7 謁見
「うん、上手く化けている」
「はい。皆様の素晴らしい手腕のおかげです」
互いに真顔でやり取りしているギルバートとアビーの会話に、オルトが「はぁ」と小さくため息をついた。居並ぶヘアメイク担当の女性たちも(もう、伯爵様ったら!)と内心では腹立たしく思っただろうが、さすがにそれは顔に出していない。
「少し早いが、そろそろ城に向かおう」
「はい。不慣れな私は失敗しないよう、なるべく口を閉じております。陛下から難しい質問をされたら、どうかお助けください」
「ああ、面倒な質問をされたら、私が止める」
「いえ、陛下を止めるのではなく、上手くかばって、あ、いえ、自分でなんとか努力します」
ギルバートが眉を寄せたのを見て、オルトがスッと二人に近づき、それ以上もめるのを防いだ。そしてそのまま二人を馬車で送り出した。
王城の正門から入ると何ヶ所にも衛兵が立っている。だがギルバートが顔を見せると、中を調べられることもなく馬車は進む。
馬車の中は沈黙が支配していた。質問したいことはいろいろあるが、そんな雰囲気ではない。
(私はきっと、馬車に置いてあるクッションみたいな存在ね。必要があるから置かれてるけど、クッションに気を使う人間はいないもの)
決して卑屈になっているわけではない。そもそも夫になったギルバートに優しさを期待していなかった。
「着いたぞ。俺の隣を歩くように」
「はい」
差し出された腕に手をかけ、歩き出す。最初こそ歩幅が違い過ぎて小走りになったが、すぐにギルバートが気づいて歩みを遅くしてくれた。
「ありがとうございます」
と礼を述べたがうなずくだけで返事はない。
(気にしない気にしない。返事がないのも想定内)と苦笑する。
途中で年配の男性と出会った。
「イーガン伯爵。隣にいるのはもしや、電光石火の早業で妻にしたという?」
「はい。妻のアビゲイルです。アビゲイル、こちらは宰相のデクスター・ホワード侯爵だ」
「宰相様、初めまして。アビゲイルでございます」
「なんと愛らしい。ギルバート、君がこのような可愛らしい女性が好みだったとはな。それにしても夫人のその包帯は何事だね」
「宰相、陛下を待たせてしまいますので、これにて失礼いたします」
(伯爵様は、宰相様にまでぶっきらぼうなのね)と驚いたアビーは、せめてもの償いに、と包帯を巻いた姿ながら満面の笑みでお辞儀をする。そのアビーの背中を押すようにしてギルバートは「では」とだけ言ってその場を離れた。
騎士二人が立っている白いドアの前に到着した。見上げるような大きなドアだ。
騎士たちが左右にドアを開いてくれる。足を踏み入れると、そこはホールではなく感じの良い広い部屋だった。
置いてある家具の高級感、絨毯の分厚さ、カーテンの豪奢な雰囲気。アビーにとっては『別世界』そのものだった。
「国王陛下、王妃殿下がいらっしゃいました」
の声を聞いてアビーは片足を引き、ほとんど使ったことがない貴族用のお辞儀をした。
「頭を上げなさい」
という声になんとも言えない圧を感じる。おそらく身分を明かされない状態で聞いても、ひれ伏したくなるような、そんな声だった。
「ギルバート、驚いたよ。まさかたった数日の間に結婚してしまうとはね」
「事後報告のご無礼をお許しください」
「いいさ。あなたがアビゲイルか。いったいどういう経緯でギルバートと結婚したのかな?」
「はい、私は、」
「陛下、それは私からお答えさせてください」
ギルバートがそこから淡々と大嘘を語ったので、アビーは表情を取り繕うのに全神経を使い続けた。
「彼女は私の振り下ろす剣の前に身を投げ出して幼なじみをかばったのです。ただの幼なじみにあれほどの勇気と思いやりを持つ女性を、私は見たことがありませんでした。こんな人を妻にしたら、どれほど安心して家庭を任せられ、心安らぎ、疲れも癒やされることかと思った次第です」
「ほう?」
「しかも、私にザックリと額を切られたあとも、泣き言を言わず、大変に気丈でした。剣で身を立てた私の妻にふさわしいと、他の男に取られる前に事を急ぎました」
「アビゲイル、本当か?」
「はい、陛下」
「私が結婚を勧めるのがうるさいから、形だけの結婚相手になれ、と言われたのではないか?」
(さあ、ここが踏ん張りどころよ)とアビーは息を吸った。
「いいえ陛下。そんなことはございません。旦那様は大変熱心に『私の妻になってほしい、妻にするのはお前の他にいない』と繰り返されました」
「ふむ。にわかには信じがたいのだが。ギルバート、本当か?」
「本当でございます」
「驚いたな。だがよかった。本当によかった。アビゲイル、私はこの男が『殺戮の使徒』などという二つ名で呼ばれているのを、常々不憫に思っていたのだよ。この男ほどまっすぐで信用できる臣下はいないのだ」
そこでアビーは突き刺さるような視線を感じて、目を動かした。
国王の隣に座っている目の覚めるような金髪美人の王妃が自分を見ていた。王妃はアビーと視線が合うと、ふんわりと微笑んだ。笑うと、鋭い視線を投げていたときとは別人になった。
(うわぁ怖い)と思いながらアビーは小さく頭を下げてから視線を目の前の大理石の床へとさりげなく動かした。
「パトリシア、お前も安心しただろう?」
「はい、陛下」
「いやあ、よかったよかった。実にめでたい。どうだギルバート、このまま晩餐に同席しないか?」
「お断り申し上げます。今朝から気を張り続けている妻が気の毒です」
「ふっふっふ。すっかり愛妻家ではないか。よかろう、今日は諦めるよ。だがそのうち必ずアビゲイルを連れて晩餐を付き合え」
「考えさせてください」
ギルバートは顔色も変えずにそっけない返事を繰り返す。
アビーは(大丈夫なの? 不敬罪で私まで投獄されない?)と気が気ではないが、そのあとも国王とギルバートの遠慮のないやり取りは続いている。やがて、
「ご苦労だった、ギルバート」
というひと言で顔合わせは終わった。
国王と王妃が出て行くまで頭を下げ続け、パタンとドアが閉まったときには深く息を吐いた。アビーの手のひらと背中はじっとりと汗をかいていた。
「帰るぞ」
「はい」
帰りの馬車の中、ギルバートはひと言も口を利かなかった。
屋敷に到着し、「さあ降りよう」とするアビーにギルバートが声低く話しかけた。
「お前に話がある」
「はい」
その広い背中が怒りを発散しているように見える。アビーは(なんで? 私、ちゃんと役をこなしたわよね?)と首をかしげた。