33 王妃パトリシアのお茶会
王妃パトリシアからの茶会の誘いは、十一月のある日に届けられた。
ギルバートは険しい顔をしてその招待状を眺めていたが、さすがに断ることも暖炉に放り込むこともできず、アビーに招待された話をした。
「旦那様、そんなお顔をなさらなくても大丈夫です。マナーの授業をみっちり受けてきた成果の見せどころではありませんか」
「おそらく何かしら不愉快な目に遭うぞ」
「不愉快な言葉なんて、忘れればいいだけです。死にはしません」
「間違ったふりをして突き飛ばされるかもしれん」
「いくら私が男爵家の出身で見栄えがしない女だとしても、そんな子供の意地悪みたいなことを王妃様がなさるわけが」
「いや、王妃はしなくても取り巻きがするかもわからん。結婚した日にお前を睨んでいたのだろう?何かの八つ当たりをされる可能性はある」
アビーは笑いそうになる口元を引き締めすぎてへの字口になりそうだった。
「外で妻の役目をしてくれればそれでいい」と結婚を申し込んだギルバートが「意地悪されるかもしれない」と心配してくれるのがなんとも嬉しい。
ここできっちり妻の役目を果たさないでどこで果たすのだ、とアビーは「行って参ります」と朗らかに言って屋敷を出た。
馬車の中で、結婚式当日に見たパトリシア王妃のきつい視線を思い出す。
ギルバートは招待状が来た時に「自分とパトリシアは互いに計算づくで結婚しようとした仲だ。互いに相手に愛情なんてなかった。後腐れなど何もない」と、言っていた。
「それは旦那様の側から見た話で、あちらの目には違う景色が映っていたのかも」
王妃様は本当はギルバートを愛していたのではないか。
だからあんな目で自分を見たのではないか。
ならば今回の呼び出しの意図はなにか。
自分はどう振舞えばギルバートに迷惑をかけずに済むか。
アビーはそこをずっと考えていた。
自分のプライドなど、この際どうでもいいと思った。
王妃様を満足させ、夫を貶めるような結果を招かなければいいのだ。自分にとって一番大切なことはギルバートを名実共に守ること。それだけを間違えなければいい。
案内された部屋は広く明るい。秋だと言うのに溢れんばかりの花に飾られていた。
窓にかけられているカーテンには全面に繊細な刺繍が施され、(この一枚にどれだけの時間と労力がつぎ込まれているんだろう)と思わせる。
家具は全て重厚な造りながら、張られた布が白に統一されていて華やかだ。そこにも美しい刺繍がほどこされていて部屋の雰囲気を明るくしている。ソファーに白い布を使われているのをアビーは初めて見た。
「どうぞ、座って」
「本日はお招きいただきまして、ありがとうございます」
「あのギルバートと結婚した人はどんな方かしらとお話してみたくって。昨日の今日で慌ただしい思いをさせたわね」
「いえ、光栄でございます」
パトリシア王妃は輝く金髪を複雑な形に結い上げていて、肌は練絹のように内側から光を放っていた。座っていてもはっきりわかるほど手足がすんなりと長い。身長もおそらく百七十センチくらいはありそうだ。
その王妃が青い目に宿る好奇心を隠さずにアビーを見ている。アビーを値踏みしているのがありありと見て取れた。
「ギルバートが突然結婚したから驚いたの。聞けばあなたの顔に傷を作ってしまった直後に結婚したそうね。婚約期間さえ置かなかったとか」
「はい。さようでございます」
「きっと責任を取ったのね。ああ見えて案外義理堅い人だから」
王妃は言外に「私はギルバートのことをよく知っているのよ」「あなたは傷の責任を取って結婚してもらえたのね」と匂わせる言い方だった。
「そうかもしれません。責任感の強い方ですので」
「未婚の令嬢の顔に大きな傷を作ってしまったのですもの、結婚しないわけにはいかないわ」
「そうかもしれません」
ほんのりほほ笑みながらアビーは上品にうなずいている。
ここで「そんなことはない、私は大切にされているし優しくしてもらっている」などと主張するような愚をおかす気はない。
薄い反応のアビーを見て、王妃は美しい顔にほんの一瞬だけ苛立ちを漂わせたが、それは自分の見間違いかと思うほど短い時間のことだった。
王妃は国中の女性の頂点に立っている者の鷹揚な笑顔で「さあ、お菓子をどうぞ」とアビーに勧め、自身は優雅な所作でお茶を口に運んだ。
勧められて口にした焼き菓子は新鮮なバターをたっぷり使ったもので、あまり甘いものを買う余裕がない家で育ち、甘いものがあまり出されないイーガン伯爵家にいるアビーは、その美味しさに本気で驚いた。今まで一度も口にしたことがない美味しさだ。
「美味しいでしょう? 南部のナッツをペーストになるまですり潰して生地に練り込んであるそうよ。料理長自慢の品なの。甘いものに興味がないギルバートだもの、伯爵家では食べられないのではなくて?」
「とろけるような美味とはこのことかと、わたくし感動いたしました」
「そうでしょうね。あの人は女性を喜ばせることには疎いから」
「そうかもしれませんね」
何を言われても肯定も否定もせず、おっとりほほ笑むことにしているアビーだったが、焼き菓子の美味しさだけは本気で感動していた。遠慮なく二個も味わった。
「それで、あの人が作った傷の具合は? 痛みはもうないの?」
「はい、傷は額に残りましたが、幸いなことに傷やアザ、シミなどを目立たなくする化粧品と出会いまして。このように」
そう言ってアビーは前髪をスッと持ち上げた。
王妃とアビーの間には楕円形の大きなテーブルがある。パトリシア王妃はジッとアビーの額を見たが、怪訝な顔になった。
「ここからでは全く傷はわからないわ。大きな傷と陛下にうかがっていたけれど、そうでもなかったのね」
「いえ、十五針ほど縫われました。旦那様の剣の前に飛び出した私が愚かだったのです」
十五針縫った、と聞いて壁際に控えている八人の女性たちがザワッとした。
(そうだわ! これはさりげなくサマーさんの化粧品を宣伝するいい機会なのでは?)と気づいて、アビーは少し声の大きさを変えた。
「傷は塞がりましたが、新しい傷ですので赤い跡になっております。でも、その化粧品のおかげで、こうして王妃殿下の御前に出ることもできるのでございます」
「そのような化粧品、聞いたことがないけれど」
「最近作り出されたもので、アザやシミなども自然に目立たなくしてくれるのです。良い巡り会いを得たと感謝しております」
そのあとも王妃は「ギルバートは女心がわからない人だから」とか「女性を喜ばす言葉も行動も知らない人だから」などと要は『剣だけでのし上がった朴念仁』と言いたげなことを繰り返した。
アビーはそのたびに「そうかもしれませんね」とやんわり受け流しながら(やはり王妃様はギルバート様のことを愛していたのでは)と考えた。
そのうち王妃は何を言ってもアビーがしょげるでもなく腹を立てるでもないことに退屈したか、
「今日は楽しかったわ。また会いましょう」
と言って茶会を締めくくった。
おそらく二度と呼ばれないだろうな、と思いながらアビーは丁重にお礼を述べて部屋を退出した。
王宮の出口まで王妃付きの侍女がアビーを案内してくれたのだが、その四十代くらいの女性は王妃の部屋からある程度離れるや否や、アビーに話しかけてきた。
「イーガン伯爵夫人、少々お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「はい。なんなりと」
「先ほどのお話で出た化粧品のことでございます」
(よし! 狙いどおり!)という気持ちは顔に出さず、アビーは無邪気な表情でおっとりとサマーの化粧品をほめちぎった。この侍女はおそらく高位貴族の出身だ。その女性に興味を持ってもらえれば、裕福な人たちの間に販路が広がるに違いない、と心が躍る。
「私に連絡していただければ、いつでもその化粧品をお届けするよう手配いたしますわ」
この日、その女性に額の傷を見せて「まあ! 近くで拝見しても本当に目立ちませんわね!」と感動させたアビーの狙いは大当たりした。
後日、「傷を目立たなくする化粧品を紹介してほしい」という手紙が続々とイーガン伯爵家に届けられるようになったのである。
アビーはサマーに連絡を取り、肌の色に合わせた化粧クリームは大変な売れ行きになったらしい。
「奥様、貴族の方々の『お金に糸目は付けない』というのを初めて目の当たりにしましたけれど、すごいものですね」
「あら、そうだったの?」
「あの値段なので買い手があるかと心配していましたが、平民にとってはそこそこ高価な値段でも、貴族の方々には格安だったようで。あれをシミやアザなどだけに塗るのではなく、お顔全体に塗っていらっしゃるようです」
「ああ、なるほど。その使い方だと肌のくすみも隠せるわね。サマーさん、入れ物にお金をかけて高い値段で売ればいいわよ。きっとそのほうが喜ばれるわ」
「そういうものでしょうか」
「きっとそうよ。私の刺繍も、高級な糸や布を使ったほうが貴族の女性に喜ばれていたもの」
「やってみます!」
サマーが大々的に高級路線の化粧品を作って売り出すようになったのは、このしばらく後だ。商売が繁盛して化粧クリームが飛ぶように売れても、サマーは平民用の質実剛健な容器の商品も作り続けた。
「美しくなりたい気持ちに平民も貴族もありませんから」というのがサマーの言い分だった。





