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16 小さくて温かい手 

「おかえりなさいませ、旦那様」

「まだ起きていたのか。先に寝ていろと言ったのに。君は出かけて疲れただろう。今日はもう早く寝なさい。骨折にも傷にも睡眠は必要だ」


 そう言って帰ってきたギルバートにアビーが近寄る。


「はい。なるべく早く寝ますね。旦那様。ちょっとかがんでいただけますか?」

「うん? かがむって、こうか?」


 部屋の明かりに背中にして立つアビーの前で、膝を曲げて低くなったギルバート。その顔を両手で挟み、アビーは顔を近づけて夫の目を覗き込む。


「なっ、なんだ?」

「ちょっと動かないでください。ふんふん。この色ね」

「なんだ、いったい」

「旦那様は背がお高くて、私はなかなかまともに瞳の色を見られないんです。青にもいろいろありますから、確かめたかったんです。こう見えても私、編み物が得意なんです。旦那様の瞳と同じ色の毛糸で、マフラーを編もうかと。いいですよね? マフラーくらい。良くしていただいているので、ほんのお礼の気持ちです」

「ああ、そうか。もちろんかまわない」

「よかったわ。では、おやすみなさいませ」


 ギルバートに覚えたての『妻が夫にするおじぎ。愛らしく上品に見える方法』を実践して、アビーはスタスタと部屋に向かった。その小柄な後ろ姿を眺めながら、ギルバートが自分の頬を手で触っていた。


「温かかったな。そして小さい」


 あんな風に何気なく家族に触れられたことがない。

 ギルバートを育ててくれたのは乳母で、それは貴族では普通のことなのだが、実母は子供に笑顔を見せたり優しい言葉をかけるタイプではなかった。

 いつでも華やかに着飾っていて「ドレスが汚れるから触らないでね」が口癖だった。

 気がつくと自分は、叱られないように母親に近寄らなくなっていた。


 ギルバートはさっき自分の目を覗きこんだアビーを思い出した。小さくて白い顔が真剣だった。マフラーの色をギルバートの目の色に合わせると言っていた。


「手編みのマフラーか。貰ったことがないな」


 ギルバートの母はそんなことをする人ではなかったし、現王妃のパトリシアも、自分に言い寄っていた令嬢たちも、贈り物といえば刺繍のハンカチ、宝石のついたカフス、クラバットを留めるピンだった。ハンカチは使用人か職人に刺繍させたものも珍しくなかった。

 あんなふうに『良くしていただいている』なんて感謝の言葉を返す令嬢はいなかった。

 令嬢たちは皆、『いかに自分に尽くしてくれるか』『いかに贈り物や態度、言葉で示してくれるか』にこだわっていた。


 パトリシアは、王妃候補に選ばれた日に

「陛下はとてもお優しいの。あなたと違って」

 と見下したような笑い方をした。

 自分からしつこく言い寄っていたことは忘れた口ぶりで、ギルバートはげんなりすると同時に、(この人はこんな嫌な笑顔を隠し持っていたのか)と、逆に感心した。

 パトリシアだけでなく女性に対する期待や希望は最初から持っていなかった。ずっと昔、母という存在への期待を捨てたのと同じように、少年時代から女性には何も期待したことがない。


 だからアビゲイルが対価を提案したらすぐに「お受けします」と返答したときは(いっそ清々しいくらい正直で計算づくだな)と内心で感心したものだった。

 そしてそのほうが都合がよくて気が楽だった。


 ところが、計算づくで嫁いできたはずのアビゲイルが次第に元気を失い、食欲も失って、それでも自分に何も求めず、手首を骨折しても何も言わないでいたことに胸が痛んだ。


 更に、あの額の傷を見たときは、心に太い杭を打たれたような衝撃を受けた。

(こんな大きな傷が残ったのに、俺には一切の文句も恨みごとも言わずに妻役を果たそうとしていたのか)

 

「俺のほうが彼女よりよっぽど計算づくだったな」


 月に小金貨八枚というわずかな対価で頑張るアビゲイルが、けなげで不憫に思えた。

 パトリシアにも彼女以前に多少の関りがあった女性にも、もっと高額な贈り物をしていた。それは、(財産を義父やその甥に渡ることがないように結婚しよう。そのためには相手への贈り物くらいは必要だろう)と考えた結果だった。

 自分の生きる場所は戦場にあり、結婚は仕方なくするものと思って生きてきた。


「マフラーか」


 マフラーを貰ったらお返しに何か買い与えようと思ったところで、アビゲイルが好きな食べ物、好きな色、好きな花、好きな本、そのどれも知らないことに気づいた。


「ふむ。アビゲイルのことを知るのも面白いかもしれない」


 殺戮の使徒と呼ばれている自分が、と苦笑する思いもあるが、あの小さな身体に大きな包容力を秘めているアビゲイルを二年で手放すのは惜しくなった。

 だが。


「いや、契約は契約だ。アビゲイルにはちゃんと彼女を愛するまっとうな家族がいる。俺に関わっていると、また事件に巻き込まれるかもしれない」


 自分の頬を両手で挟んだときのアビゲイルの小さな顔、小さな身体を思い出したが、ギルバートはその記憶を心から振り払った。



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コミック『殺戮の使徒様と結婚しました1・2・3巻』
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