第5話 ハンカチの君との再会
「ミーアさん、食堂に行きましょう」
「わ、分かりました。エリ―様」
結局自己紹介をした流れのまま仲良くなった私達は、その後も一緒に行動をする流れになった。
それでも、どうやら様付けを直してくれる気はないみたいだ。
なんだか違和感があるけど、それが貴族社会だというのなら仕方がないか。
魔法学園での一日目の午前中では、魔法学園で何を学ぶのかのカリキュラムの説明とオリエンテーションなどが行われた。
ハイネス魔法学園という学校名なだけに、主に魔法を学ぶ学校らしい。他には一般的な教養やマナー、基本的な護身術などを教えてくれるとのこと。
貴族が多いこの学園では、社交界などに出ても恥ずかしい思いをしないように、マナーの教育にも抜かりがないらしい。
日本で普通の家庭で育った箸文化だった私にとっては、その授業はなんとか齧りつかなくてはならないだろう。
いちおう、公爵令嬢らしい、マナーは取得せねば。
この学園はほぼ全生徒が全寮制ということもあって、学食が完備されている。そして、あらゆる貴族の食事処を任された学食の味が貧相なはずがなく、席に着くとメニューをスタッフが取りに来るという驚き仕様だった。
食堂ってトレーを持って並ぶ印象なんだけど、まるでレストランみたいだなと感心した。
そして、ミーアと他愛もない会話をしているうちに、すぐに色鮮やかな料理が運ばれてきた。
想像上の青山のディナーってこういう感じなのかなーと思う食事を前にして、私は心の中でいただきますをして、さっそく料理にありつこうとした。
「失礼するぞ、エリ―・アルベルト」
「あっ、え、エルドナ――様?」
ウキウキ気分で食事をしようとしたところ、突然隣の空席の椅子が引かれたと思ったその先には、今朝あったばかりの攻略対象がいた。
「疑問形になるような敬称はいらん。まさか、朝に会った変態がアルベルト家の令嬢だったとはな」
「へ、変態じゃないですけど?!」
エルドナはそんな心外なことを言いながら、なんでもないことのように私の隣に腰かけてきた。
おかしい。確かに、攻略対象との接触を避けるためにハンカチをポケットに押し込んで、バレないように逃げてきたはずだった。
それが、どうして相手から接触されるような事態に発展しているのだろうか。
……いや、まぁ、同じクラスにいたし、ちらちらとこっちを見ていたから何となくこうなるんじゃないかとは思ってはいたんだけどね。それに、がっつり顔見られてバレてたし。
「それより、少し話があるんだがいいか?」
エルドナがちらりと私の正面に座るミーアに視線を向けると、ミーナはエルドナの目配せに気づいたのか、体を小さくビクンとさせた。
「わ、私、えっと……デザート追加で買ってきます!」
ミーナはそんな言葉を言い残すと、運ばれてきた食事に手を付ける前に席を立ってどこかに行ってしまった。
食事に手を付ける前にその言い訳は無理があるんじゃないだろうかと思いながら、ミーアに気を遣わせてしまったことを申し訳なく思った。
「あの、ミーアに気を遣わせちゃったんだけど?」
「そうだな。それにしても、随分仲がいいんだな」
「そりゃあ、初めてこの学園でできた友達ですから。もしかして、あなたもミーアの家のこと変に思ってるんですか?」
「いや、特異的な魔法を使えるのは羨ましいが、変には思っていない」
「特異的な魔法?」
あれ? もっと貴族間のどろどろとかじゃないの?
私が思っていたようなこととは違うのだろうかと思って小首を傾げていると、エルドナは不思議そうな顔をしながら言葉を続けた。
「ベネット家は索敵魔法に長けていると聞く。それを妬んだ他の貴族が『ベネット家の魔法は返り血を浴びるほど実験の元強化された魔法だ。赤い髪には血塗られた歴史があるんだ』とか騒いでいただけだ。むしろ、長けている魔法を持っているのは羨ましいがな」
「……ミーア、そんなこと言われてたんだ」
むしろ、誇れることだというのに、それを妬んだ貴族に貶められていたのかと思うと、ミーアが不憫でならなかった。
少し考えればそれが嘘だということくらい分かるはずなのに、なんでそんな噂を信じるのだろう?
いや、信じるかどうかではないのかもしれない。
面倒ごとになりそうなことには首を突っ込まない。そんな考えがどこかにあったから、みんな自分で進んで話しかけようとはしなかったのかもしれない。
下手に関係を持とうとして、自分の家が妙な疑いをかけられるかもしれ位と思えば、接点を持とうとはしないだろう。
その気持ちは分からないでもないけど……も何というか、貴族社会って思っている以上に面倒なのだろうか?
私が一人そんなことを考えこんでいると、エルドナが私に不思議な顔を向けていた。なんだろうかと思って小首を傾げていると、エルドナは小さく咳ばらいをして私から視線を外した。
「いや、まぁ、今はその話はいい。話しは今朝のハンカチのことだ」
「動物の刺繍が入ったハンカチのことですか?」
「そんな大きな声で言うなっ! あのだな、あれは姉から貰った物で俺が買ったものではない。だから……誰かに広めてくれるなって話だ」
私は普通のトーンで言ったつもりだったが、必要以上に驚かれてしまって、一瞬周囲の視線を集めてしまった。
そんなに気にすることなのかなと思ってエルドナの顔を覗いてみると、顔を恥ずかしそうに赤くしていた。
とても朝に私を睨んでいた人物と同じ人物には思えない。
「言いませんよ。というか、別に男の人が可愛いの持っててもいいじゃないですか」
何を恥ずかしいと思うかは個々の自由だが、エルドナには後ろめたさのような物があるような気がした。
まぁ、何に後ろめたさを感じるのも自由だから別にいいんだけど、少し気にし過ぎな気もする。
私からしたら、エルドナが可愛い物を持っていたこと以上に、目の前に並んでいる食事が冷めないかの方が重要である。
「そもそも、可愛いので言えば私の方が可愛いの持ってますし、引いたりしませんよ。女の子っていうのは、可愛い物好きな子多いんですからね」
私はそんな一般論を口にしながら、目の前の食事のどれから口にしようかと考えながら言葉を続けた。
「まぁ、もっと可愛いのが欲しかったら、別に買い物に付き合うくらいしてもいいですけどーー」
「ほ、本当か?!」
私が一品目に狙いを定めてフォークを伸ばした瞬間、隣に座るエルドナが急に大きな声でそんな言葉を口にした。
頭の中が料理のことでいっぱいになったタイミングで、急に大声を出されて戸惑ってしまったが、私は自分が口にした言葉を思い出してそれが失言だったことに気がついた。
しかし、エルドナに本気で縋るような目を向けられて、今さら訂正をすることをできなくなった私は、気まずそうに視線を逸らすことしかできなかった。
まずいな、攻略対象をデートに誘ったことになるのかな、これって。
「えっと、か、買い物くらいなら?」
しかし、真剣すぎる目を向けられている私が今さらその言葉を撤回することができるはずがなかったのだった。
「えっと、もう少し席を外していた方がいいですかね?」
ふと声のする方に視線を向けると、そこには私達の分のデザートを抱えたミーアが困り眉で小首を傾げていた。
まさか、私達の分まで買ってきてくれるとは思わなかった。
ミーアの優しさに触れながら、前のめりでそのデザートを眺めていると、隣に座っているエルドナが少しだけ呆れるように短く息を吐いた。
「いや、もう大丈夫だ。すまなかったな」
そんな溜息とは対照的に嬉しそうな横顔を見せられてしまうと、私はエルドナに対する返答が少し迂闊だったかなと思いながら、悪くはなかったのかもしれないと思うのだった。