学びの残り香、流るるは白い風
結局、図書館で夕方まで過ごしてしまった。昼食を食べることも忘れ、一日勉強し続けた甲斐はあったもので、店に並んでいる商品の固有名詞はある程度は把握できるようになっていた。
動物の名前と図も頭の中に叩き込んだので、これでメニューを見ても何がなんだか分からないということにはならないはずだ。専門用語が出てきたときは、諦めてオススメを頼むとしよう。
しかし、今日はもう疲れてしまった。一日勉強するなんて学生時代やってきていないので、久しぶりの脳の活動に体が疲れてしまったようだ。
それでも人間だった頃よりも学習能力があるような気がしているハクは、頭の中で知識を反芻させながら宿屋へと戻ってきた。夕飯は別に食べなくてもいいだろう。勉強をして、疲れ切ってしまったので、もう寝てしまいたい気分になったのである。
おばあちゃんに出迎えられたハクは、階段をのぼる。そして鍵を開けようとしたとき、後ろから声をかけられた。それは、ちょっと甲高い少女のような声。
「あの!」
「うん?」
疲れて緩慢になった動きで、首だけ後ろに向ける。そこには、長い白い髪を揺らす、魔法の杖というには短いステッキのようなものを持った少女が、こちらを向いて青の扉の前に立っていた。
「やあ、もしかして、君も宿泊者かい?」
「は、はい!そうなんです!」
ふむ、同じ宿泊者に挨拶……珍しいと言えば珍しい。少なくとも、日本のような礼を大切にするような国でも、隣の部屋に泊まっている人にわざわざ声をかけて挨拶をすることはない。
となれば、この少女がそんな国民性以上に礼を大切にしているか、それともハク自身に用があるかしかない。しかし、ハクにはこんな少女との面識はない。まだこの世界で会話したことのある人物は数えるほどしかいないので、流石に知り合いであれば分かる。
少女は、声をかけたあと、あわあわと慌てて、しばらくしてから大きく深呼吸をして声を発した。随分と見切り発車で声をかけたものだなとハクは思う。
「あの、一緒にお食事でもどうですか!?」
「はぁ」
一体何を言うのかと思えば、食事のお誘い。重ねて言うが、ハクにはこのような少女の知り合いはいない。少女といえば今朝会った変化屋の少女がいるけれど、彼女と目の前の子は似ても似つかない。
ハクは夕食を食べるつもりはなかったし、疲れているのでさっさと眠りたいところではあったけれど、ここで突っぱねて素知らぬ顔で眠るというのは、少々憚られた。そのため、一応話だけは聞くことにする。
「一体どういうつもりだい。まさかナンパというわけではないだろう」
「なんぱ……?いや、えっと、折角なので」
ナンパという単語は知らなかったようだが……もしかしたら、この世界にはナンパという単語が存在していないのかもしれない……どうやら下賤な意味だろうということは伝わったのか、下心はありませんよというアピールをする少女。
ハクとしても、わざわざ自分にナンパしてくるような人がいるとは思っていないのだけど、随分と少女が熱心にアピールをするので、ちょっと可笑しくなって、もう少し話を聞いてあげるつもりになった。
「もしかして、この街では同じ宿に泊まっている人は一緒に食事をとるのが慣例だったりするのかな」
「違いますよ!ただ、あなたも今から夕食ですよね?でしたら、一緒に食べませんかというお誘いです」
「悪いけど、私は今日はもう食べないつもりなんだ。疲れたからね」
ハクがそう言うと、少女は目に見えて怒った。いや、正確に言えば、頬を膨らませて怒っていますよというのが目に見える形でアピールした。
どうやら、この少女は感情をアピールするのが少々オーバー気味らしい。
「それはだめです!食事をしっかりとらないと!」
「とはいってもね、食べないという人を無理に誘うのも失礼だと思わないかい。それに、私と君は把握しているうちでは初対面のはずだ」
面白い少女なので話を聞いてあげる気にはなったけど、それはそれとして食べに行くとは言っていないハクは、どうにか少女の誘いを断ろうとする。
まだガラには余裕があるけれど、一回食べなかった程度で死ぬような状態でも、不健康になるような体でもないのだ。三大欲求の中で、睡眠欲が一番強いというだけである。
しかし、ハクがそれを伝えても、少女は引き下がらない。随分と食事を食べさせようとする少女だなと思っていたら、少女は少々驚きの事実を言った。
「いましたよね、図書館。私もいたんですよ。魔法の勉強をするために」
「ふむ?なるほど、つまり初対面ではないと言いたいのかな」
「そうじゃないですけど、一日勉強したときは食事をした方が学習効率がいいですよ」
誘い文句が変わってきた。どうにも、本当にハクのことを食事に誘いたいようだ。
ハクとしては無視して部屋に入って即寝をしてもいいのだ。鍵は開けられないようになっているし、たとえ少女が騒いでも眠れるくらいには騒音に強い。
だがやはり、この少女の熱意がやたらと気になる。のっぴきならない理由があるというわけでもないみたいだが、ここでハクを見逃すつもりもないらしい。
「……はぁ、分かった。行こう」
「わぁ!じゃあちょっと待っててください!」
最終的にハクが折れることになった。なに、あと少し食事をするだけだ。健康のために食べた方がいいというのも、まあ分からないわけではないのだ。ここは少女に付き合ってあげよう。
ハクの返事を聞いて、少女は青の扉の奥へと消えた。どうやら準備をするようだ。
ここでハクが何も言わずに部屋の中に入って眠ったら、少女は一体どういう反応をするのか気になったけど、流石にそこまで好奇心のために信用を落とすのも違うと思ったのでやめておいた。
待つこと、二十秒ほど。ステッキを手に持っていない少女が出てきた。
「じゃあ行きましょう!」
………
少女を連れて、大通りを歩く。朝とはくらべものにならないほどの人込みは、やはりここが大きな街であるということを認識させる。
その間、少女はずっとハクに話しかけていた。
「そういえば、図書館で何を調べてたんですか?あなたも魔法を?」
「一般教養だよ。最近まで村にいたからね」
「なるほどー、知識は武器ですからね!覚えていて悪いことは何もありませんよ!」
現在進行形で、少女に捕まっているよ、とは言わなかった。
「ああそういえば自己紹介がまだでしたね。私はエスノア・マギクです。好きにお呼びください!」
「私はハク。見ての通り、狐の獣人だ」
「真っ白で綺麗な毛ですねー、触ってもいいですか?」
「あとでね」
エスノア・マギクと名乗った少女は……エスノアは、ハクの尻尾にやたらと興味をひかれているようだ。もしかして、尻尾目当てで声をかけたのではあるまいなと邪推する。
そうしてしばらく歩くと、昨日の居酒屋とは違う賑やかだけど落ち着いた食堂のような店にたどり着いた。今日はハクの嗅覚ではなく、エスノアのオススメの店ということだ。
「ここのベキェリャクは美味しいの!」
「……なんて?」
「ベキェリャクですよ。知りません?」
料理名の固有名詞はあまり学んでいないので、分からない。ただ、日本語のように聞こえるようになっているはずのハクの耳が正確な発音を聞き取れなかった時点で押しては図るべし。
エスノアに導かれるままに座り、例のよく分からないものを頼む。
「さて、それで……何か話でもあるのかい?」
「え、なんでですか?」
「まさか本当にごはんを食べるためだけにあんなに熱心だったのか」
だとしたら凄まじい熱量である。食事をするという行為自体に並々ならぬ熱量を注ぎ、食事できなければ死ぬだけだと言わんばかりの鬼気迫る人というのは存在するが、まさか誰かと食べるということにあそこまでの熱量を注げるとは。
世界は広いと、ハクはちょっと遠い目になった。
「だって、一人で食べるのは寂しいじゃないですか」
その目には、滲み出る寂寥感。あの目は、何かを失った者の目だなと、ハクは直観的に理解した。
「まあいい。明日からは別の人を誘うといい。私は明日で街を出るからね」
「ええ!?」
宿泊費は二日分しか払っていない。お金に余裕はあるので、あと何泊かすることは可能ではあるのだけど、ずっと同じところにいるというのは、どうにもハクの人間性的に無理そうなので、当初の予定通り明日の昼頃にはこの街を発つつもりである。
しかし、エスノアはまるで裏切られかのような表情をしている。
「これから数日かけて仲良くなって尻尾を……」
「やっぱり尻尾か。君は」
「ち、違うんです!いや違わなくもないんですけど、違うんです!」
どうやらエスノアが尻尾に興味があるというのもあながち嘘ではないようで、この店に入ってからも椅子から垂れてゆらゆらしている尻尾のことを目で追っている。
まるで猫のようだと思いながら、ハクは話を続ける。
「私は目的もなく旅をしてるんだ。君は君のすることを優先しなさい」
「うぅ……」
この街じゃないとできないことというのも、そう多くはないだろう。既にハクとしては、図書館でこの世界に関する知識を手に入れた時点で満足したのだ。冒険者として活動するわけでもないので、この街に長居する理由もない。
ハクの言葉で押し黙ったエスノア(目はずっと尻尾を追っていた)を眺めていると、例の料理が流れてきた。ハクの目にはそれがタルトのようにしか見えなかったが、食べたら違うのだろうか。
「あーむ。ん~美味しい!」
どうやらタルトのように見えるけど、かぶりつくタイプの料理のようだ。ハクもエスノアを真似して食べてみる。
生地の中にはコーンのような甘味。そして、具として鳥肉とゴロゴロとした野菜。タルトというとおやつのようなイメージがあったハクは、ここまで食事向きなタルトがあるのかと驚いた。それと同時に、確かにこれは美味しいという感想を抱く。
二人しか無言でパクパク食べ、どちらからともなく食べ終わってしまった。
「ふむ、たしかに美味しかったよ」
「タルトもいいですけど、やっぱりベキェリャクがごはんって感じですよねー」
どうやらこの世界にはタルトもちゃんと存在しているらしい。タルトはちゃんとタルトっぽいので、ベキェリャクとは食事用タルトのことを指しているのだろうとハクは推測した。
なにげに具が多く、ハクは一個でお腹いっぱいになってしまった。野菜も肉も入っていたので、栄養バランスもいいだろう。
「ちなみに会計は任せてもいいのかな」
「うぇ?」
「冗談さ。ちゃんと払うよ」
お酒らしき飲み物を飲んで若干トリップしていたエスノアだったが、ハクの言葉で戻ってきた。
「いえいえ!無理に誘っちゃったので、私が払いますよ」
「なに、お金はあるからね」
無理に誘った自覚はあるのか、と思いつつも、きちんと自分の分の代金は払うハク。お金を使い切る予定ではあったけど、まだ少し残っている。だが、もしものときの貯蓄にしてもいいかとハクは考えた。
そうしてハクが店を出ると、後ろからエスノアが追いかけてきた。
「えっと、ありがとうございます」
「君の分は払わないよ」
「そ、そうですよね!分かってます!」
焦った様子で、エスノアは自分の分を支払いした。貸し借りにするつもりはなかったので、奢られはしないし奢りもしない。
そうして外に出ると、ちょっと暗くなっていた。どうやら、思っていたよりもこの店に長くいたらしい。確かに、ちょっと料理が出てくるのに時間がかかったような気がする。
「さて、じゃあ宿に戻ろうか」
「はい」
ちょっとだけ人数が減った街並みを歩く。やはり大きな街であるからか、暗くなっても街には人が多く活動している。
街灯のように光っているのがあるが、もしかしてあれが魔石で動いているのだろうか。電気らしきものがあるようには思えないので、多分魔石式だろう。
店と宿はそこまで離れていない。ちょっと歩けばすぐに宿まで戻ってくることができた。
「それじゃあ、おやすみ」
「……はい、おやすみなさい」
そうして、ハクは眠りについた。元々疲れて寝るつもりだったのに、想定外の外出が重なって体には圧倒的な疲労感が溜まっていた。
そして、ハクは眠りについた。
………
「白い狐さん、いいなぁ」
結局尻尾を触ることはできなかったけど、それを差し引いても満足の夜だった。
「それに常に魔力を纏ってて……きっとすごい魔法使いなんだろうなぁ」
ハクは変化魔法の副作用として、常に体に魔力が付着している。それはあくまで変化の残り香のようなものなのだけど、魔力を見ることができる人からすると、常に体にエンチャントを施している凄腕魔術師に見えるのである。
ハクにエスノアが興味を持ったのは、その魔力が見えたからだった。
「私がやるべきこと……うん、決めた」
そうしてエスノアは眠りについた。
温かい風が吹く雪景色の中、エスノアは白い狐を追いかけた。走って、走って、でも追いつけない。でも、エスノアは諦めない。そして、最終的にエスノアは白い狐の尻尾に触り……




