少女
「そう身構えないでください。ここは良くも悪くも人の目があります。それに、幸せを届けるにはこの場所が少しよくないので」
テリシアは微笑みながら、ハクたちに語り掛けた。砂漠の街ではエスノアのことを認知していなかったが、ハクのことは覚えていたようで、その視線はハクの方へと向いている。
「ふふ、少しお話しませんか?このままここにいるとよくないことになりますよ」
テリシアが先導し歩き始める。店員は暴力沙汰にはならなかったとはいえ、襲おうとしたところは見られている。面倒なことになるのは目に見えていた。
ハクは警戒をしつつ、地面に倒れている男を無視して歩き出した。きっとこのままどこかのベッドに運び込まれることだろう。
「そういえば自己紹介をしていなかったような気がします。私はテリシア。幸福の伝道師です」
「……」
「ああ、そうして警戒させてしまって悲しいです。私はただ幸福であってほしいだけだというのに、そんなに警戒してしまっては幸福は遠くなってしまいますよ」
幸福、幸福とただそれだけを繰り返すテリシア。だが、会話ができないような様子はなく、少なくともここで問題を起こすつもりはないことが分かる。
最悪でもこの二人は守れる、とハクは考えてその口を開いた。
「私はハク。狐の獣人さ」
「ハクさん!いい名前ですね、名乗っていただきありがとうございます」
名前を聞き微笑み喜ぶ姿は、見た目相応の少女にしか見えない。
だが、ハクはテリシアの手にある水晶が不特定多数を催眠状態にし昏倒させることができる魔道具であることを知っている。ハクはこっそりと、ポケットの中にサングラスを変化で作り出していた。
四人に対して声をかける人々はなくならない。だが、声をかけられるたびにテリシアは微笑み、相手は恍惚そうな表情で虚ろになるのである。
「また夢を見せているのか」
「はい。ハクさんはどうやら夢でも幸福にさせることができないようなので申し訳なく思います」
ずっと警戒している水晶玉は光っていない。どうやらテリシア自身に、夢を見せる能力があるようだ。
前回テリシアが持っていた水晶玉はハクが破壊したので、もしかしたらただの水晶玉になったのかもしれない。とはいえ、それは警戒を解くに値しない。
「なぜそこまで、」
「あら、ちょうどいいところがありますね。少しお茶をしませんか?」
テリシアが、この街で数少ない営業中の飲食店に入っていく。
ハクたちはここで無視をして離れるという手があった。彼女と関わり合いになれば面倒なことになるのは分かっているし、砂漠の街でハクのことをボロボロにした奴が彼女の仲間らしきことも分かっている。
だが、ハクはそうしなかった。理解せずして相手を遠ざけるなど、吸血鬼を娘にしてどうしてできようか。
ハクは二人に先に宿に帰っていてもいいと伝えた。しかし、二人は首を横に振り同行を申し出た。もう、知らないところでハクがボロボロになるのを見たくはないのだ。
「わあ!ちゃんと来てくれて、私嬉しいです」
わざわざ広めの机に先に座っていたテリシア。ハクがちゃんとお茶をしてくれると分かり、本当にうれしそうにしている。
少なくとも、彼女はハクに警戒され、あまつさえ嫌われていることを理解しているのだ。
「折角ですからお金は私が出しますよ。大丈夫です、これくらいで借りにしようだなんて思っていませんから」
そうしてテリシアの注文で四人分の飲み物が運ばれてきた。全員揃って、甘い果物のジュースであった。
「さて、私と色々話したいことがおありですよね」
「ひとまず、なぜこの街にいる?」
「この街が幸福にするに値するか見に来たのです。いわゆる観光ですよ。その結果、この街は見なかったことにしました」
何がなんでも相手に幸福を振りまこうとするテリシアが、この街を見捨てた。
「なぜ?」
「私は幸福であろうとする人に幸福になってほしいのです。この街のように、幸福を求めてもいない方々には、幸福が訪れることを祈りながら見なかったことにしているんです」
「その割には見境ないように思うけども」
「私が幸福を渡す邪魔をするあなたが悪いんですよ」
求めている人を幸福にし、その邪魔をする人も仕方なく幸福にする。分かりやすいといえばわかりやすいが、最も大切な基準というのが示されていない。
「幸福を求めているなんて、どうすれば分かるんだ?」
「見ればわかります。ハクさんも、そちらのお二人も、心の中で幸福と平穏を求めている。どちらかと言えば、平穏の方が大切でしょうか?」
ハクはただ気長に旅をしているだけだが、エスノアは妹の寂しさを埋めるために、ファネは平和に過ごせる場所を探して旅をしている。幸福であることよりも、平穏に過ごすことの方が大切に思っていても不思議ではない。
そして、それを何も知らないテリシアが言い当てるというのは、彼女が何か特別な力を持っているという証左に違いない。
「なぜそこまで幸福であることを」
「それは愚問ではありませんか?幸福を求めるのは当然のことですし、幸福であることを拒絶する理由なんてありませんよ」
何を持って幸福とするかは人によって違う。だが、幸福でありたいと思うことは何も変なことではない。
その理論はよく分かることだし、むしろ幸福を拒絶するような人はそうそういないだろう。
「だが、幸福を押し付けるのは違う話じゃないか?」
「押し付けているだなんて、私はあくまでその人にとっての幸福を味合わせてあげているだけです。私だって人の心が読めるわけではありませんから、夢の中でその人にとって最適なものが見れるように助力をする魔法を使っているのです」
見た目や言葉はまるで聖女のよう。それで人を操ったりなんだりしなければ、時代によっては崇められていたかもしれない。
「ハクさん、納得できていなさそうですね」
「夢の中で幸福っていうのも、また傲慢じゃないか?夢はあくまで夢だ」
「だからずっと覚めないようにしているんです。現実の肉体がそのまま死ぬとしても、幸せな夢を見ながら眠れるのなら、それは安楽死以上の幸福であると思いませんか?」
「思わない」
少なくとも、ハクは幸福のためなら死ねるだなんて考えには至れない。勿論、現実に疲れて生きるのが辛いという人にはいいのかもしれないが、誰も彼もそうして現実から逃げるだなんて選択ができるとは思えない。
「うーん……ハクさん、もしかして既に一度似たようなことを?」
「ノーコメント」
「そうですか……私、貴方には幸福を分けることができなさそうで悲しいです。ああ、だからあの時眠らなかったんですね」
あの時、というのはテリシアとの初遭遇時の出来事だ。
ハクは至近距離で水晶の光を浴びせられ、その意識は闇に落ちると思われた。だが、ハクはその状態から目を覚まし、水晶玉を破壊するまで至ったのだ。普通ならば抗いようのない眠りに抗った、それはテリシアにとって悲しいことでもあった。
ハクは一度死んでいる。死ぬ苦しみを分かっているというわけではないが、一度悟りを開いてしまって、ただの欲望に流されることはもうない。
例えそれが三大欲求であっても、ハクがそれで揺らぐことは今後一生ないのだ。
「貴方のために、方法を変える必要がありそうですね」
「やめるっていう選択肢は?」
「ありません。あなたたちには分かってもらえないでしょうが、これが私の生き様なので」
何をして、何を考えるか。それを制限するものは、この世界には存在しない。
テリシアはお金をすべて払うと、まるで風が流れるように店の扉へと移動した。
外に出る寸前、ハクたちの方を振り返ったテリシアは、怪しさなど微塵も感じさせない笑顔で言った。
「それではまたお会いしましょう。幸福な皆さん」
テリシアは、やはり風のように店から出て行った。追いかける気も、起きなかった。
「不思議な方ですね」
「ああ。あれの仲間も見たことがあるんだろう?」
「はい。ゴーレムを作ったと思われる方に」
あんなのがいっぱいいる組織が存在するのかと、ハクはため息をついた。わざわざ敵対することはないが、既にどうにも目を付けられているようなので、今後もどこかでぶつかるだろうということがハクは予感していた。
周囲の喧騒が、思い出したようにハクの耳に届き始めた。まるで今まで、誰もいない空間で会話をしていたようだ。
「行きましょうか」
エスノアに続いて立ち上がる。
戦い、その予感を微かに感じるのは、ハクだけだろうか。




