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午前の授業が終わって「さあ、カフェテリアへ!」とみなと共に足早に廊下を歩いていると、リエトは学院の事務員に呼ばれた。腹ペコ虫がうるさく主張するバルドたちには先に行ってもらい、事務室へ向かう。
学院の魔装通信機に家からの連絡を受けたリエトは青ざめた。
ロッカーへまっしぐらに向かい鞄を引っ張り出すと、今度は慌ただしくカフェテリアに走る。
高い天井、広々としたカフェテリアは片面がガラス張りで明るい。大勢の生徒たちでほとんど席が埋まっている。
バルドたちはすでにテーブルについて食事を始めていた。
「どしたあ?」
ルキーノが口に物を入れたまま不明瞭に尋ねる。問われたリエトはきゅむっと唇を引き締める。
「アーテルがいなくなったって言うんだ」
預けていた荷物を受け取って鞄に詰め、たすき掛けにする。
「僕、家に帰るよ」
「え、犬のために?」
今にも肉にかぶりつこうとしていたバルドが顔をリエトに向ける。
「午後の授業は出席が単位取得に響くぞ?」
アルフォンソが眉をひそめる。彼の言うとおり、午後一番の授業は厳しいと評判の教師が受け持ちだ。リエトはうっと詰まったが、きゅっと腹辺りの鞄の紐を握りしめる。
「またまたあ、そんなことを言って、女の子に会いに行くんじゃないのか?」
近くに座っていて話を聞ていいたクラスメイトがからかう。この歳頃の男子は食べることか女の子のことかが話題の中心だ。
しかし、今のリエトにはそんなからかいに言い返す余裕もない。
「きっと、とうとう家で待っていられなくなって、僕を探しにタウンハウスを出てしまったんだよ。どうしよう。アーテルが迷い犬だって怖がられて通報されたら。アーテルは優しくて頭が良いけれど、大きくて黒いから、ほかの人が見たら恐ろしいと思うかもしれない」
リエトは眦が熱くなるのに、ぐっと奥歯を噛みしめて堪えた。
毎朝毎朝、今生の別れのように、『行かないで、いやだ、いっしょにいよう』とすがりついていた。今日はとうとう、『おれも行く』と言っていたのだ。だから、アーテルは実行に移したのだろう。
どんどん蒼ざめていき、ついには白に近くなっていく顔色を見て、バルドやルキーノ、アルフォンソもこれは大変なことになったぞ、と気づいた。バルドとルキーノは大急ぎで目の前の食事を片付けにかかる。
「リエト、君、ライネーリ伯爵家の馬車はもう迎えに来ているのかい?」
横合いから声が掛かった。先ほどからかったクラスメイトと同じテーブルについていたシストだ。こちらもクラスメイトで、うすい金髪に切れ長の水色の目をした少年で、特筆すべきは頭が良いことだ。バルドと同じ爵位である男爵家の子息でありながら、反りが合わないふたりである。バルドなどは「カタブツ君」なんて呼んでいる。
シストもまたタウンハウスから通学している。しかし、家門はあまり裕福ではなく、また、四男坊であるから、わりと放任されているそうで、徒歩で学院まで通っている。
登校時に歩いているシストを見かけて馬車に招じ入れたことがある。いつも遅刻ギリギリのリエトだったから、徒歩のシストは完全に間に合わない時分の登校だった。
「今日はたまたま出かけにちょっとあって」
言いにくそうにするのに、それまであまり話したことがなかったシストと初めてふたりっきりで会話した。彼はなんと、リエトがバルドたちにいじめられていないかと尋ねてきた。
「そんなことないよ! 大丈夫だよ」
驚いて目を丸くするリエトがやせ我慢していないかを見極めるようにしながらも、シストは納得して頷いた。
「ならいい」
シストはバルドが言うとおりカタブツで、だから真面目で、そしてやさしい。
なんだか胸がほわほわと温かくなってうふふと笑ったら、「なににやついているんだよ」と唇を尖らせた。そんな顔をして見せれば、シストもまた、リエトたちと同じ歳の子供っぽさを感じさせた。
それから、天候が荒れた日には馬車の同乗を誘うようになった。朝から雨が降る朝は、「シストが行っちゃうよう!」と歯噛みしながら、アーテルを説得にかかるリエトである。
そんなシストだからこそ、リエトを迎えに来る馬車が、授業が終わるあらかじめ決められた時間にやって来ることを知っている。
「ううん。魔装通信機で断って置いた。アーテルを探しながら帰るからって」
魔装通信機のやり取りはほんのわずかなタイムラグがある。それを良いことに、アーテル不在を知らされたリエトは一方的に告げて通信を切ったのだ。
「「はあ?!」」
「無茶だ!」
「そうだ、無謀だよ!」
ルキーノとバルドがそろって素っ頓狂な声を上げ、アルフォンソとシストが口々に反対する。
バルドたちはもちろん、シストも裕福な伯爵家の箱入り息子のリエトが、学院にやって来るまではほとんど人前に出たことがないということを知っている。それが馬車にも乗らず、付添人もいないなどとは、誘拐して下さいと言っているようなものだ。さらに言えば、病弱だった末っ子が元気いっぱいになり胸をなでおろす伯爵家ではねこっ可愛がりしている。リエトの無事と引き換えならば、言われるままに金貨を積み上げるだろう。
「でも、こうしているうちにも、アーテルが!」
アーテルは強い。そして、素早い。だから、たとえなんらかの事情で暴力を振るわれることがあっても、怪我ひとつ負うことはないだろう。けれど、リエトが暮らすこの街は人間社会だ。危険な生物だと見なされれば捕まって「処分」されるかもしれない。
幼いころからリエトを守り、常に傍に付き添ってくれていたアーテルが。まだカントリーハウスにいたころは良い。ライネーリ伯爵領のうちだったからだ。しかし、リエトの事情で人の密集する街へ移住することになった。隣地を買い取って敷地を拡げたとはいえ、カントリーハウスの庭とは比べる余地もない。なにせ、丘をひとつふたつ有する広さだ。起伏があっても何のそので駆けまわっていたアーテルである。
その上、学院で過ごす間はリエトと離れることとなる。アーテルは未だかつてないほど抵抗した。
不自由を強いる上に嫌なことを我慢させている。そんなアーテルが見た目が恐ろしいからと言って「処分」されてしまったら。
「仕方がない、じゃあ、俺たちも付き合うか」
「そうだな。探すなら人手が多い方が良いだろう」
バルドが腕組みし、ルキーノと目を見あわせる。
「そんな、良いよ。次の授業、欠席したら単位が取れなくなるかもしれないよ?」
ほんのちょっぴり、そうしてくれたら安心すると思った。だが、ただでさえ言いにくいもののふたりはお馬鹿さんだ。欠席したことが響いたら申訳がない。
なお、ルキーノは実は学年トップの成績で入学した。彼は見た記述を丸暗記できる特質を持っている。けれど、その意味は理解していない。そして、日数が経てばきれいさっぱり忘れてしまう。だから実質、シストの方が頭が良い。しかし、試験の点数ではルキーノが独走しているのだ。ただし、それも初級クラスでしか通用しない。中級上級のクラスに上がれば、テストはテキストのまま出題されることはない。
ちなみに、バルドと反りが合わないシストがルキーノにも冷淡なのはこのせいではないかとリエトはこっそり思っている。
「リエトの言うとおりだ。俺がリエトに付き添う」
「じゃあ、手分けして探そう」
バルドとルキーノに断るアルフォンソに、当然のようにシストが言って空の食器が載ったトレーを持って立ちあがる。
「え、でも、」
「わたしはリエトの家までの道のりを知っているから、探すのにうってつけだ」
「ありがとう」
「なに、いつも馬車に乗せてもらっているからな」
気にするな、と笑う爽やかさよ。一連のスマートさはふだんから身についているものであり、シストはもてる。大柄なバルドとは対照的にすらりとしているが、同じ爵位の子息という似た境遇であり、異性から熱視線を向けられるという点で共通点がある。だからこそ、反目し合うのかもしれない。
「おー、イケメーン!」
「かっちょいー!」
言外に出席日数が減れば単位取得が危ういと言われたバルドとルキーノがいじけた声ではやし立てる。
「ルキーノ、バルド、しっかり授業を聞いてノートを取っておいてね」
「「えー」」
不満げなふたりの声を背景に、リエトはさあ行こうとしたときのことだ。
「魔物だ! 学院内に魔物が入り込んだ!」