4 結婚の申し込み
使者が手紙を持って来た翌日。
予告どおりの時間にギルバート・イーガンはヘイズ家を訪問した。
父は仕事を休み、両親は一番見栄えがする服を着込んでいる。アビーはよそ行きのワンピースドレスを着て出迎えた。
母は「だから社交界に顔を出さなくてもドレスは必要だと言ったのに」と昨晩から嘆き続けだ。
ギルバートは馬車から降りると、大きな歩幅で玄関の前に立ち、ノックをしようとして動きを止めた。中からアビーがドアを開けたからだ。
「おはようございます、イーガン伯爵様」
「おはよう」
「さあどうぞ。中にお入りください」
アビーは包帯を巻いた顔でにっこりと笑いかけ、ギルバートはうなずいて入る。
応接室で椅子を勧められ、ギルバートが座り、アビーと両親はギルバートに促されてから向かい側に腰を下ろした。
「さっそくですがヘイズ男爵、アビゲイル嬢に結婚を申し込みに来ました。アビゲイル嬢と私の結婚をぜひお許し願いたい」
「イーガン伯爵様、今回のお申し出、大変ありがたく光栄に存じます。しかしながら、ええ、その、我が家はしがない男爵家でございまして、ええ、」
緊張のあまり言葉が出てこない父。そこに冷静なアビーの声が割って入った。
「伯爵様。なぜ私などに結婚のお申し込みをなさるのか、理由をお聞かせくださいませ。顔の傷をお気になさってるのでしたら、振り下ろされる剣の前に出た私が悪いのです。自業自得だと思っております」
ギルバートはこんな怪我をさせられても自業自得と言うアビーの気丈さに驚いた。それに、自分に向かってこんなにはっきりものを言う女性は初めてで、(この気の強さなら偽装結婚に向いているな)とも思った。
「嫁入り前の貴族令嬢の顔に傷をつけたのだ。男として責任を取りたい」
「私は傷など気にしません」
「君がそう言っても、そうですか、と引き下がるわけにはいかないのだよ」
そこでアビーが両親に声をかけた。
「お父様、お母様、ちょっと席を外していただけますか? 込み入った話をしたいのです」
「ええ? だってお前」
「そんな失礼なことはできませんよ」
「お願いです。少しだけでいいのです」
いつになく強い口調の娘の言葉に従って、両親が部屋から出て行った。
「それで、本当の理由は何なのでしょう。これほど急なお申し出、顔に傷をつけた責任を取りたいというのは建前なのではありませんか? 本当の理由を教えていただきたいと存じます」
「ああ、君は察しがいいんだな。だが、傷をつけたからというのも嘘ではない。他にも理由はあるのだが」
「その理由を聞かせてくださいませ」
「そうだな。申し込まれる側にしてみればそう思うのは当然だ。実は、陛下が俺に結婚しろしろと煩くてかなわん。結婚したと言えばそれがなくなる」
「では、形だけの結婚ということでしょうか」
「飾らずに言えばそうだ。屋敷の中ではただの同居人でいてくれて結構」
「妻としての務めは外でだけ、人目があるときだけ、ということですか?」
「ああ、そうだ」
それを聞いてアビーは猛烈に頭を働かせる。
(それなら私の秘密を知られることはないのだし、お断りしなくてもいいかも。それに、少しでもこの人に気に入ってもらえれば、テッドの命乞いができるかも)
そうアビーが考えている間、ギルバートはアビーを興味深そうに眺めている。
「わかりました。では、そのお申し出、謹んでお受けいたします」
ギルバートは意外なことを聞いた、という顔でアビーの顔を見た。
普通なら男爵家側は伯爵家の申し込みを断らないし断れないが、何しろギルバートは彼女の顔を斬った男だ。怖がられて一度は辞退されるだろうと覚悟していた。
「それにしても、貧乏男爵家の私で本当によろしいのですか? 偽装の妻役なら、もっと他にもふさわしいご令嬢がいらっしゃるのではありませんか?」
「古い家柄の貴族だとそれに連なる親戚も多い。その付き合いも厄介だ。失礼ながら、こちらのような新興貴族ならばそれがない。それに顔に傷をつけて縁遠くしてしまったのは俺だ。他人の前でだけ仲の良い夫婦を装ってくれればそれでいい。役目を果たしてくれれば、毎月それなりの対価を払うことを約束する」
ギルバートは身も蓋もない本音を晒した。
「そういうことでしたら納得しました。それで、私への対価とは?」
「ドレスやアクセサリーは必要経費。その他に毎月小金貨五枚では?」
「ご、五枚?」
(平民なら一か月間、小金貨二枚で一家三人がつつましく暮らせるっていうのに?)
アビーは予想より多い金額に驚いて返事に間が空いた。
「不足か。では小金貨八枚でどうだ?」
「お受けします」
「早いな。では期間は二年にしておこうか。二年たったら離婚しよう。家の中でなら君は好きにしていい。二年間、つつがなく偽装夫婦を成し遂げた場合は、最後に褒美も出す」
「ありがとうございます。承知いたしました」
「ではアビゲイル嬢、結婚の申し込みを受けてくれるのだな?」
「はい、伯爵様。ふつつか者ですがどうぞよろしくお願いいたします」
こうして互いに愛のない結婚話があっさり成立した。四月の末日のことだった。