39 狩りの誘い
「狩りなど、俺は行かないのに」
「旦那様、狩りがどうしたんです?」
「毎年断っているのに毎年律儀に鹿狩りの招待状が送られて来る。ま、送る作業は文官だから仕方がないが」
「狩りは真冬に行うものなんですね。末席の男爵家には縁遠い行事なので知りませんでした。それで、招待状はどなたからです?」
「陛下だ。冬場の狩りは冬毛の毛皮が貴重だった頃の名残だよ」
(陛下? 旦那様は陛下の招待を毎年断ってるの? それで大丈夫なの?)
「なんだ、行きたいのか? 女性は狩りの間、茶会を開いて交流しながら男の帰りを待つのが習わしだが」
「いえ、鹿を殺す場面はちょっと。ご遠慮申し上げます」
「では不参加の返事を出しておく」
話はそれで終わったと思っていた。なのにギルバートが出かけてからキャシーが手紙を持って来た。
「奥様、お手紙が届いております」
「ありがとう、キャシー。手紙はいつもオルトが持ってきていたけど?」
「オルトさんは旦那様のご用事で外出しています」
「そう」
アビーは受け取った手紙を開封して読んだ。
手紙は友人のエルダ・ワイズ伯爵夫人からで、その手紙というのは、
『エドモンズ侯爵がギルバートを夜会や食事会に何度誘っても、全て断っている。せめて夫人のアビゲイルだけでもお茶会に誘おうとしたが、それも断られ続けている。クラリス・エドモンズ侯爵夫人にそう愚痴をこぼされた』
そこまではふんふんと読んでいたアビーは、次の文章で「まあ」と困り顔になった。
『我が家の長男は、文官として勤め始めたばかりなのだが、その息子が宰相からギルバート夫妻を狩りに誘ってほしいと言われた。おそらく自分とアビゲイルが親しいことをどこからか聞き及んだのだと思う』
「私なんかを引っ張り出すために、宰相様がエルダ様の息子さんに圧力をかけてるってこと? なんて回りくどくていやらしいことをするのかしら!」
エルダの母心を利用するあたりが、いかにも貴族らしいやり方だ、とムカムカする。
エルダの手紙の最後は悩んだ末、と思われる文章で締めくくられていた。
『我が家は狩りに参加するが、ギルバートとあなたを無理に誘うつもりはない。断ってくれても問題ない』
「問題あるからこうして手紙を書いたのでしょうに。巻き込まれたエルダ様がお気の毒すぎるわ」
宰相とエドモンズ侯爵は腹立たしいが、唯一の友人とも言えるエルダに迷惑はかけたくない。
夜に夫が帰宅するのを待って、アビーはエルダの手紙を持ってギルバートの書斎へ向かった。
「なぜそこまで私たちを引っ張り出そうとするのでしょう。おかしくないですか?」
「ああ、おかしいな。ここまでしつこく俺たちを無理やり参加させようとする理由はなんだ?」
ギルバートはすんなりときれいな長い指でテーブルを叩きながら考え込んでいたが、結論にたどり着いたらしく、アビーにも話してくれた。
「おそらく、彼らは俺が調査していることをやめてほしいのだ。狩りの事故に見せかけて俺を殺すつもりかもしれない。だから君は利用されないように、絶対に狩りの茶会に行ってはいけない」
「殺すって、そんな! 旦那様はどうなさるおつもりなんですか」
「エルダたちがこうまでされているなら行くさ。陛下のいらっしゃる会場で、俺に何かできるものならやってみればいい。ちょうどいい。俺を殺そうとするなら返り討ちにしてやる。アビゲイル、君さえ家にいて無事なら俺は遠慮なく戦える」
「おやめくださいっ!」
思わず感情的に声を荒げてしまう。しまった、と思うが、アビーは胸の中の不安に突き動かされて言葉を続けた。
「旦那様が何を調査なさっているのかわかりません。それが宰相様やエドモンズ侯爵様を追い詰めているのなら、そのまま調査を続けて追い詰めればいいではありませんか。なぜ狩りに参加して命を粗末になさるのです! 旦那様に何かあったら、何かあったら、私、私は」
「アビゲイル……」
何かあったら耐えられない、と言いかけて言葉を飲み込んだ。どうにか言葉は飲み込んだが唇が震える。ギルバートが立ち上がり、そっとアビーに近寄った。
「アビゲイル、大丈夫だ。心配するな」
初めて焼き印を見せた人。
焼き印を見て一緒に自分の過去を悲しんでくれた人。
幸せな家庭を知らずに生きてきた人。
そんなギルバートを幸せにしてあげたいのに。
残り時間で幸せにしてやりたいのに。
アビーは初めて自分からギルバートを抱きしめた。
驚いた顔のギルバートを見上げて、口を開いたが、思うことがたくさんありすぎて言葉をうまく選べない。
「死なないでください。私を置いて先に死んでは嫌です。お願いです。命を大切にして。私はドレスも宝石もいりません。旦那様がいてくれたらそれでいいんです。狩りには行かないでください!」
「泣くな。俺に死なないでほしいと願ってくれた家族は、君だけだよアビゲイル。とても嬉しいものだな」
ギルバートは優しくアビーを抱きしめ返して、アビーの頭を撫でた。
期間限定ではあるけれど、それでも今は妻なんだもの、とアビーはギルバートの胸に顔を埋めた。
いつものようにアビーを抱き上げたギルバートは、軽々と運んでソファーに座った。
「しばらくこのままでいさせてくれ」
「はい、旦那様」
(何も話さなくてもこんなにくつろげて、幸せな気持ちになれる人なんて、もう二度と現れない。たとえわずかな期間だけの妻でも、今が幸せなら、それでいい)
アビーは目を閉じた。
ギルバートの香りに包まれて、幸せを感じる。
ギルバートの声が頭の上から聞こえてくる。
「アビゲイル、話がある」
「はい、旦那様」
「俺は狩りに参加する。大丈夫だ。俺には国王の後ろ盾があるし油断もしない。お前に焼き印を押した相手が誰なのか、やっとわかったんだ。もうすぐ証拠が揃う。証拠が揃えば陛下が断罪してくださる。陛下も長年続いている誘拐事件を深く憂慮されているんだ」
「私をこんな目に遭わせた犯人は、まさかエドモンズ侯爵なのですか? それとも宰相様?」
アビーはギルバートの腕の中から抜け出そうともぞもぞ動いたが、ふんわり抱えているはずの腕がまったく緩まない。仕方なく顔だけ上に向けた。
「君はまだ知らない方が安全だ。狩りの会場には主犯以外の関係者も全員集まるだろう。いい機会だよ。あちらがここまでするということは、俺が核心に近づいている証拠だ。やつら全員が集まる場所で、罪を暴いてやる。お前にあんなことをしたクズどもを、一人だって逃すものか」





