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殺戮の使徒様と結婚しました~偽装夫婦の苦くて甘い新婚生活〜 【コミカライズ】  作者: 守雨


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37 自主練習 

 十二月の終わり、王都にはたびたび雪が降り積もった。

 日陰には氷のように固まった雪が残っている。


 アビーたちの住むイーガン伯爵家では、朝早くから使用人が総出で雪かきをする。アビーは自室の窓からテッドを探すが、彼の姿はいつも見えない。


「ねえ、キャシー、テッドという新人を知っているかしら。姿が見えないの。私の幼なじみなのよ。彼は何の仕事をしているのかしら?」

「テッドさんなら、護衛の方と二人で毎日朝方まで出かけてます。まだ帰ってきてないのかもしれません。いつも昼ぐらいに起きてくるようです。旦那様の直接のご指示で働いてるそうですよ」

「そう。旦那様のご指示で、ね」

「朝方帰るといつもおなかを空かせているんです。その時間に仕事を始める私が話しかけると、いつも優しく返してくれるんですよ」

「あら。そうなの?」


 アビーが笑いを込めた目で見ると、キャシーが真っ赤になった。


「テッドは優しくていい人よ。私は心からあの子に幸せになってほしい」

「そう、でございますか」


 自分のせいで人をあやめてしまったテッドには、本当に幸せになってほしい。自分がそれを語る資格がないのは十分承知だけれど、それでもどうか普通の幸せを手に入れてもらいたい。

 キャシーのような穏やかな性格の働き者の女性がテッドと仲良くなってくれたら、と口には出さないものの、願わずにはいられない。

 一生をかけても償いきれないことをテッドにさせてしまった。それをアビーは忘れられない。


     ※・・・※・・・※


 ギルバートは義父母の訪問以来、はっきりと態度が変わった。

 何かと理由をつけてはアビーを膝に乗せ、ただそっと腕の中にいれてじっとしている。

「使用人がいるところでは恥ずかしいからやめてほしい」と頼んでも「使用人だって喜んでいる」というよくわからない理由でアビーを膝に乗せるのをやめなかった。


(旦那様が殺戮の使徒と呼ばれるような戦い方をしていたのは、あの両親の下で育ったことが影響しているのでは)と思うアビーは、これでギルバートが癒されるなら、と苦笑しながらも好きなようにさせていた。

 ギルバートはアビーを膝に乗せ、いつも何か考え込んでいる。


 ギルバートの態度は日々日に甘くなっているような気がするが、夫婦の寝室を区切るドアの鍵はかけられたままだ。日に一度、ギルバートがいない時にそっとドアノブに手をかけ、鍵がかけられているのを確認するのが最近のアビーの習慣になった。

 勘違いしそうになる自分を、ガチッと止まって回らないドアノブが正気に戻す。


「旦那様は寂しさを紛らわせているだけ。私を愛しているわけじゃない。契約期間が終わったら、私はこの家を出るんだもの。期待をすればつらくなるだけ」


 そもそもテッドを救うためにした結婚だ。

 テッドは母親を看取り、この屋敷で賃金を貰って働いている。もう死刑にもならなければ強制労働の罰もない。

 ギルバートの偽装結婚の話がなければ、自分はこの屋敷を出て行くべき人間だ、と思う。


「私は旦那様と契約したからここにいるの。思い上がってはだめよ、アビゲイル」


 声に出して自戒する。そうでもしないと勘違いしそうなほどギルバートは優しかった。

(身の程知らずにもあの人を愛してしまったのね)と心の中のもう一人の自分がささやく。

 

 頭を振ってその声を振り払い、やるせない気持ちでドアから離れる。

 ドアノブを回して確認した後、アビーはいつもひとりで護身術のおさらいをする。

 憎い敵が目の前にいると想定して動く。

 頭の中で師匠のガスの声が聞こえる。


『身体が小さいと相手は油断する。ましてや女が相手だと腕に自信のある男ほど油断するものだ。その油断が消えないうちに相手を仕留めろ。殺さなくていい、あんたを追いかけられないようにするだけで十分だ』


 ガスは授業の間だけは「あんた」と呼ぶ。


『縛る前に大人しくさせようと殴ってくる場合がある。相手があんたの顔や腹を殴ろうとした瞬間にこうだ』

 ガスは素早く身体を沈ませ、相手の股間にパンチを叩き込む動作をして見せた。

『あんたの身長と腕の長さじゃ相手の顔は殴れない。殴るなら相手の懐に飛び込んで股間一択。遠慮はするな。外したら上から抑え込まれて終わりだ』


 アビーは殴られる場面を想定し、シュッと沈み、左右どちらの拳でも男の股間を殴る、を繰り返す。


『皿があるなら皿を回転させながら男の顔にぶつけるのもありだ。外したら終わりだと思え。相手がかわせないほど速く、正確に相手の顔に当てられるよう練習することだ。安い皿を買い込んで練習しな』

 

 言われた通り、アビーはキャシーに様々なサイズの安い皿を買いに行ってもらい、投げる練習を繰り返した。

 大人の男性の顔の高さを想定して柱にクッションをくくりつけ、下にもクッションを並べて投げる。

 最初の頃こそ散々皿を割ったけれど、最近では狙った場所に当たる。

 皿は割れることなくクッションに落ちる。


 皿投げの練習を始めた頃、キャシーには『奥様ご乱心!』と思われたようだが、最近では『旦那様が外出させないからイライラが溜まってらっしゃる』と思っているらしい。


『ペン、スプーン、フォーク、ナイフは上等な武器だ。隠し持って相手の隙を突いて目を狙え。目玉は誰にも鍛えられない。あんたの力じゃ、腹を刺したって鍛え上げられた男の腹では内臓まで届かねえ』


『歩きながらテーブルの上のスプーンをさりげなく手に取る。端をつかんで袖の中に隠す。相手があんたの高さまで顔を下げるように誘い込んで、柄の部分で目玉を狙う。ナイフかフォークなら尚いい』


『下品で汚くて、ずるい方法を学ぶんだ。相手を傷つけて少しの間だけ動けなくしたら全力で逃げる。それが出来れば上々だ。怖がって中途半端なことをやりゃあ、命を失うと思いな』


『椅子もいい武器になる。重くて持ち上げられないような椅子でも、コツさえつかめば蹴り飛ばして相手のスネにぶつけられる。相手が痛みでかがんだら、目玉を狙う。二つの方法、三つの方法を連携させるんだ』


 自主練をしながら、怯えて無抵抗なまま焼き印を押されたことを思い出す。

 何度も思い出して何度も練習を繰り返す。

 もう誘拐されることはないかもしれない。

 それでも練習する。

 自分を鍛えることは、自分が弱かったために巻き込んだテッドへの終わりなき謝罪だ。


 息が切れる。真冬なのに汗が流れて目に入る。

 それでもアビーは黙々と教わったことを練習する。

 ゼイゼイと息が切れたところでガスに貰ったブローチを箱から取り出した。百合の花を模した頭部に長いピンが付いているもので、ピン先はキャップ式の玉が付いているものだ。


「いざと言う時はこれを使え」と言ってガスがプレゼントしてくれたものだ。

「ありがとうございます。教えてくださったこと、全部考えなくても動けるようにします」

 そう言って受け取った。

 ガスは「これを使う日が来ないことを願うけどな」と笑っていた。アビーはブローチを箱に戻し、自分の手を見る。小さくて非力そうな手。

 今では自分を守ってくれる技術を学んだ手。

「私、あの時とはもう違う」


 その夜、アビーはギルバートに完成したマフラーを贈った。

 かがんでくれたギルバートの首にそっと巻き付け、目の色と同じことを確認して満足した。ギルバートは「ありがとう。嬉しいよ」と言って部屋の中なのにずっとマフラーを巻いたままでいた。


 翌日から出かける時はいつもマフラーを巻こうとするので、アビーの方が慌てた。


「お仕事でお出かけのときはマフラーはしない方がよいのでは?」

「気にしないさ。冬の間しか使えないんだ。せっせと使わなかったらもったいないだろう」


 そんな会話も嬉しくて、アビーは毎朝マフラーを巻いて出かけるギルバートを見送るのが楽しい。


 


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コミック『殺戮の使徒様と結婚しました1・2・3巻』
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