35 テッドの訪問
今年もあと半月で終わるという十二月のある日。
その日は朝から北風が強く吹いていた。
外套に身を包んだテッドがギルバート・イーガン伯爵邸を訪れた。
「伯爵様にいただいたお金が余りましたので、お返しに上がりました」
「わざわざ返しに来たのか。その金はお前に与えたものだ、返さなくていい。で、なぜ戻った。母親はどうした?」
「母は長患いしていた病が進み、あちらで亡くなりました。頂いたお金で、医者にも診てもらえましたし、俺も最後まで付き添って最後まで看病をしてやれました。最後に親孝行ができたのは伯爵様のおかげです。あんなことをした俺なのに、ありがとうございました。ご恩は一生忘れません」
テッドはギルバートに頭を下げた。
「王都にいては、毒矢を仕込んだ側の人間に見つかるぞ」
「俺は、俺を騙して毒矢を打たせた依頼主に貸しがあります。貸しをそのままにしておくつもりはありません」
「お前を利用した相手は大物だ。やめておけ」
「ってことは、伯爵様はそいつが誰かご存じなんですね!」
「ああ。私でも無策のまま立ち向かえば殺されて終わる可能性がある相手だ」
「伯爵様、俺を使ってください。俺があんな仕事を引き受けたせいでアビーは怪我を負いました。全ては俺のせいです」
「いや、それは違う。そんなに思い詰めるな」
それだけを言ってギルバートは沈黙した。
テッドはアビーの怪我を自分の毒矢のせいだと思っているが、毒矢の原因は自分なのだ。
『失うものなど何もない』と思って敵を斬り捨て続けてきた自分の過去が、何年も経ってからアビーとテッドに影を落としている可能性が高い。そのことがギルバートの口を重くしている。
「テッド、お前、もう王都には住むところがないだろう。この屋敷に住まないか? 使用人の立場でよければ相応の賃金を支払おう」
「それは助かりますが、伯爵様は俺なんかを雇うのは不愉快ではありませんか」
「気にしないから誘っているんだ」
「助かります。ありがとうございます。それで、さっきの話ですが、毒矢事件の大元を探し出すおつもりなら、俺を手足として使ってくれませんか。俺は子どもの頃から王都で働いてきました。知り合いも多いです。きっとお役に立てます」
「それはかなりの危険が伴うことだ。少し考えさせてくれ。それで、俺はお前の知っていることを全て知りたい。お前が配達をしていた頃、どこの貴族の仕事をしていたのか全部教えてほしい」
そこからしばらくの時間、テッドは思い出せる限りの配達の依頼主を思い出して話した。依頼する側も配達される側も必死に思い出したが、なにしろアビーの事件は九年前。建物しか印象に残っていない家も多かった。
「曖昧な記憶が多くて申し訳ありません」
「いいや、それでも何もないよりは助かる。礼を言うよ。オルト、テッドの部屋を用意してやってくれ」
「かしこまりました」
テッドとオルトが出て行ってからもしばらくドアを見つめていたが、ギルバートは視線をドアから剥がし、今日届いた封筒に目を向けた。
そこには誘拐された少女たちがどこへ運ばれたかを探すよう命じた者からの報告書が入っていた。
『お探しの品はザハー王国に届けられていました』
誘拐された少女たちはザハー王国に運ばれていたらしい。
(それもエドモンズ侯爵の部下と関係があるのだろうか。それがエドモンズ侯爵の仕業だとしたら、いったい何の目的でこの国の少女に奴隷の焼印を押して隣国に運ぶのだろうか。金か? それともそれ以外の何かか?)
「エドモンズの狙いを探らねば」
※・・・※・・・※
翌朝の朝食の席で、アビーはギルバートの言葉に驚いていた。
「テッドが戻って来たんですか? どうしてです?」
「母親が亡くなったらしくてな」
「おばさんが。そうですか。おばさん、長患いしてたから」
アビーの目がたちまち赤くなる。
「テッドが最後を看取ったそうだ。それから、テッドはうちで働くことになった」
「それはありがたいことですけど、旦那様はテッドを、その、」
「いじめたりはしない」
「それはわかってます。旦那様はそんな人ではありません」
ムッとして反論するアビーを、ギルバートが面白そうな顔で見る。
「君はずいぶん俺を買いかぶっているんだな」
「買いかぶりじゃありません。少しは私の人を見る目を信用してくださいな」
「では、君を信用して頼みたいことがある」
「はい。なんなりと」
「オルト、キャシー、外してくれ」
二人が食堂から出るのを待って、眉を寄せたギルバートが何度か咳ばらいをする。こんな気まずそうな夫を見るのは初めてで、アビーは(何事?)と緊張する。
「君にはなるべく家にいてほしいんだ。少しなら、昼間だから、繁華街だから、という気持ちで外出するのは危険だ。窮屈だろうが、当分は家にいてほしい。俺を狙っているやつが君を狙うかもしれないんだ。俺は敵が多いから」
「わかりました。私は出かけない生活には慣れています。ご心配には及びません」
「そうか。助かるよ。それともうひとつ、その、テッドのことなんだが。君はもう俺の妻だ。だからその、ンンッ、つまりだな」
「私とテッドのことでしたらご安心ください」
「あ、ああ、そうだな。すまない。下世話なことを言った」
顔を斜めに背けているギルバートの顔が気まずそうだ。
それを見ているアビーの顔が少しだけ緩む。
(もしかして焼きもちを焼いてくださってるのかしら)と思ったらギルバートの顔を見られなくなった。
「安心してお仕事をなさってくださいませ。私は旦那様のお帰りを楽しみに家で待っておりますので」
「ああ、今日も出かけるが、なるべく早く帰る」
(まるで本当の夫婦みたいな会話ね)と照れくさくなって、アビーは自分の手を見下ろしながら微笑んだ。
アビーは同じ家にいるのだからテッドに会うだろうと思っていたが、なぜかテッドと顔を合わせることはなかった。オルトの説明では「テッドは外回りの仕事を担当している」ということだった。
テッドは忙しいらしく、その後もアビーはテッドと顔を合わせないまま時間が過ぎた。





