18 ワイズ伯爵家のお茶会
七月の暑い日だったが、エルダ・ワイズ伯爵夫人が主催するお茶会は二十人もの出席者が集まる盛大な会だった。
屋敷の窓は全て開け放たれ、、あちこちに水に浮かべた花が飾られていて涼しさが演出されていた。
「イーガン伯爵夫人、ようこそおいでくださいました。来てくださって嬉しいわ」
「ご招待をありがとうございます、ワイズ伯爵夫人。私のことはアビゲイルとお呼びくださいませ」
「では私のことはエルダと呼んでくださいね」
「はい、エルダ様」
エルダ夫人がお茶会初参加のアビーを次々と婦人たちに紹介する。
夏の涼しい生地で作られた華やかなドレスの波。
中身のない、軽い会話。
(ああ、これは苦手な空間だ。でも、頑張るって決めたのは私なんだから)と笑顔を作る。
ドレスと靴は上等で新品だから、気後れせずに済むのがありがたい。
繊細なレースの幅広リボンを額に巻いて前髪を押さえてあるから、傷を見られることもない。
お茶会が始まり、四つの丸テーブルに五人ずつ分散したのだが、アビーのテーブルに着席した女性たちは、アビー以外は互いに顔見知りらしい。
飛び交う会話の内容を知らないアビーは会話について行けず、にこにこして聞くだけだ。
そのうち、それを気の毒に思ったか、隣の席の女性がアビーに話しかけてきた。
「イーガン伯爵夫人は、一度も夜会でお見かけしたことがないように思うのですけれど」
「はい、私は社交界の集まりには出たことがなく。本日が社交界デビューのようなものです」
「まあ、一度も?」
「はい。できれば信仰に生きたいと思っておりましたので」
アビーの言葉を聞いて残りの四人が目を丸くして大げさに驚いた。それを見て、変なことは言わないようにしようと気を引き締める。
「あら、修道女になるおつもりでしたの?」
「はい。隣国のオンダルシア修道院をご存知でしょうか。あの山頂に建つ修道院で、生活の全てを信仰に捧げるつもりでしたの」
「そんなこと、ご両親がお許しにならないでしょう?」
アビーは悲しげな顔を作り、うなずいた。
修道女になろうとしたのは本当の話だ。焼き印を押された直後から数年間は「修道院に入りたい」と本気で願っていた。
「私は一人っ子で、使用人もいない家でしたので、母に泣かれました。『私たちが年を取って、私が先に倒れたときのことを考えてごらん』と泣きつかれました。父は仕事以外は何もできない人ですので」
全員が「あー」と声を漏らし、老夫婦の悲惨な暮らしを想像したらしい。気の毒そうな顔になり、全員が(うん、それは仕方ない)というようにうなずいた。
「なので修道院は諦めて、社交界には顔を出すこともなく、ひっそり生きておりました」
「それでお見かけしなかったのですね」
「はい。不慣れな新入りですので、どうぞよろしくお願いいたします」
同じテーブルにいた御令嬢たちは、なるほど、と納得したようだった。
(よし、これで乗り切った)と安堵したが甘かった。
ある程度の時間が過ぎたところで、エルダから座席の移動が提案されたのだ。
「今日は久しぶりのお顔も多いので、座席を移動してお話を楽しみませんか?」
「それはよろしいわね」
「ぜひそういたしましょう」
柔らかい声が一斉に同意して、アビーは再び知らない人たちと同席することになった。
そのテーブルの会話を仕切っていたのは大人になった妖精、という雰囲気の華奢な美女だ。身長こそアビーより高そうだが、一般女性のなかでは小柄。生きている抱き人形のような人だ。
黒髪に明るい茶色の目のその美女は、クラリス・エドモンズ侯爵夫人と自己紹介した。
そのクラリスが何度もアビーに質問をする。
そのたびに必死に答えるのだが、しばらくするとまた質問をしてくる。
「ギルバート様とはどこでお知り合いになったの?」
「ギルバート様はお屋敷内ではどのようなお召し物を?」
「ギルバート様のお好きな食べ物は?」
(私のことならいざ知らず、これは他人にぺらぺらしゃべっていいものかしら)
アビーが困惑して答えられずにいるので、同席している他の三人も困っている。
その雰囲気を察してくれたらしく、エルダが主催者の配慮を見せて近寄り、クラリスにやんわりと話しかけた。
「クラリス様、アビゲイル様が困ってらっしゃいますわ。ギルバート様の許可なく勝手にお話しするわけにはいかないことですもの」
「あら、夫婦なんですもの、これくらいの質問はよろしいのでは?」
「いけませんわ。熱々の新婚さんが、私のお茶会が原因で喧嘩になってしまっては私が夫に叱られます」
エルダは絶妙に「熱々の新婚さん」という言葉に力を込めていた。
それを聞いたクラリスはムッとした顔になって「お化粧を直してきます」と言い捨てて席を立った。
「ごめんなさいね、アビゲイルさん。あの方は、その、」
「ギルバート様に熱を上げていましたものね。いまだに未練があるとは思いませんでしたけど」
割って入ったのは向かいの席の女性。その表情が意味深で、アビーは嫌な予感がした。すかさずエルダが割って入った。
「マリーン様、そのお話はちょっと」
「どうせいずれはアビゲイル様のお耳にも入りますよ。有名なお話ですもの。さんざんギルバート様を追いかけ回していらしたけれど、らちが明かないから侯爵家からの申し込みを受けたんじゃありませんか。その経緯は、ここにいらっしゃる全員が知っていることですわ」
「そう、だったのですか」
アビーが元気がなくなるのを見て、エルダは優しい顔で慰めた。
「アビゲイルさん、終わった話ですわ。ギルバート様は侯爵家嫡男の上に剣豪、加えてあの見た目でしょう? ご令嬢たちの人気が集まるのは仕方なかったのよ」
(侯爵家の嫡男? 功績で伯爵位を賜ったって言ってたから、ご実家は伯爵以下だとばかり思っていたのに)
貴族社会の事情に疎い実家では何も聞かされていなかった。
そのあとはどんな会話もアビーの耳を素通りする。
(私が家の中に閉じこもって暮らしている間、旦那様は夜会にも顔を出していたのかしら。そして多くの女性に追いかけられていたの? それにしても侯爵家の嫡男て! どういうこと?)