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学院内に魔物が入り込んだ。
その知らせが届いたカフェテリアは蜂の巣をつついたような騒ぎが起きる。
「魔物だって?!」
「護衛はどうした!」
「応援を呼べ!」
校内に魔物が進入するという椿事は、実は数年に一度はある災害だ。
だから、騒いでいるのは下級生であり、上級生は落ち着いている。
リエトはにわかに不安を覚えた。もしかして、自分に会いにやって来たアーテルが、誤解されているのではないかと思ったのだ。ましてや、今日は神殿の偉い人が視察に学院を訪れていると聞いている。うっかり驚かせて怪我でもさせ、「殺処分だ!」などとなっては大変だ。
「まさかな。いや、でも」
気持ちのままいつの間にか、リエトは走り出していた。バルドやルキーノ、アルフォンソのほかシストまでついてきた。
「せ、先生! 魔物って?!」
険しい表情で急ぐ教師を捕まえてリエトが尋ねる。ほとんど問いになっていない。
「魔物が出たと聞きました。本当ですか?」
山育ちで健脚のアルフォンソがすぐに追いついて、はやるリエトの代わりに教師に質問した。
「早えよ、リエト」
水泳が得意なバルドはともかく、ルキーノとシストはぜいぜいと肩で息をしている。
「あ、ああ、イヌ型の魔物だ」
勢いに押されて教師が口ごもりつつも答える。
「い、色は? 黒? 真っ黒ですか?」
リエトは教師に詰め寄った。
「いや、濃い茶色だ。黒に見間違うことはない」
「よ、良かったぁ」
リエトはへなへなと力が抜けるまま、その場に座り込んだ。
「良くないぞ。君たちは講堂へ非難しろ」
そう言い置いて足早に去ろうとする教師を、バルドが呼び止める。
「先生、魔物はどこにいるんだ?」
「聞いてどうするんだ?」
振り向いた教師が疑わし気にバルドを見据える。やはり常になく神経質になっている気がする。お偉いさんとやらが来ているからか、もしかして、既に犠牲者が出たのかもしれない。リエトの不安は募る。
「そっちには近寄らないようにしようと思います」
とっさにアルフォンソが言い切る。
「ふん、奥庭の西側だ」
鼻を鳴らしたものの、きっちり答えた後、教師は今度こそ行ってしまった。早急に対処するためだろう。
「奥庭の西側か。「薬学研究部」の薬草畑が近いな」
「あー、じゃあ、毒のあるやつを食って自滅してくれないかな」
「そうなる前に、せっかくの薬草畑が荒らされる」
「薬学研究部」もまたクラブのひとつで、薬作成が高じて素材を育てることにまで手を出したのだという。既存の薬草を用いるのではなく、必要な薬効を持つ植物を育てようという観点だ。すばらしい取り組みではあるが、こちらも長期スパンで行う必要があり、結果、学院に長く居すわる学院生が多く所属している。
つまり、十三歳から幅広い年代層まで「学生」としてうろつく。なかなか卒業しないことから、年々「学生」は増えつつある。授業に出席する必要のないクラブの研究中心の学生は昼休憩をずらしているものの、無料で食事が提供されるカフェテリアで食べる。
学院にはあちこちから人が集まる。だから、寮がある。食事もお代わりができる。
貧しい者に十分な教育と食事を。安心して暮らせる場所を。それらが特に必要な年代の子供たちが学院に集められた。
結果、国外からも人が集まるようになった。そのせいか、諍いの種もあちこちにまき散らされている。同じ国の同じ爵位の家に生まれてきた子供でも、そりが合わない者がいるように。
「そっか。じゃあ、行こうぜ」
どこをどうしたら「じゃあ」になるのか。バルドは平然としたものである。
「危ないからやめておこうよ」
さすがにリエトは止めた。アーテルではないと分かったのだから、リエトとしては、危険な場所からは遠ざかりたい。なんなら、講堂にも行かず、こっそり学院を抜け出してアーテルを探しに行こうと思っている。
「そうだな」
こんなとき、まっさきに賛同するルキーノが頷いたから安堵する。けれど、違った。
「リエトは危ないから、アルフォンソといっしょに逃げろ」
言って、ルキーノはバルドと駆けだした。騒動の下へ。
「俺はふたりを追う。リエトは逃げろ」
「え?! あ、ちょっと、アルフォンソまで!」
まさか、アルフォンソまで。つられるようにしてリエトもまた追いかけようとした。シストがリエトの腕を掴んで止める。
「バルドたちを追わないと!」
「ちっ」
舌打ちをしながらシストも駆けだす。いっしょに行ってくれるのだ。良いやつだ。
シストからしてみたらバルドは素晴らしい学院に入学できたというのに、授業中に寝てばかりいるし、ルキーノは丸暗記が得意なだけで理解しておらず、なのにそんな彼にテストの点数で劣る。腹立たしいことこの上ない。
でも、悪いやつらじゃない。なにより、小柄で見るからに甘ったれで、なによりやさしくていつも元気いっぱいで楽しそうにしているリエトが危険な目に遭うのを阻止しなければ、という気持ちに心が支配されていた。
一番冷静で落ち着いているシストもまた、子供だった。向こう見ずで経験の乏しい少年だった。いわんや、ほかの者をや。
「シ、シスト?! どこへ行くの?」
「野暮用だ! ルーベンは講堂へ避難しろ!」
よくシストと行動を共にするまあるい頬の持ち主のクラスメイトであるルーベンと途中で出くわす。
説明するのももどかしく、避難場所を告げただけで足を止めずに走り去る。
ぽっちゃりしたルーベンは運動があまり得意ではなく、よって、無謀なことはせずに言われた通りに避難した。それが順当なのだ。