28 エドモンズ侯爵と宰相デクスター
屋敷の書斎で、ギルバートは領地からの報告に目を通し、書類に記入を続けている。
領主になって以降、領地管理官に細かく指示を出し、領民のための施策の改善と充実を図っている。おかげで領民の数は少しずつ増え、開拓地も少しずつ広がっている。
十年後、二十年後の自分の領地の見通しは明るい。
「ギルバート様、夜会の招待状が届きました」
「どこからだ」
「エドモンズ侯爵からでございます」
「エドモンズ?」
思わず舌打ちし、不快感を隠さない表情でギルバートは招待状を眺める。
「エドモンズ侯爵は、何を考えてるんだ?」
「奥様にねだられて仕方なく、でしょうか」
「彼女は無事に侯爵の妻に収まっただろうに。今更俺になんの用があるっていうんだ。俺は彼女の強烈な香水の匂いを思い出すだけでムカムカするよ。断りの返事を出しておいてくれ」
「かしこまりました」
オルトはその日のうちに断りの返事を出した。
翌日、所用で王城に上がり、税務担当者と来年の税について話し合った。短時間で話が終わり、帰ろうとしたギルバートが通路を歩いていると、宰相とエドモンズ侯爵の二人組に遭遇した。
「イーガン伯爵じゃないか。我が家の夜会に来られないそうだね。君と楽しく語り合いたかったのだが」
「残念ながら予定がありまして」
「そうか。妻も君の夫人とおしゃべりをしたいそうだよ。とても魅力的な女性だそうだね」
「ありがとうございます。では私は用事がありますので」
会話を剣で叩き斬るような断り方をして、ギルバートはその場を離れた。
その後姿を宰相とエドモンズ侯爵がスッと笑いを引っ込めた顔で見送っている。
大股で歩きながらギルバートは彼らのことを考えていた。
宰相とエドモンズ侯爵は仲がいい。そして二人ともギルバートを嫌っている。国王が誰よりもギルバートを信用し、大切にしているからだ。
そんなエドモンズ侯爵がアビゲイルのことを誉めたのが、なんとも気持ちが悪かった。
エドモンズ侯爵は自分の妻がギルバートを追いかけてまとわりついていた過去を知らないはずがない。
なのにあんなふうにアビゲイルを持ち上げるのは、何か裏があるのではないか、と疑った。
馬車まで来たところで背後から「伯爵様! イーガン伯爵様!」という声が聞こえてきた。眉を寄せて振り返ったギルバートの前までたどり着いた男性は、宰相の第二秘書官である。
「なにか」
「お急ぎのところ申し訳ございません。宰相閣下がぜひイーガン伯爵様と相談したいことがあるそうです」
「相談ね。わかった。では今から向かおう」
今来た通路を戻りながら、(悪い予感しかしないのだが)と苦虫を嚙み潰したような顔になってしまう。宰相の執務室に到着すると、第一秘書官がドアを開けて出迎えてくれた。宰相のデクスターが愛想の良い笑みを浮かべて待っていた。
「帰るところだったろうに、悪かったね、イーガン伯爵」
「いえ。相談とはなんでしょう?」
「まあ、そう急がずに。お茶でもどうだい?」
そう言いながら侍女がお茶を並べ終わるのを見ている。やがて侍女は出て行き、宰相は身振りでソファーを勧める。ソファーに座り、ギルバートはジッと宰相を見た。
宰相は温和な表情でギルバートを見た。
ギルバートは(こいつの作り笑いは一級品だな)と思う。
「実はね、ちょっと君に相談したいことがあるんだ。陛下が推し進めようとしている税の引き下げのことだよ」
「税のことですか? 私は人を斬るしか能がない人間ですので。そのような難しい話はさっぱり理解できません。お役に立てず申し訳ありません」
スラスラとそう答えるギルバートを、宰相は笑みを湛えた顔で見ている。
「謙遜も過ぎると嫌味になるぞ、イーガン伯爵。君の領地は素早く戦渦から立ち直り、この先が期待できる領地になりつつあるじゃないか。だから君は税率が下がっても余裕なんだろうな」
(こいつは何が言いたいんだ?)
「隣国との戦争、それに続く内戦。我が国の貴族たちは経済的に疲れ切っているんだよ。領地を立て直すにも金は必要だ。今、税収を減らされては皆が困るんだ」
「ですが、我々貴族から国へ納める税も、救済措置としてしばらくの間は以前より少なくなります。痛み分けでは?」
「ふん」
宰相は一級品の笑顔を消して、ギルバートを見る。目に全く感情が表れておらず、ガラス玉のように見えた。
「平民の税はこれまで通り、貴族の税は今より軽く、このくらいでないと、そのうち多くの貴族が経済的に破綻する。何度もそう陛下に申し上げているのだが、なかなか聞き入れていただけなくてね」
(ああ、なるほど、そういうことか)
「そこで、イーガン伯爵から、今回の税の引き下げについては見送るように、陛下に話をしてもらいたいんだ。伯爵は陛下からの絶大な信頼があるからね」
「お断りします」
「君!」
「軍人と平民が戦争の真っ只中にいる時、ほとんどの貴族は安全な場所から指示を出すだけでした。血の匂いも嗅がず、死んでいく兵士たちの苦悶の表情も見ていない。金が足りないなら節約すればいい。毎日毎晩あちこちで開かれている茶会や夜会を減らせばいいのでは? では、私は予定がありますので失礼します」
ギルバートは出されたお茶のカップに手を触れることもなく、立ち上がって部屋から出た。
閉められたドアを見ていたデクスターは、ティーカップを手に取り、優雅な仕草でお茶を飲んでつぶやいた。
「調子に乗りおって。野蛮な戦闘狂めが」





