43 夫婦それぞれの想い
ギルバートはアビーを膝に抱きかかえながら、毒矢事件の真実をアビーにどう切り出したものかと考え込んでいた。
やがて覚悟を決めてアビーを膝からおろし、向かい合わせの位置に座り直して話を始めた。
「アビゲイル。君に謝罪をしなければならない。詳しいことはこれから裁判で明らかになるだろうが、あの日、テッドに毒矢を放つよう仕組んだのは、エドモンズ侯爵家の家臣、ジュスタンだ。毒矢事件は俺が原因なんだよ。なのに俺は……半分人助けぐらいの気持ちで君を妻にした。とんでもなく傲慢だった。申し訳なかったと思っている」
アビーは不思議なことを聞いたような顔になって「え? なんでです?」と目を丸くした。
「旦那様、私は契約に納得して結婚したのですし、別に旦那様が傲慢だとは思っておりませんよ?」
「俺のせいで君は額に傷を負ったのに、俺は『傷がついては嫁に行けないだろう、俺のお飾りの嫁にすればちょうどいい』などと考えた大馬鹿野郎だ」
「旦那様ったら。言わずにいれば謝る必要もないのに、そんな正直な」
「怒らないのか」
「怒りませんよ。私だってテッドの命乞いのために結婚したんですもの。お互い様です」
しばらく二人は互いの顔を眺めていたが、ギルバートは「いや、やっぱり」と言って話を続けた。
「お互い様ではない。俺のせいで君は二回も危険な目に遭った。二度とも君は命の危険に晒された。君は俺と一緒にいないほうがいいのだ。それはわかっているのに俺は……」
「旦那様、ご実家が今回なさったこと、悪いのはご実家で旦那様ではありません。旦那様が戦争や内戦で人を斬ったのは、誰かがやらなければならないことでした。軍人が皆戦わないで見ているだけだったら、戦えない者たちは蹂躙されたのです。旦那様たちが戦ってくれたから、私たちは殺されることも暴行されることもなく生きてこられたのです。どうかそれを忘れないでください」
ギルバートはアビゲイルの言葉のひとつひとつがありがたかった。
たくさんの人を斬り続けてきた自分を怖がりも嫌悪もせず「あなたのおかげで生きてこられた」と言うアビー。
「アビゲイル、君は優しいな。最初から俺に優しかった」
「優しかったのは旦那様もですよ。腕を骨折した私のお世話をしてくれましたし、歌劇に連れて行ってくださいました。あの日の楽しかったこと、多分私、一生忘れません。始まり方はどうであれ、私は旦那様と結婚してからは楽しい毎日です」
「そう言ってくれてありがとう。引き留めすぎたな。今日は疲れただろう。もう寝た方がいい」
「はい。おやすみなさいませ」
そう言って互いの寝室に入ったものの、アビーもギルバートも眠れないでいた。
アビーは「伯爵が重傷を負った」と聞かされたときの衝撃と男たちとの戦闘を思い出していたし、ギルバートは「奥様が誘拐され、」という報告を聞いたときの、目の前が暗くなるような絶望を思い出していた。
二人の寝室を区切るドアはこの夜も開けられることはなかったが、アビーもギルバートも「離れがたい」という同じ思いを抱いて自室にいた。
アビーは「焼き印のある身体でこれ以上を望むのは欲張りすぎる」と思い、ギルバートは「俺の妻でいれば今後も命を狙われることになる」とアビーの身を案じて、『契約終了後もずっとこの家にいてほしい』と言い出せないでいた。
その頃。夜更けの庭の片隅で、テッドはキャシーに告白されていた。
「テッドさん。お仕事がいち段落したのでしょうか」
「ああ、どうにか」
「あの、それでしたら、今度、私と街に行きませんか。私、テッドさんと行きたいお店があります」
「ああ、いいよ」
「ありがとうございます! テッドさんはお付き合いしてる方はいらっしゃらないんですよね?」
「そうだね。今まで一度もいなかったよ」
「一度も?」
「ああ、いなかった」
「好きな人もいなかったんですか?」
「好きな人はいたけど、最初から最後まで片思いだったんだ」
苦笑しているテッドにキャシーが一歩近づいた。
「それなら、私が立候補します」
「君が? 本気かい?」
「はいっ。本気です! テッドさんの恋人の席、空席なら私が座りたいです!」
「俺なんかでよければ歓迎するよ。ありがとう」
(子供時代からの初恋を諦めるべき頃合いだ)
ずっと好きだったアビーの顔を、そっと手放すことにしたテッド。
そのテッドをキラキラした目で見つめるキャシー。
キャシーの表情を見ながら(誰かに好きになってもらうって、こんな感じなんだな)とほろ苦く思う。
アビーの二年後に生まれたばかりに弟としてしか見てもらえなかったのは残念だったが、自分のために、アビーは振り下ろされる剣の前に飛び出してくれた。
ギルバートからはテッドの減刑を願うためにアビーが結婚したと聞いた。
少年だったテッドに殺人を犯させたことをアビーがずっと後悔してきたことも。アビーはテッドが責任を感じるようなことは何も言わずに行動してくれたのだ。
「その気持ちだけで十分だ」
「え? なんですか?」
「いや、なんでもない。キャシーの行きたい店って、どんな店だい? 俺もキャシーを連れて行きたい店があるぞ」
「本当ですか! じゃあ、どっちを先にしましょうか」





