宿にてひと時の休息を
地図を見て、ハクがたどり着いたのは、街の端っこにある小さめの宿であった。ギルド受付の女性がまたもや暇そうにしていたので、街の中で安い宿を探したのである。
ハクにとって、布団で寝れるだけで十分なのだ。水も食事も自前でなんとかしてきているし、サービスに関しても特に必要としていない。ただ、寝て休める場所さえ手に入れることができれば満足であった。
「いらっしゃい。一泊二十ガラだよ」
宿屋に入ると、顔にほうれい線の入ったおばあちゃんが一人立っていた。
ガラとはお金の単位。銅貨一枚で一ガラであり、千ガラで一イガラとなり、千イガラで一ロガラとなる。それぞれ、銅貨、銀貨、金貨が割り当てられており、これがこの世界での共通硬貨だ。
ギルド主導で流通している硬貨単位であり、どの国でも使える硬貨だ。為替などが存在していないので、軋轢を生みづらいというメリットがある。何かしらで、硬貨自体の価値が悪くなったら大変なことになるというデメリットはあるけれど、ギルドの人曰く、絶対に大丈夫だという。
「取り敢えず、二泊頼むよ」
「あいよ」
おばあちゃんがお金を棚にしまい込み、ハクに鍵を渡した。
「兄ちゃんは赤の部屋ね。うちは三部屋しかないから行けば分かるよ」
赤いタグがついている鍵は、ぱっとみただの棒にしか見えない。しかし、この棒には魔法がかかっており、対応するものでないと開かないのだ。
ハクにとっては新鮮な感覚ではあるけれど、この世界ではもう何年も前から使われている施錠魔法による鍵である。それぞれの鍵は若干違う魔法構成がされており、ピッキングができる代物ではない。
ハクは鍵を受け取り、階段を上がる。階段を上がれば、すぐ目の前に赤色の看板がついている扉があった。
ハクが周囲を見渡すと、後ろに青の看板、そして横に黄の看板がぶら下がっている扉があった。どうやら、三原色の扉が、この宿の全部屋らしい。
ハクが鍵を使って扉を開けると、ハクが想像していたよりもきれいな部屋が待っていた。
ベッドは整えられているし、机と椅子、そして棚がある。少なくとも、必要最低限の家具はそろっているという感じだった。ベッドだけでもよかったハクからすれば、整っているなという感想をこの部屋は抱かせた。
「ふぅ」
ハクはベッドに座る。どうやら、ハクが思っていたよりも体には疲労が蓄積されていたようだ。
布団を撫でながら、呟く。
「やはり、ベッドはいいね。野生じゃ味わえない感触だ」
森の中でベッドのようなものを作るなら、大量の葉っぱや毛皮を集めることになる。しかし、それを集めるよりも食料を狩った方が明日のためになるので、誰もベッドなんて作らない。
種によっては出産のタイミングで巣となるベッドを作ることもあるが、少なくともハクの種は特に何も作っている様子はなかった。
「さて、今日はもう遅いし、散策は明日にしようか」
宿泊費用を最低限に抑えたので、路銀にはまだ余裕がある。この街を散策し、面白そうなものがあれば体験できるくらいのお金なら全然問題ない。
そもそも食費がかからない旅をしているので、街中でお金を使い切ってしまうことすら考えている。下手に荷物を増やすよりも、使い切ってしまって荷物を貴重品を減らした方がいいとハクは考えたのだ。
この宿には、食事も何もサービスはついていない。ちゃんとした料理を食べたいのなら、食べに行くか自分で作るしかない。一応炊事場は無料で使えるとのことだったので、食糧と調味料があれば自分で作ってもよかったが……
ハクが変化で作ったバッグの中を見る。干し肉、以上。村で貰った塩はとうに使い切っている。
「食べに出るか……」
ハクは立ち上がり、部屋を出た。オートロックではなく、きちんと鍵を閉めるタイプのようだ。
まあ、ハクに盗まれるような荷物などないのだけど。
……
ハクは宿屋の通りから、大通りに出た。宿屋があるところは細道なので、飲食店を探すなら、大通りで探したほうがいいと判断したのである。
もう夕方だというのに、人の波が収まる様子はない。この世界に来て、ここまでの人数が行きかっているのを見るのは初めてだったので、ハクは少々人酔いをしてしまう。
獣人の村の人々に比べて、随分とせかせかしている人の流れに沿って大通りを歩く。道中には、鍛冶屋や服屋などが存在していた。冒険者はああいったものを装備するのだろう。
ハクが着ているものも変化で生み出したものであり、わざわざ新しく服を買わなくても自分で生み出せる。つくづく変化魔法は優秀だとハクが実感していると、ふといい匂いが流れてきた。まだ匂いの元は遠いようだけど、狐の鼻は誤魔化せない。
ハクは大通りの人々のように足早に、匂いの元まで急いだ。
どうやら思っていたよりも、自分はお腹がすいていたらしい。
「いらっしゃい。好きに座りな」
ウェイトレスらしき筋骨隆々な男性が迎え入れてくれた。そこは飲食店の中でも、居酒屋のような雰囲気だったけれど、いい匂いがするので、ハクは選ぶことなく店に入っていった。
店の中は多くの冒険者でにぎわっていた。明らかに冒険終わりという様子の人々が見える。こんなところに一人で入るのは、ちょっと場違い感があるけれど、既に人間ではない時点で場違いだと思いなおして、ハクはカウンターの椅子に腰掛けた。
メニューは紙。大きな一枚の紙が、この店のすべてのメニューを網羅しているらしい。
「うーむ……」
そしてハクは気づく。知らない料理しかないと。
日本語のように認識できるのだが、それは日本語に翻訳されているわけではない。メニューに書かれている材料と思わしき単語群が理解できないのである。
鳥というのは理解できるのだけど、ファンタス鳥なんて聞いたことがない。コンタリスってリスなのか?ブライモなんて何者なのかすら分からない。
「えっと……おすすめで、食事と飲み物を貰えるかな。あまり高くないやつを」
「はいよ」
最終的に、ハクはオススメに逃げた。どの料理もそこまで値段は変わらず、ずば抜けて高価な料理は見られない。オススメにしておけば、ひとまず安心だろうと判断した。
仮に口に合わなくとも、異世界流なのだと思えばいい。どのみちもう日本に戻るようなことはないのだから、少しずつ慣れていくとしよう。
ビールのような飲み物である、エールが先に出てきて、それを飲みながら待っていると、料理が出てきた。どうやら鳥肉の煮込み料理のようだ。
「マスター、これは?」
「ファンタス鳥の雑煮だ。うちで一番安い、そして美味い」
「ありがとう、美味しくいただくよ」
どうやらどんな鳥か分からない鳥が煮込まれてできたらしい。ファンタスという言葉の響きに、なんとなくカラフルなクジャクのような鳥を思い浮かべる。
ハクが恐る恐る鳥肉を口に入れてみると……なるほど、これはうまい。鳥肉は柔らかく、強く噛まずとも崩れていく。雑煮という料理過程もあるのだろうけど、それを差し置いても柔らかい。一緒に煮込まれたのであろう野菜も柔らかく食べやすい。
ファンタス鳥がそういう鳥なのか、それとも料理人がすごいのかはハクには判断つかなかったが、取り敢えず、別の店に行った時もメニューが分からなければファンタス鳥を頼もうと心に決めた。
日本で生活していたときもそうだが、この世界でも大食漢ではない。雑煮を食べ、そしてついでに枝豆のような見た目をしている黄色い豆を食べて、ハクは満腹となった。エールもそこまで味は悪くなかったし、この店はあたりである。
そうしてお会計。量が少なかったのもあるだろうけど、マスターの言っていたことは事実だったのだろう。予想外に安く済み、またお金を節約することができた。
「ふう……」
そうして満足に微睡みながら、宿へと戻り、そしてベッドに入る。
やはり、街というのはいいものだと、ハクは再認識するのだった。




