36 義父母と義妹の訪問
アビーは連日家で過ごしている。
だが、マナーの授業もあるしサマーが訪問することもある。その上ガスが週に三回訪問して護身術を指導してくれているので、退屈することはない。
そもそも十五の歳から引きこもった生活をしていた身なので、広い屋敷や庭を歩き回るだけでもいい運動になる。実家で暮らしていた頃の引きこもり生活とは大きく違うのだ。
「奥様、旦那様のご実家から奥様にお手紙が届いております」
「ありがとう、オルト」
それは、結婚してから一度も顔を合わせていない夫の実家からの手紙だった。結婚したのが四月の下旬。今はもう十二月の後半だ。
(さぞや叱責されるのでしょうね)と思いながら開封したアビーは、「まぁっ」と声をあげた。オルトが心配して近寄った
「奥様? 手紙になにか?」
「明日、旦那様のご一家が我が家にいらっしゃるそうよ!もう、王都に到着しているのですって!」
「それは。すぐにギルバート様に連絡いたします」
「ううん。お帰りになってからでいいわよ」
そうは言ったものの、これからやるべきことは山ほどある。
「オルト、お茶と一緒に出すお菓子と、食事の用意と、ええと、それから」
「奥様、食事と茶菓に関しては料理長に一任しましょう。奥様はドレスとアクセサリーのご準備を。それから、髪とお肌のお手入れをなさってください」
「そ、そうね。家の中の設えはどうしましょう」
「それはわたくしが」
「ではオルトに頼みます」
そこからは落ち着かない気持ちでうろうろと無駄に動き回り、施術者が到着してからは髪と肌の手入れをしてもらう。
「絶対に怒ってるわよね。長男が結婚したのに結婚式にも呼ばず、ご挨拶にもうかがわず、お呼びすることもしなかった妻。どんなに叱られても仕方ない状況だわ。私宛に手紙を出したのだって、旦那様ではらちが明かないからだろうし」
ギルバートの様子から、『実家とはうまくいってないのだろう』と今までは敢えて口を挟まなかった。だがいつかこんな日が来るだろうとは覚悟していた。
双方が疎遠なのはイーガン家の親子の問題ではあるが、八つ当たりの矛先が自分に向かうのは容易に想像がつく。アビーはどんよりと憂鬱な気分でその日を過ごした。
夜、帰宅したギルバートは義父母訪問の知らせを聞いて、すこぶる不機嫌になった。
「いったい何の用で来るんだ。俺はイーガン侯爵家とは縁を切ったつもりでいるのに!」
「旦那様、落ち着いてください」
「いいか、アビゲイル。連中が何を言っても聞く耳を持つな。どんなことを要求されてもうなずくな。了承もするな。俺が全部対応する。君は黙って控えていればいい。万が一君に無礼なことを言ったら。その場でこの家から叩き出してやる。安心しろ」
(最初から喧嘩前提の夫が隣にいたら、安心できるはずがないじゃないの)
アビーが全力で困った顔をすると、ギルバートがハッと我に返った。
「いや、そうか、そうだな。君が悪く思われるのも気分が悪いな。君にはなんの責任もない。全ては関りを持たないでいる俺の責任だ。まずは貴族らしく上辺を取り繕って対応しよう」
「旦那様、せめて私だけでも親しくできればと思ってますが」
「だめだ。君がどうこうできる相手じゃないんだよ。俺に任せなさい」
「そうですか」
せめて自分がギルバートと家族の橋渡し役のかけらくらいには役立ちたいのに、と歯がゆく思いながらアビーは翌日を迎えた。
※・・・※・・・※
三人は豪奢な馬車でやって来た。
ギルバートの母ドロレス・イーガンは、ギルバートによく似ていた。
(旦那様は母親似なのね)と微笑ましく思ったのはわずかな時間だった。
「チェルシー、さ、こちらにいらっしゃい」と、義母はアビーが挨拶をしている途中の義妹を引っ張るようにして連れ去り、アビーの前からいなくなった。
貴族女性のドレスに疎いアビーでもひと目で高価なことがわかるドレスを着た義母と義妹は、アビーには用がないらしい。アビーを無表情に見下ろす義父の眼差しも親愛の情は全くない。
(これは前途多難ね)とアビーは心を引き締める。
大変に気まずい空気の中で、ギルバートが実家の三人と実に堅苦しい会話を続けていた。
やがて昼食になったが、アビーは会話に入ることができない。全く知らないギルバートの実家および領地の話が延々と続けられていた。
(なるほど。これは相当堪えるわ)と思いながらもアビーは笑顔を絶やさないように気をつけたが、ギルバートはずっと表情が硬いまま「へえ」「そうですか」「ふん」と単語しか声に出さない。
「それで? 何の用事ですか」
「何のって、結婚したことを報告もせず、妻に迎えた女性を見せもしないって、長男なのにあまりに非常識じゃないの。仕方がないからこちらから出向いたのに、そんな言い草がありますか」
「そうだよギルバート。他人の口から君の結婚を知らされる私たちの気持ちは考えないのか。面目丸潰れだったよ。お前ももういい年なんだから、少しは大人の配慮を見せたらどうなんだ」
それまで無表情に肉にナイフを入れていたギルバートが笑い出した。
「くっくっく。面目丸潰れ、ですか。長男の私が生きているうちから侯爵家の跡継ぎを妹に変更し、その上『お前が死んだら妹に財産を譲り渡すよう書き残せ』と要求するような人に、そんな面目があったとは知りませんでした。イーガン侯爵家の財産を全部せしめてもまだ足りないと思うような人は、そんな繊細な心は持ち合わせていないのだとばかり」
「ギルバート! いい加減になさいっ!」
「相変わらず可愛げのない。お前は子どもの頃からそうだった。可愛がられなかったのには自分に原因があったと反省するべきだな」
ギルバートの母ドロレスが美しい顔を歪めて甲高い声で叫び、義父のジェイコブはナイフとフォークを置いて不愉快そうにギルバートを責める。
義妹のチェルシーはおろおろとしているだけで、両親をたしなめる気は全くなさそうだった。
ギルバートは立ち上がり、皆を見下ろして目だけは笑ってない笑顔を作った。
その笑顔の痛ましさに、アビーは思わず目をつぶる。
ギルバートが最後通牒を突きつけるべく立ち上がった。
「わざわざ来てくださったので、この機会を無駄にしてはいけませんね。この場でお伝えします。私と妻の間に子ができる前に、私に万が一のことがあった場合は、全ての財産を金に換えて妻に相続させます。その場合、イーガン伯爵家は消えてなくなります。子が生まれた場合は当然のことながら子と妻が相続します。あなたたちが私の妻や子から財産を取り上げることができないよう、公証人を立てて遺言を残しますので、私の財産のご心配はなさいませんように」
親子のやり取りを聞いて、初めてギルバートが親を嫌悪していた理由がわかった。
実家の跡継ぎの座を取り上げただけでなく、ギルバートが命がけで戦い、その結果受け取った褒美までも自分たちのものにしようとしているのだ、とアビーは理解した。
義父のジェイコブがガタッと音を立てて立ち上がった。
「帰ろう、ドロレス。やはり根性のねじ曲がった子供は根性のねじ曲がった大人に育ったようだ。チェルシー、帰るぞ」
義父母一家は二時間も滞在せずに屋敷を出て行った。
ギルバートは見送ろうとせず、アビーが見送ることも許さなかった。オルトと使用人だけが彼らを見送った。アビーは何も言わず、自室に入ったギルバートを追いかけた。
「アビゲイル、醜くみっともないものを見せたな」
アビーは何も言わず、椅子に座っているギルバートを背中側から抱きしめた。驚いて振り向くギルバートの横顔に、自分の額をくっつけて声を振り絞る。
「私が! 私があなたの家族になります。残っている期間だけでも、私があなたの母になり父になり、妹になります。だから旦那様が傷つく必要はありません。あれはあまりに酷い言い方でした。あんな、あんな、」
そこまで言ってすすり泣いた。
ギルバートが気の毒で、義父母に腹が立って、アビーは悔し泣きした。
「アビゲイル、泣くな。あいつらは君が泣く価値もない。それより、君は父親にも母親にも妹にもならなくていい。君は俺の妻でいてくれればいい」
ヒックヒックと呼吸を乱して泣いているアビーをぐいっと膝の上に乗せて、ギルバートが愛おしそうに抱きしめた。アビーは(この世にあんな親がいるのか、母親は実の母だろうに、なんでそんなに我が子に酷い仕打ちができるんだろう)と、ただただギルバートが気の毒で泣けた。





