46 ジュスタンの恨み
ジュスタンの供述が取れたとギルバートに連絡があった。
報告書を持って来たのはジョージ・ワイズ伯爵。ギルバートの王国軍時代の元上官だ。なぜワイズ伯爵が? とギルバートは不思議に思う。
「それで、ジュスタンはなぜ私を毒矢で狙わせたのでしょうか?」
「彼に見覚えは?」
「ありません」
「本当に彼を知らないのか?」
「ええ、知りません」
ジョージ・ワイズ伯爵は束の間気まずそうな顔になった。
「ワイズ伯爵、なにか?」
「彼は王国軍の養成学校の生徒だ。君とは同期だ」
「それは……全く記憶がないとしか。私は当時、誰も信じられず、自分の存在する意義を見失っていて、剣の腕を磨くことだけが心の支えだったのです。なので同期の顔など、ほとんど覚えておりません」
ワイズ伯爵は小さくうなずいた。
「それは想像がつくよ。君は軍の中でも飛びぬけて剣の腕に優れていたが、いつも独りだったと記憶している。誰かが話しかけても返事だけはしていたが、ろくに相手を見ていなかったように思う」
「ええ、はい。そうだったと思います」
ワイズ伯爵は書類に目を落とした。
「ジュスタンは男爵家の息子だが、ザハー王国出身の母親を持っていることで、ずいぶんいじめられていたらしい。それで剣の腕一本で出世できる王国軍の養成学校に入学したのだそうだ。そして必死に努力した」
「それで?」
「ある時、しつこく出自をからかう生徒と喧嘩になった。四対一だったからコテンパンにやられた。そこへ君が通りかかった。これでも記憶にないか?」
「はい。残念ながら」
ワイズ伯爵は「そうか」とつぶやいて話を続けた。
「君はジュスタンの相手に『弱い者いじめか。くだらん』と言い、飛びかかってきた彼らを全員ぶちのめした」
「はぁ、そうですか」
「それ以降、君は彼にとって憧れの存在になったんだそうだ」
「憧れの人間に毒矢、ですか?」
「ジュスタンは君をいつも見ていたそうだ。養成学校でも、軍隊でも。戦場で鬼神のごとく活躍する君も、休憩中に剣の手入れをする君も、ずっと見ていたそうだよ」
「それで?」
「君が一人で敵陣に飛び込み、オルトを助けた。そして伯爵になってオルトを執事に迎えた」
「ええ」
ギルバートは話の核心をなかなか話そうとしないワイズ伯爵に怪訝そうな目を向けた。
「君が爵位を賜ってすぐ、ジュスタンは執事になりたくて君に直訴したのだそうだ。彼は当時既にエドモンズ侯爵家の護衛だったがね。その時君はジュスタンが差し出した書類をチラリと見ただけで話も聞かず、『見ず知らずの人間を雇う気はないんだ。悪いがこれは受け取れない』と答えたそうだよ」
「それが私を殺そうとした理由ですか?」
「そうだ。矢に使われた毒はジュスタンの母の直伝だそうだよ。母親の育った家は植物の毒や薬に詳しかったらしい」
「執事に雇ってもらえなかっただけのことで毒を?」
「それと、『見ず知らず』と言われたことだろうな。戦争直後、君を神のように崇める若者は大勢いた。執事に雇ってくれと直訴する者はたくさんいたのだろうな」
「ええ。しかし、私はオルトを気に入っていましたので。オルトが申し込みに来る前から彼以外の人間を雇うつもりはありませんでした。オルトは軍の中で私に気さくに話しかけてくる唯一の人間でしたから」
ワイズ伯爵は疲れの滲む顔をつるりと撫でた。
「ジュスタンは君に『見ず知らずの人間』と言われて深く傷つき、君を憎むようになったそうだ。憧れの存在だった君も、結局はザハー王国の血を引く自分のことを見下していたのかと思ったらしい」
「なんでそうなるんですか!」
バン! とギルバートは机を叩いた。
「私にもわからんよ。君への尊敬と憧れを拗らせたんだろう、としか」
考え込んでいるギルバートに慰めの言葉をかけて、ワイズ伯爵は帰った。
ギルバートはずっと同じ姿勢で机の一点を眺めているだけで、話を全て聞いていたオルトが声をかけても上の空の返事しかしない。
オルトはアビーの部屋を訪れていた。
「奥様、奥様から話しかけてくださいませんか。旦那様のご様子が尋常ではないのです」
「ワイズ伯爵様と、なにかあったの?」
オルトは聞いていた話を全てアビーに語って聞かせた。
「それって……。わかったわ。旦那様と話をしてきます」
「お願いします!」
それからアビーはギルバートの部屋に入り、しばらく黙って座っていた。
最初に口を開いたのはギルバートだ。
「アビゲイル。君が額に怪我をした原因は俺だとはわかっていたが、その理由が実に、いや、そうじゃないな。俺の人間として未熟な生き方が、君に大怪我をさせたのだと知ったところだ。俺は、君にどう償ったらいいのだろうな」
「旦那様ったら! しっかりなさってください。それ、恋愛小説ではやたらに出てくる話です。ほんとくだらない!」
「恋愛小説? いや、まさか」
「ジュスタンの抱えていた想いがどんな種類なのか、この際は関係ありません。彼は自分の思い通りにならないことに腹を立てて旦那様に八つ当たりをした、それだけじゃありませんか」
「だが君はそのせいで」
「ああもう、だから何度も申し上げているではありませんか。私が抱えてきた秘密に比べたら、額の傷なんてどうってことないものなんですったら」
アビーは初めて自分からギルバートの膝にグイィと座り込んだ。
「私、一生男性と恋をすることも結婚することもできないと諦めてました。だから恋愛小説を読んで楽しんでいたのです。その中で、忘れられない言葉があるのですよ。『人は自分で御することができないものが三つある。咳と寝言と愛情だ』です。滑稽味がありつつ真実を言い当てていてうまい表現だな、と感心したものです」
「咳と寝言と愛情」
「そうです。ジュスタンは旦那様に憧れや尊敬や好意の感情を持っていたけれど、自分を覚えてもらえなかったことに腹を立てたのです。冗談じゃありませんわ。私なんて、覚えてもらう以前に、二十歳を過ぎてるにもかかわらず何度子供と間違えられたことか」
アビーを最初見た時に十四、五歳と勘違いしたギルバートは気まずく目を逸らした。
「人に覚えてもらって当然なんて考えは、私からしたら思い上がりも甚だしいのです。そう考えるほうが間違っているのですよ。そんな人間のために旦那様が落ち込むなど! それ、会った人間全てを覚えていろってことですか? 剣の腕が優れてるからって、旦那様に多くを望みすぎです! こんなに不器用な旦那様にどこまで重荷を背負わせるつもりかしら。自分のことを棚に上げすぎでは? 想像しただけで、こう、この辺りがムカムカいたします!」
アビーは胃の辺りをゴシゴシと撫でさすり、ギルバートの膝の上で本気で悔しがった。それを見ているギルバートの顔に柔らかな表情が戻る。
「アビゲイル。君に出会えて俺は幸せだな」
「ん? 今の話でそういう結論になります? ジュスタンは自意識が過剰で尊敬を拗らせすぎている面倒な愚か者だって話をしたのですよ?」
「ああ、そうだな。やっぱり俺は君に出会えてよかった」
「はぁ。そうですか」
気勢をそがれたアビーは大人しくなり、ギルバートはアビーを子供を抱くように縦に抱いたまま立ち上がり、軽々とアビーを高く持ち上げた。
「ひっ。やめてください、赤ん坊じゃないのですから! 天井に頭をぶつけます」
「大丈夫だ。ぶつかるにはまだだいぶ距離がある」
「旦那様?」
「君は天使のようだな」
「なんでそうなるんです」
「ふふふ」
オルトはあっという間にギルバートを立ち直らせたアビーに感謝した。





