5 結婚式
翌々日、五月の頭に行われた結婚式に参加したのはわずか五人。
それがギルバート側からの要望だった。
ギルバート側が当人と執事のオルトのみ。アビー側も親子三人のみ。
ギルバートの家族は誰も参加しなかった。ドレスを準備できるはずもなく、アビーは白いワンピースドレス、ギルバートも落ち着いた色の上下を着ているだけ。
教会の中はがらんとしていた。
それでもアビーの両親は結婚した娘を見て涙を流し、「おめでとう」を繰り返してくれた。
アビーは(嘘の結婚でごめんなさい)と思いながらも(一度は結婚したことが親孝行になるといいけれど)と笑顔の陰で考えていた。
教会から出ると、ギルバートは当然のようにアビーを自分の馬車に招き入れた。アビーの両親には「ではまた後日」とだけ告げて自分も馬車に乗り込んだ。
驚いたのはアビーだ。
「待って。待ってください。私、今日は両親と一緒に帰るつもりだったのです。何の荷物も用意してないんです」
「ああ、そうだったのか」
「そうです。ですから馬車を止めてください」
「言うのを忘れていたが、今夜お前を連れて王城に行かねばならない」
「なんのためにです?」
「陛下がお前を見たいらしい」
「陛下って、まさか国王陛下ですか」
「それ以外にいないだろう」
理解が追いつかず、無表情になって考え込んでいるアビーを見てギルバートが説明をした。
「陛下は戦争の時に俺を気に入ったらしく、やたらに俺を城に呼ぶんだ。何かあると呼び出される。週に何度もだ」
「そうなのですか」
ギルバートが陛下のお気に入りなことは、平民ですら知っている話だ。
戦争時、国王は敵から遠い位置にいた。なのにまさかと思うような近い場所から敵の集団が襲いかかってきた。
まるで国王がどこを通るか知っていたように敵が隠れていて、避けようもなかった。
すぐに国王を囲んだ兵士たちの外側で、鬼神のごとき活躍をしたギルバート。敵を一人も国王に近づけなかったのが八年前のギルバートだ。
アビーが当時人気の読み物で読んだのは、
『死をも恐れぬ勢いで敵陣に斬り込み、あまたの剣の中をひらりひらりと身をかわしながら突進。気づけば敵の骸の山』
という、大袈裟な表現が使われていた。
陛下はそれを目の当たりにして感動されたとか。
それ以降陛下に大切にされているのは子供でも知っている。
「結婚する、と昨夜報告した。お前のことは『小柄な男爵令嬢で二十四歳』とだけ伝えたのだが。『連れて来て見せろ』と言われたのだ」
「私、包帯姿ですのに。包帯が取れてからのほうがよかったのではありませんか?」
「ああ、包帯の件を言い忘れてたな。だが気にするな。陛下が気になさっているのはそこじゃない。お前の人柄を見たいのだろう」
「私は陛下の前でどうすればいいのか、正式なマナーを知りません。私が困ったら助けてくれますか?」
「それは任せろ。それと、覚えておいてほしいことがある。王妃殿下は以前、俺と婚約寸前までいったことがある」
「伯爵様、それは私なんかが聞いていいのですか?」
「陛下はいまだに俺が王妃殿下に未練を持っている、と疑っているんだよ。何度違うと説明してもな」
ああ、なるほど、とやっと合点がいった。
陛下が結婚をせかすだけなら聞き流せばいいのでは? と疑問だったのだ。
「未練がないのにあるんだろうと勘繰られるのは、証明のしようがないからとても嫌ですね」
「ああ」
「わかりました。きっちりと妻を務めてみせます。伯爵様、私はまだ、あなた様の年齢も知りません、伯爵様は何歳なんでしょう?」
「二十九」
「二十九? 二十九、そうでしたか」
「なんだ?」
「言うとお怒りになるでしょうから言いません」
「老けて見えると告白してるような返事だな。何歳だと思ってたんだ」
「ええと、えー、三十五くらいかと」
「さんじゅ……まあいい。それと、俺のことはギルバートと呼べ。伯爵様ではあまりに他人行儀だ」
「はい」
その後は馬車の中を沈黙が支配して、アビーは緊張のあまりにしゃべりすぎた自分を反省した。ギルバートに気に入ってもらえなければ、この結婚の意味がないのだ。
(テッドを守るために結婚したのに、老けて見えるなんて伝えてどうするのよ)とアビーは反省した。
※・・・※・・・※
ギルバートの屋敷は王都の中心部にあった。
アビーの実家も王都にはあるが、同じ王都と思えないほど緑の深い敷地は、広い。
屋敷の周囲に落葉樹と針葉樹がバランスよく配置されていて、外からは屋敷がほとんど見えないようになっていた。
「着いたぞ」と言いながら差し出されたギルバートの手に、アビーがぎこちなく手を置く。
「馬車の乗り降りと階段では、自分でできても俺に頼るように」
「わかりました」
「高位貴族の前に出ても問題なくなるまで、マナー教師をつけよう。おいおいでいいから学んでくれ」
「わかりました旦那様」
馬車を降り、返事がないのでギルバートの顔を見上げる。無表情なのは相変わらずだが耳が赤かった。
「旦那様って言葉に照れてらっしゃるんですか?」
「照れるか! 俺はお前を十四か十五だと思ってたんだぞ。俺にその手の趣味はない」
今度はアビーが黙り込んだ。
幼く見えることと背が低いことは、気にしていない風を装っているが気にしているのだ。
「すまん。言い過ぎた」
「わかってます」
オルトはずっとそのやり取りを聞いていたが、顔が緩むのを抑えられない。
主のギルバートは普段、感情を捨てたように暮らしている。財産目当てではないご令嬢はたいてい怖がってしまう。
その主に対して物怖じしないアビーに感心していた。
(これは面白くなりそうだ)
口角をわずかに上げて、オルトはドアを開けた。
玄関ホールにはずらりと使用人が並んでいて、使用人なしで生活していたアビーは、目を見張る。
「オルト、陛下は何時に来いと?」
「夕方の五時と」
「そうか。あまり時間がないな」
(貧乏男爵の娘の私が、国王陛下と王妃様にお会いするなんて。余計なことは言わないようにしなきゃ。王妃様にも仲良しのところを見せなくちゃ)
元恋人に本当に未練がないのなら、ギルバートがうんざりするのはわかる気がした。
もし自分がそんなふうに痛くもない腹を探られたら地団太を踏みたくなるだろう、と思う。
「ギルバート様、私、がんばりますね」
「ん?」
やる気をみなぎらせているアビーに、ギルバートが怪訝そうな顔になった。