3 アビーの決意
ギルバートが国王との面談を終えて屋敷に帰ると、執事のオルトが出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、ギルバート様」
「オルト、男の行方は?」
「捕まり次第こちらに連絡を入れるよう、警備隊に言い含めてありますが、まだ」
「そうか」
首からクラバットを抜き取ってオルトに渡し、シャツのボタンを緩めてソファーに腰を下ろした。
「ギルバート様、邪魔をした者のことですが、少女ではありませんでした。年齢は二十四歳。男爵家の一人娘でした」
「二十四? 嘘だろ。こんなに小さかったぞ?」
そう言ってギルバートは座った自分の胸の辺りに手のひらを浮かべた。
「ギルバート様、その高さじゃ五、六歳ですよ」
「それに顔だって二十四の顔ではなかった」
「童顔なんでしょうね。間違いなく二十四歳でした。名前はアビゲイル・ヘイズ。男爵家の一人娘です」
「二十四……そうか」
「そのアビゲイルという娘についてです。近所の人間に聞いたところでは、ほとんど家から出ないようです。貴族の集まりにも一切出てません。見舞金を渡しておけば十分ではないでしょうか。正直を申し上げれば、見舞金を渡す必要もないと思いますが」
ギルバートは考え込んでいた。
断っても断っても結婚を勧めてくる国王に、自分はほとほと困っている。国王がしつこいのは、王妃パトリシアが元はギルバートと結婚するはずだったからだ。
「三年も前のことなのになあ。しかも俺とパトリシアは互いに打算で成り立っていた関係だった。なのに陛下はいまだにパトリシアのことが後ろめたいらしいよ」
「また結婚を勧められたのですか」
「ああ。俺の方はもう気にしていないのだが、何度そう申し上げても信じてもらえない」
「夫婦円満なだけに、独り身の旦那様に申し訳ないと思っていらっしゃるのでは?」
「そうかもな。迷惑なことだ」
ギルバートがパトリシアと結婚しようと思ったきっかけは義父だ。
義父はギルバートが戦争で大きな手柄をあげて伯爵の地位を賜り、領地と褒美の金貨も手に入れると、『お前に何かあった時には妹が全財産を受け取れるよう、正式な遺言書を残すように』と繰り返し迫った。
ギルバートの家族は実家の三人だけなのだから、普通は黙っていても受け取れる。
なのに、父はギルバートがどこかに寄付したり家族以外の人間に財産を遺すことを心配したらしい。
義父の貪欲さにほとほとうんざりしたギルバートは、財産を義父の手に渡さずに済む方法として結婚を考えた。相手は誰でもよかったのだが、当時自分にしつこく言い寄ってきていたパトリシアを選んだ。
パトリシアはギルバートに婚約を申し込まれて大喜びした。
ところが。
いざパトリシアと婚約の手はずを整えようとしたところで、彼女の名前が王妃候補に挙がった。
内戦後で混乱している貴族社会の種々の力関係を考慮して、国王はパトリシアを選んだ。
それ以降、国王は『今もギルバートが独身なのはパトリシアを忘れられないからだろう』と勘違いし続けている。
しかしパトリシアを愛している国王に向かって『結婚相手はパトリシアじゃなくてもよかったし、惚れていたわけでもない』などと言うわけにもいかない。
ギルバートは食堂に場所を移し、酒を飲みながら料理を食べた。
この国では二十四歳といえばそろそろ「嫁ぎ遅れ」と陰口を言われる年齢だ。外に出ない生活をしている上に、顔に大きな傷ができてしまってはもう、あの娘が結婚相手を見つけるのは難しいだろう。
額を包帯で巻かれた娘を思い出す。
(貰い手がいないのであれば、俺の形だけの妻になってもらうのはどうだろうか)
最近、また義父が遺言状を書くように言ってきた。『自分の妹のことを思いやる心があるなら妹に全財産を遺すよう遺言を書け』と。
「ふっ。そんなに俺の遺言状が欲しいのか」
※・・・※・・・※
数日後、ヘインズ男爵家に使いが訪れて、一通の封書をアビーの父に渡した。畏まって受け取り、中を読んだアビーの両親は驚きで言葉も出ない。
高級な封書の中の高級な便箋には、美しく堂々たる文字で
『アビゲイル嬢に結婚の申し込みをするため、明日の午前十時にそちらを訪問したい。
良い返事を期待している。 ギルバート・イーガン伯爵』
と書いてあったからだ。
「アビー! アビー! 大変だ!」
「どうしたんです? そんな大きな声を出して」
「これを読んでごらん」
手紙を読んだアビーは「何を考えているのかしら、あの人」と呆れた。もちろん断りたいが、こちらから断ることは難しい。相手は伯爵、こちらは男爵。
だが、アビーは絶対に結婚するつもりはない。
「なんとかお話し合いで穏便にお断りできるよう、頑張ってみます。イーガン伯爵は、私の顔に傷をつけた責任を取るおつもりなのかもしれませんが、私はどうせ結婚はしない覚悟でいるのですから、そんな配慮はお断りです」
「伯爵様が男爵家に結婚を申し込んでくれることなど、大変な玉の輿じゃないか。どうしても断るのかい、アビー」
「ええ、お父様。無理にでも嫁がせるとおっしゃるなら、私にも覚悟があります」
それを聞いて両親はため息をつく。
アビーの覚悟とは、家を出て修道院で一生を信仰に捧げる、というものだ。
それは数年前に大揉めに揉めて立ち消えた話だった。
アビーの結婚に関しては、ずっと家庭内の頭痛の種だった。
彼女が十七、八歳までは『なぜそこまで結婚しないと言い張るんだ!』と怒っていた父。『なんでそんなに意固地になるの』と泣いて悲しんだ母。
だが最近はようやくアビーの結婚を諦めてきたところだった。
そこへこの手紙である。
(ここはなんとしても自分がしっかりと話の主導権を握って、上手にお断りしないと)と、アビーはその夜、結婚を断る理由を考え続けていた。
そうせざるを得ない理由が、アビーにはあるのだ。