48 アビーの望み
7月25日に『手札が多めのビクトリア1』が発売されます、(MFブックス様)
かっこいいビクトリアと可愛いノンナをよろしくお願いします。(ぺこり)
最近のギルバートは、この先も自分を憎む者がまだ出てくるような気がしてならない。
大切な存在ができたら悩みも一緒に生まれてしまった。
ギルバートはその日、元上司のジョージ・ワイズ伯爵に呼び出された。
場所は軍人を主に相手をする酒場。
一階は広いホール。四人掛けのテーブル席が十四もある。二階は大きさの違う個室が並んでいて、聞かれたくない話をするには向いている。
奥の小さな個室で、ギルバートとワイズ伯爵は向かい合って酒を飲んでいた。
「ギルバート。最近元気がないな」
「そんなことはありません。いたって健康です」
「いいや、覇気がない。どうした。新婚の夫人と喧嘩でもしたか」
「喧嘩など一度も、あ、いや、一度きつく怒られましたね」
「ふふふ。殺戮の使徒が戦場に立てば敵兵の士気が下がる、とまで言われるお前を怒るのか。なかなか勇ましい奥方ではないか」
ワイズ伯爵に本音を言うべきかやめるべきか、ギルバートは迷っている。
「ギルバート、今は戦争の気配がないが、俺たちは戦いになれば出向く。兵士から指揮する側になってもそれは変わらん。迷いや悩みはなるべく早い段階で片付けておくべきだ」
「はい。ご存じのように今回、私の義父が妻の命を狙いました。エドモンズ侯爵の護衛に私が狙われたときは、妻は額に傷を負いました。これがいつまで続くのか。私のせいで彼女が危険になるなら、それならいっそ、」
「他の男にくれてやるのか」
「そういうわけでは」
「そうなるだろう。女性を好きにならなかったお前が、そこまで守りたいと思うような女性だ。すぐに貰い手が登場するぞ」
自分と同じように彼女の魅力に気がつく男が現れたら?
彼女がその男に心を奪われたら?
「彼女は何と言ってるんだ。危険な暮らしは嫌だと言っているのか?」
「いえ、何も」
ワイズ伯爵はポンとギルバートの肩を叩いた。
「赤の他人だった二人が一緒に暮らすんだ。必要なのは話し合いだぞ。どちらかが我慢したりどちらかの気持ちだけで、仲良く夫婦を続けられるなんて思うなよ。俺はいつだってエルダを全力で大切にしてる」
さりげなく大変なのろけを口にしたジョージ・ワイズは、『エルダが待っているから』と言って帰った。
※・・・※・・・※
翌日、ギルバートは朝食を食べずに出かけた。
夜になり、アビーは帰宅したギルバートと夕食を食べながら夫の様子をうかがっていた。
昨夜、ワイズ伯爵と飲んで帰ってきたギルバートがアビーに「すまない」と何度も繰り返したのだ。
『酔った男性が恋人や妻にすまないと謝る理由は浮気』と恋愛小説には書いてあった。
まさかね、と思いつつ、アビーは聞かずにはいられなかった。人生に今以上の秘密は何も抱えたくなかった。
「旦那様、昨夜、私に何度も『すまない』とおっしゃってましたね」
「そうだったかな」
「浮気なさったんですか?」
口に入れたベーコンをろくに噛まずに飲み込んでしまい、ギルバートは「んぐっ」っと変な声を出した。どうにかそのままベーコンを飲み込んでから呆れた顔で尋ねる。
「なんでそうなる」
「そうなのかしらと思ったので」
「昨夜はワイズ伯爵と飲んだだけだ」
「ではなぜ『すまない』と繰り返したのですか?」
「アビゲイル、いちいち俺の口調を真似するな」
気を利かせたオルトは「お茶を運んで参ります」と告げて素早く部屋をでた。キャシーは何も言わずに頭を下げてオルトの後に続いて食堂を出た。
その二人が出て行くのを待ってから、ギルバートは誤解を解くことにした。
「俺は浮気なんて全くだぞ。すまないと言ったのは、義父の指示で誘拐されたり、額に傷を負わせたりしたことだ。それに、今後も君は俺のせいで狙われるかもしれない。それが申し訳なくて、つい」
「それは、もしかして二年を待たずに離婚する、ということでしょうか」
「そんなことは言っていない」
ギルバートはナイフとフォークを置いて、アビーを眺める。
「君は離婚してほしいのか」
「いえ。私はもう少しおそばにいたいです」
「もう少しだけなのか。俺は君にずっとそばにいてほしい。契約期間が過ぎても、俺がじじいになって剣の腕が落ちても、夕食の後で君を膝に乗せていたい。だが、それが果たして君にとっていいことなのか、わからないんだ」
アビーは『契約期間が過ぎても』という言葉に呆然としてギルバートを見た。
無造作な黒髪、切れ長の青い目、まっすぐな鼻梁の先にある引き締まった口元。無駄な肉がかけらもない頬のライン。
最初に警備隊の詰所でじっくり見た時は『整った顔立ちのせいで表情の冷たさがいっそう際立っている。いかにも冷酷そう』と思ったことを思い出した。
今、その青い目には不安の色が滲んでいる。
その不安そうな色さえも、今のアビーには愛おしい。
アビーは立ち上がり、ギルバートの隣に立った。
そして黒髪の頭をそっと抱きしめて「旦那様」と話しかけようとした。
伝えたいことはいっぱいあるのにうまく言葉を選べない。
(大好きで大切で不器用な私の旦那様)
「どうか旦那様はご自分の心のままに生きてください。それが私の望みです。私自身の望みはそれともうひとつだけ。不幸な運命に取り込まれて命を落としてしまった少女たちのために、何か役に立ちたいです。最良の方法をゆっくり考え、一生をかけて続けられるようなことにしたいです。私だけが幸せならいいとは思えなくて」





