も経ってないぞとか、私の何を知ったうえで分かったと言っているんだとか、そういうことを思いつつも、やはり一番は少女の体がもたないだろうということだった。


「お願いします。あなたが頼りなんです」

「どういうことかな」

「私も目的地のない旅をしてるんです。でも、もう一人じゃ、私……」


 少しずつ目に涙が溜まっていくエスノア。流石にここで泣かれては、ハクとしても立場が悪いので、エスノアを変に刺激しないように門から離れた。

 エスノアが大声でハクを呼んだものだから視線を集めてしまってはいたものの、なんとか誰の目にもつかないような建物の影まで移動した。


「落ち着いて。何があったんだ」

「私、この街に来るまでは妹がいて……でも、私、守れなくて」


 そこまで言って、とうとう涙が流れ始めたエスノア。そこには感情が決壊してしまうような、脆さがあった。


「ぐすっ……すみません。私、妹と色んなところを見に行こうって旅をしてて、そしてこの街に来る途中で怪我した妹を、シウィンを、私は、魔法でどうにも、ごめん、ごめんなさいっ」


 涙が止まらない。感情の濁流は、エスノアの言葉を濁し、本質を見失わせていく。事情を説明するはずだったその言葉は、いつの間にか妹への謝罪へとなり、そして自らへの贖罪へと変わっていく。

 そんな少女を見て、ハクは……若いな、と思った。まだ死を乗り越えられるほどの経験を積んでおらず、このまま放置してしまえば自暴自棄となり天寿を全うすることなくその命を散らすことになる。


 シウィンというのが妹の名前だろう。その子を失って、エスノアは正常な状態を保てていない。


 だから……


「私、私が……モゴモゴ、ふえ?」

「ひとまず落ち着いてくれないかな」


 尻尾をエスノアの顔を覆うように動かす。涙が尻尾についてしまうが、今はそんなことを気にしている場合ではない。


 白いその尻尾は、濁った感情を白くし、宥め、正常に戻していく。涙はまだ少し漏れているけれど、それは決壊したものではなく、感情を少しずつ発散させるように、落ち着かせるように流れる小川であった。


「君が妹のことを大切に思っていたのは分かった。そして、何か譲れない気持ちがあるのも。でも、ここでそれを爆発させてはいけない。それは、君にも、妹のためにもならないよ」

「でも、私……」

「私は魔力が見れないからなんともいえないけど、君は魔法が使えるんだろう?私よりもたくさんの、私よりも強く、優しい魔法が」


 白い尻尾を抱きながら、感情が爆発しそうになったら、その都度エスノアに尻尾を纏わりつかせる。


 ハクの宥めるような口調は、しかし、エスノアには届かない。感情を溢れさせながら、ハクに問う。


「私は、妹にどんな顔をすればいいんですか。守れなかった私が、苦しがっていたあの妹に、なんて声をかければいいんですか!」


 エスノア自身も、もう何をぶつけているのかわかっていない。目の前にいるのが、昨日出会ったばかりの人物であるということすら忘れて、自分の気持ちをぶつける。

 ハクは、エスノアの主張と疑問を真摯に受け止め、瞠目する。


 ハクは地球にいた頃から、あまり人との関係を持ってこなかった。死んだあの時まで独身だったし、親友と呼べるような人もいなかった。友人がいなかったわけではないが、頻繁に連絡を取るような相手ではない。

 故に、大切な人を失くした者の気持ちは、この世界に来てから知ったものだ。親と兄弟を失くし、自分自身すらもなくしてしまいそうな森の中、悲しみを受け止めなければ死んでしまう環境で、自分は一体何を思っただろう。

 今は、悲しみを乗り越えなければ死ぬような状況ではない。エスノアの心は折れかけてしまっているが、外的要因として死に脅迫されているわけではない。だから、ハクのように無理やり乗り越える必要はない。


 だが、やはりエスノアは若い。何の手助けもなく死の悲しみを乗り越えることができるほど、出会いと別れを繰り返していないのだ。


「ハクさん!私は、あの子に何をしてあげれますか!」


 故に、ハクは答える。


「想うこと。忘れないこと。願うこと……君があの子のことを想うならば、最後まで幸せだったと思え。忘れてしまえば残らない、だからずっと覚えていてほしい。そして、願ってくれ。死して、苦しんでいないことを」

「でも……あの子はっ」

「君が不安ならば……私も一緒に背負おう。私も共に、君の妹のことを忘れずに想おう。その子も、もう旅の仲間だ」


 エスノアの口が閉ざされる。旅の仲間であると言われたからか、一緒に想ってくれると言ってくれたからか……エスノアは涙を流し、嗚咽を漏らした。


 その時、誰もいない路地裏に、白い髪が見えた気がした。人影は、更に奥まった隙間に入っていく。

 エスノアを気にしつつ、ハクはその人影を追った。その隙間は、人がすれ違えないほど狭く、そして行き止まりになっていた。そして、そこにはエスノアよりも幾分か小さい、長い髪を持つ少女がハクの方を向いて立っていた。


 ハクが声をかける前に、少女は語りだす。


「あんな姉様ですが、どうかよろしくお願いします。私がいないと、心が弱いので、どうか支えになってあげてください」

「随分と、我がままなお願いだね」

「一生のお願いだと思ってください。ほら、私もうお願いできる立場じゃないですから」


 後ろから「ハクさーん」と声が聞こえる。その声に振り返ってから、もう一度前を向いたとき、そこには誰も立っていなかった。

 あの子は幻だったのだろうか。それとも、狐ともあろうハクが何かに化かされたのか。


 色々と考えていると、後ろから衝撃を感じた。エスノアが、ハクの尻尾に抱き着いていたのだ。


「ハクさん、言いましたね?旅の仲間だって、言ってくれましたよね」

「ああ、言ったよ」


 参ったとばかりに、ハクは呟いた。あの話を聞いて無視するわけにもいかなかったし、今しがた妹にも頼まれてしまった。ここでハクが違うよと言えば、妹から数多なる呪いが飛んでくることだろう。


「ついて行きますから。私、あの子のために」

「そうしてくれ。きっとそう願ってる」


 エスノアは尻尾に抱き着いたまま、ハクの方を見て赤くなった目で笑みを零した。


………


 上機嫌になったエスノアとハクが道を歩く。ゆっくりではあるけれど、確かな歩みは、今後もう揺らぐことはないだろう。


「ハクさん、これからよろしくお願いします!」

「よろしく、エスノア……シウィン」

「えへへ、はい!」


 エスノアが力強く握った右手とは反対の左手に、ハクは重みを感じた気がした。


 旅路、三人。新たな道を行く。

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