25 神に願うのではなく
王城で、国王が不思議そうな表情でギルバートに質問している。
「ギルバート、なぜおまえがテッドの釈放を願い出るんだい?」
「テッドはわずかな金でいたずらを頼まれただけです。毒のことは知らなかったので」
「ふむ。毒を仕込んだ犯人は? 的当て会場の人間か?」
「おそらく。その日、的当て会場を運営していた人間を警備隊に探させましたが、その日初めて来た者が仕切っていたそうです。担当者にその者の住所を聞いて行ってみましたが、別人の家でした」
「相手は手慣れているようだな」
「テッドは依頼主について、たいしたことは知りませんでした。なので、もう彼を投獄しておく必要もないかと」
「被害者のお前がそう言うなら、いいだろう。テッドに関してはお前に任せるよ」
この件はギルバートの裁量に任された。
ギルバートはオルトを呼び出し、使用人が使う家紋無しの馬車でテッドとその母親を遠くの田舎町に送り出した。
それを見送ってから警備隊の資料保管庫に出向いた。
調べた結果、確かに九年前、悪事を繰り返していた男四人が毒殺されていた。犯人は見つからないままだ。
「さて、アビーをあんな目に遭わせたやつらの親玉と毒矢の依頼主の両方を探さないとな。このままにしていては『殺戮の使徒』の名が泣くさ」
※・・・※・・・※
「旦那様、オルトが昨日からいないようですが」
「ああ、オルトはテッドと母親を遠くまで送り届けている。君は別れを言いたいだろうとは思ったが、ここに連れて来て目立つことは彼の安全を脅かすことになるからな。我慢してくれ」
「テッドをお許しくださったんですね! ありがとうございます!」
そう言った直後にアビーが何かを考え込んでいるのを見て、ギルバートは苦笑した。
「なんだ。不満があるのか」
「不満だなんて。ただ、テッドとおばさんが最初だけでも安心して暮らせるように、私の手持ちのお金を渡したかったなと思いました。でも、私からお金を渡されるのは、嫌かもしれませんね」
「君がそう言うだろうと思って、当座の生活費を渡しておいた。安心しろ」
「旦那様、なんてお礼を申し上げればいいのか」
「妻のためだ。当たり前のことだ」
キャシーが井戸で冷たく冷やした甘い瓜を運んできた。七月の食卓には平民か貴族かを問わずによく出される。アビーは懐かしくて思わず笑顔になった。
二人で無言のまま冷たい瓜を楽しんだ。
アビーはどうしても確認したいことがあった。それを聞くためにキャシーに「外してくれる?」と声をかけた。二人きりになり、アビーが真剣な顔でギルバートに尋ねた。
「旦那様、私には『あれ』があります。そんな女が妻では、伯爵家の恥になります。本当にこのまま、私は妻の役目を務めていていいのでしょうか。私のこともテッドのことも、本当によくしていただいているのです。これ以上は旦那様にご迷惑をかけたくありません」
「愚問だな」
「愚問、ですか?」
「あの場所につけられた『あれ』を、お前は誰に見せるというんだ。俺以外の人間にそうそう肌を見せるようなことがあっては困る」
「ですが、お肌の手入れのときなど」
「生まれついてのアザがあると言ったのだろう?」
「あっ、ご存じでしたか」
「責任者が律儀に報告してくれたからな。背中の施術はしませんでした、と。それでいいじゃないか。アザがある人間はいくらでもいる。肌の手入れが不安なら、顔と手足だけでもいい。なんなら手入れなどしなくてもかまわない」
アビーはギルバートの配慮に感謝してもしきれない、と思った。
それよりも、(このまま一緒に暮らしていると、どんどん旦那様をお慕いしてしまう。あと一年と数ヶ月でこの方と縁が切れるんだもの、それはだめ)と自分に言い聞かせている。
(奴隷の焼き印を押された妻など、家の中に置きたくないと思うのが普通でしょうに。ありがたいこと。テッドを助けたいという私の最初の願いはもう叶えられた。これからも妻でいさせてもらえるのなら、今後は少しでも旦那様のお役に立つよう、努力しなくては)
そう心で決意しているアビーを、ギルバートは優しい顔で見ている。
「旦那様、テッドのこと本当にありがとうございました。私、一生このご恩は忘れません。旦那様のお役に立てるなら、全力で妻役を務めます」
「ああ、そんなに気にしなくていい。だが、ひとつだけ約束してくれ」
「はい」
「お前にあんなことをしたやつらの親玉のほうは今も生きているだろう。もう二度と一人では外出するな。俺がいない時はオルトを同行させなさい。あれは腕が立つ」
「はい」
「俺の願いはそれだけだ」
「極力外には出ません。出かけるときは必ず旦那様かオルトと一緒に出掛けることをお約束します」
「そうしてくれ」
「では、おやすみなさいませ」
「おやすみ」
笑顔で挨拶をして部屋に入り、ドアにカギを掛けてからへなへなとその場に座り込んだ。
ギルバートは「やつらの親玉のほうは生きている」と言った。
「なら、あいつらは? そもそも十三歳だったテッドが誰にも邪魔されずに私を連れ出せたのはなぜ? 答えはひとつしかないわよね?」
テッドは何かの手段であの男たちを殺したのだ。
自分が不注意だったせいで、あの子に人殺しをさせてしまった。
アビーはそれを一度も考えなかったわけではない。いつもその可能性を考えるたびに(まさかね)とその考えを打ち消してきた。
しかし、打ち消してきたのは誰のためにか。テッドのため? いや、罪悪感を覚えたくない自分のためじゃなかったか。
テッドに申し訳なくて涙が滲んだが、それは手の甲でグイッと拭った。
「ここで私が泣いたって、何ひとつ事実は変わらない。元はと言えば襲われても抵抗できず、抵抗しようともしなかった私が招いたこと。もう、二度とあんなことに巻き込まれない。無抵抗で酷い目に遭ったりはしない。神様、どうか私に戦う術をお与えください」
そう唱えてから思い直した。
「違うわ。神様に与えてもらうのではなく、戦う術は自分で手に入れなければ」





