45 国王とギルバートの酒宴
国王とギルバートが二人だけで酒を酌み交わしている。
特別な祝い事のときにだけ開けられるワインの瓶が、既に八本も空になっていた。
二月の半ば。外は雪が積もって月明かりを反射し、夜中なのにほのかに明るい。冷たい北風も吹いているが、部屋の中は大きな暖炉のおかげでぬくぬくと温かい。
国王は何度説得してもギルバートが「うん」と言わないのに焦れていた。
「いい加減諦めて宰相になれ。周りは有能で信用できる古参で固めてやる。今回のことは全てお前の手柄ではないか。高位貴族がほぼ全員あの裁判を見ていたんだ、お前が宰相になっても文句を言う者などいないさ」
「お断りします。年齢も若すぎますし性に合いません。毎日朝から晩まで書類と向き合うなど、耐えられません」
「では聞くが、ならばなぜあれほどまでに綿密に調べ上げ、人を動かし、金を使い、あいつらの罪を暴いた? 正義感からだなどと言うなよ。お前がそんなことであそこまで動くとはとても思えん」
「それはずいぶんな言いようではありませんか、陛下」
「ならば、」
「特別な理由はありません。そして宰相の座もお引き受けできません」
ブラッドフォード国王は繊細なカットが施されたグラスを傾け、ワインを一気に飲み干した。
「ギルバート、お前はずいぶん変わったな。変わったのは結婚してからだ」
「結婚は関係ありません」
「いいや、関係あるぞ。アビゲイルが今回のことと関係しているのかい?」
「いいえ、全く。宰相のあまりの腐敗ぶりを知って義憤にかられただけのことです」
「ふうん。ではそういうことにするが、あの裁判以降、お前の評価は急上昇だぞ」
ギルバートは「はあぁ」と嫌そうにため息をついて酒を飲む。
「ギルバート、私は幼き頃に従兄のデクスターによく遊んでもらったのだ。剣の相手をしてもらい、勉強を見てもらったこともある。姉に囲まれて育った私はデクスターを兄のように慕っていた。彼が大好きだった。若き日のデクスターには、売国奴の要素などなかったはずだ」
「陛下、人は誰しも様々な顔を持っているものです。他人の心を隅から隅まで見透かすことなど、誰にもできませんよ」
「まあな」
「幼少時の陛下の相手をしていたデクスターは、優しく面倒見の良い若者だったのでしょう。それもまた彼の真実の顔だったと思いますよ」
国王は少し驚いた。
宰相を徹底的に追い詰め糾弾したギルバートなら、辛辣にデクスターの人間性を批判するだろうと思っていたのだ。
「生まれた時から悪に染まっている赤子はいませんからね。まっさらで生まれた赤んぼうが成長していく過程で何かしら進む方向を変え、抱く夢を別の物に変えたくなるようなことが彼の人生にあったのでしょう」
「お前、初めて賢者みたいなことを言ったな」
「私も今年三十になりますからね。いつまでも陛下と出会った頃の子供ではありませんよ」
「ほぉ」
国王は暖炉に近づき、自ら薪を数本火にくべた。そして横を向いたまま話を続けた。
「私はパトリシアのことで、ずっとお前に申し訳ないと思っていたんだ。しつこくお前に結婚をすすめたのは後ろめたさ故だ」
「存じております」
「そうだろうな。私は『たった一人の信頼できる男にずっと恨まれているのだろう』と思っていたんだ。お前を失いたくなかったが、パトリシアも失いたくなかった。国王でありながらなんと狭量な男よと笑われていることはわかっていたよ。みっともない真似を繰り返していた。許せ」
ギルバートはそれには答えず、ニヤリと笑うだけ。
国王は無言のギルバートを振り返り、少々黒い笑みを浮かべているのを見て、笑い出した。
笑いながらギルバートを問い詰める。
「なんだ、その顔は」
「いえ、人間味がある陛下は大変魅力的ですよ。王妃殿下もそこまで惚れられて、お幸せですね」
「私に上から物を言うな。お前というやつは全く」
「ふふふ」
「そんな顔をするほど妻が可愛いか」
「はい」
「へぇ。アビゲイルはこんなに小さかったではないか」
国王が腰のあたりに手を置くのを見て、ギルバートは眉を寄せる。
「それでは五歳児ですよ。失礼な。このくらいはあります」
ギルバートは自分の胸の辺りに手を置いた。
「たいして変わらん」
「変わります。私は妻の広く深い心、強い向上心、周りの人間を思いやる心根に惚れたのです。それと、あの小さい身体は膝に乗せて甘やかすのにちょうどいいのです。こればかりは陛下もご経験がないでしょうけどね」
「またずいぶんと盛沢山だな」
深く酔っているギルバートはビシリ、と国王に人差し指を突きつけた。
「それと! 妻は小さいからと侮られるのを嫌っておりますので、今後そのような発言はお控えください。座ってばかりのなまった身体の陛下なら、あっという間に倒すだけの腕前も持ち合わせていますからね!」
「はあ? 文官を務める男爵家の娘だろう? 嘘をつくな」
「嘘などつきません。さて、美味しい酒をたくさんいただきましたし、可愛い妻が待っておりますので、今夜は帰らせていただきます」
「勝手にしろ。それと国王を指さすな、無礼者め」
ひとりになった国王は目を閉じ、悲しい末路を遂げた少女たちのために祈りを捧げる。
(この国の少女たちを二度と拉致させるものか)と誓いながら。
帰宅したギルバートがたいそうご機嫌なことに使用人もアビーも驚いた。
「珍しいですわね、旦那様がそこまで酔ってお帰りになるのは」
「ああ、俺ごときではお目にかかれないような旨い酒を陛下が山ほど出してきたからな。遠慮なくご馳走になってきた。実に旨かったし楽しかったんだ」
「よかったですわね、旦那様」
※・・・※・・・※
それから三日後、アビーは激怒していた。
国王からアビー宛に手紙が届き、国王の直筆で
『アビゲイルの腕前を知りたい。本当にギルバートが自慢するほどなのか、それともあやつが国王に向かって大ぼらを吹いたのかを確かめたい。明日、動きやすい服装を準備の上、王城に来るように』
と書いてあったのだ。
「信じられません。私のあれを陛下の前で自慢するなんて。どんな服装で、どんなことをお見せしろと言うんです? 旦那様は私に陛下の目玉をスプーンで突き刺したり、ええと、その、急所を蹴り飛ばしたりしろとおっしゃるんですか?」
「いや、俺、そんなこと言ったかな、深酔いしていて記憶が」
「旦那様が言わなかったらなぜ陛下がご存じなんです? いくら酔っていたとしても、信じられない。もう、本っ当に信じられない」
そう言って部屋に籠るアビー。
ギルバートはドアの前で延々と謝罪をするはめになった。
「すまない。許せ。陛下には俺から断りを入れる」
「絶対ですか?」
「絶対だ」
オルトはこんなに謝る主を初めて見た。





